映画 「異人たち」 2024(令和6)年4月19日公開 ★★★★☆

原作本 「異人たちの夏」 山田太一 新潮社

(英語: 字幕翻訳 牧野琴子)

 

 

LGBTで脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)はロンドンの高層マンションに一人暮らし。

ここはオフィスビルのようで、昼間は賑やかですが

夜になるとここに住むものはおらず、話し相手もいません。

 

ある夜、突然警報が鳴り響いたので、屋外に出てビルを見上げると、

ひとつだけ灯りのついている部屋があり、人影が見えました。

 

部屋に戻るとノックの音。

「さっき外から見てたよね?」

「火事のアラームかと思ったよ」

男はハリーと名乗り、一緒に飲もうか?と誘ってきますが

ほろ酔いらしき男を部屋にいれる気はしないので

仕事をいいわけにドアをしめるアダム。

 

PCに向かうも、筆は進みません。

執筆テーマは自分の両親のことなんですが、

アダムの両親は彼が12歳のときに事故死していました。

子どものときの写真をみていて、ふと昔住んでいた実家に行ってみようと思い立ちます。

 

列車に乗って、懐かしい「サンダーステッド駅」で下車。

実家のほうに近づくと、なんと父によく似た男性が・・・

なんとそれは父でした。

30年前と全く変わらない父は、母とあの家で今も暮らしていたのです。

 

 

今は脚本家となってロンドンで生活しているアダムの話を

うれしそうに聞いてくれる父と母。

「昔からお前は芸術肌だったからね」

「立派になってうれしいよ」

 

楽しい時間は流れ、

「またいつでも遊びにおいで」と送り出され

ロンドンへ戻ってきます。

 

高層マンションに戻ると、入り口でハリーと出会い、

こんどは家に招き入れます。

ふたりとも性自認はゲイだということがわかり、ベッドに入り・・・

 

アダムは次に両親に会うときは

自分のセクシャリティを告白しようと思いました。

              (あらすじ とりあえずここまで)

 

 


原作は山田太一作「異人たちとの夏」

映画の前に読んだのですが、

主人公は山田さん自身じゃないかと思うくらいの生き生きとした表現で

設定も明確。浅草の描写もよかったな~

 

日本映画のほうは見ていませんが、

本作は、原作からざっくりの設定だけいただいた感じで、

「生きるLIVING」のように、国と時代を変えてもエッセンスは普遍・・・

というようなものではありませんでした。

 

原作にもハリーに相当するケイという「女性」は登場しますが

「女性→男性」に変えたのは、性の多様性を意識して、というよりは

この原作の設定と相性がよかったからでしょう。

 

つづきです(ネタバレ

 

 

アダムはその後も何度となく実家に向かい、

子供部屋の思い出の品をながめ、両親と話をします。

「ゲイ」のカムアウトには

「病気は大丈夫なの?」「子どもはどうするの?」

と、ひと時代前の反応。

落胆されたとしても、自分の口から言えたこと、

そして自分はちゃんと親から愛されて育ったことを実感できて

ついつい気が付くと実家に向かっているのでした。

ハリーを連れて行くこともありました。

 

3人はファミレスに食事にでかけ、会うのはこれきりにしようと話します。

「ハリーって子と仲良くしなさい」

 

マンションに帰ると、アダムははじめてハリーの部屋に行きます。

応答はなく、中に入ると腐敗臭が・・・

自死して時間のたったハリーの姿がありました。

 

ふりかえるとハリーがいて

「見つけたのか?」

泣き崩れるハリーをうしろから抱きしめるアダム。(あらすじここまで)

 

 

12歳のときに両親が死んで、今40歳ということは、28年前。

両親は今のアダムの年齢に近いことになります。

キャストの実年齢でいうと、ジェイミー・ベル(父)もクレア・フォイ(母)も

アンドリュー・スコット(アダム)よりずいぶん年下ですが、

演技の力だけで、ほんとに親子!

クレア・フォイがアンドリュー・スコットへの接し方なんて

ほんとに「おっかさん」なんですよ!

 

                        ↑

このセーターは、12歳のアダムが着ていたのと同じだったような。

 

私、最近、10歳まで住んでいた押上の写真や地図ばかり見ているものだから

夢のなかに亡き母が30代くらいの姿で良く出てくるんですよ。

ちょっと思い出してうるうるしてしまいました。

 

 

28年前はHIVが社会問題となっていたころで

そりゃ、両親は心配ですよね。

今の親だったらまた違う対応なんでしょうが。

 

父は12歳のアダムが友だちにからかわれて、ひとり部屋で泣いていた時

「気づいていたのに部屋に入らなくてごめんな」

といって、アダムを抱いて泣くところ。

これもホントに12歳の少年と40歳くらいの父の姿でした。

 

俳優が下手だったら目もあてられないですが、それはもうカンペキ。

28年の時代のギャップは、ビジュアルでもさりげなく再現されていました。

 

日本人の「宗教観」って、世界一いい加減だと思うのですが、

年忌法要やお盆に対する「日本人の共有認識」みたいなものあるじゃないですか、

そういう部分が消えていたのは寂しい気もしたけれど・・・

 

自分と同世代の両親と会うことで、懐かしさと共に

自分自身の封印してきた部分に向き合うこと、

ここでは性自認のことなんですけど、それは見る人によって

いろいろ置き換えることもありで、

たまたま私は両親を亡くして思い当たることがいくつも出てきたので

(具体的には書きませんけど)琴線に触れる部分はありました。

 

こういう小説を映画化すると、

「幽霊」とか「ゴースト」とか「タイムスリップ」とか

どうしてもそっちが勝ってしまうじゃないですか。

 

脚本家の山田太一氏がシナリオではなく小説にしたのは

そういうこともあったのかな?と。

だけど、まさかゲイの話にされるとはね(笑)

 

山田太一氏は去年亡くなりましたが

この映画のこと、どう思ってるかな?

なにかコメントくれないかな?

なんて思ってしまいました。