先日、練馬区の北一商店街の昭和43年の写真をみながら

住宅地図とつきあわせてみたのですが・・・・

 

 

たまたまこのエリアの地図、昭和37年と昭和60年しか持っていなかったので、

思ったほどヒットしませんでした。

今回は、昭和45年と48年の地図をさがして

コピーをいただいてきました。

 

実は昭和40年代の住宅地図って本当に希少です。

いろいろ探しても

「公共施設地図(航空)社」くらいしか思い当たらず・・・

 

 

これは、たまたま過去のオークションのサイトで見つけた昭和45年の大田区の画像ですが

ほとんど市場にでないので、かなり高価なのでは?

 

このころになると、航空写真をもとに作られるようになるので

家屋の形とか道路の形など、かなり正確にはなっていますが、

まだ手書き時代なので、かなり見づらいです。

(手書きだから、というより、誤字も多いし、けっこう雑!)

 

 

写真に書き入れてみたら、こんな感じ。

 

「駐留軍払下品」ですって!

 

 

 

 

それから、豊島区の街歩きをしたとき、東長崎駅前の快進社自動車工場も

大正7年からいつ頃まであったのか調べたかったんですけど

この地域の火保図はみつかりませんでした。

 

ただ、昭和37年の地図には、快進社の跡地に「白石基礎」ができていました!

 

 

なにそれ?

とお思いでしょうが、

ここの近所の新宿区中落合で育った泉麻人さんが

幼少期の思い出として「シライシキソ」のことを度々書かれていて

意味もわからず呪文のように覚えていたそうです。

 

 

「シライシキソ」と書いてある鉄塔の絵を見て

私はシライシキソ→「白井色素」だと思って読んでいたんですね。

あとになって「白石基礎(工事)」だと知った時はちょっとめまいがしました(笑)

こういう勘違いって子どものころの記憶ではよくある話なので

なんか、自分の思い出に脳内変換されてしまっています。

 

「白石基礎」は後にほかの会社に吸収されてしまったようですが

戦後日本の土木を支えた会社のようで、隅田川の橋梁工事でも活躍したし、

先日地下鉄博物館で丸ノ内線の記録映画を見たときも

それはそれは何度も登場していました。

 

 

ちなみに上の住宅地図は、昭和37年のもので、航空写真を使っていないので

簡略化されていて正確とは言えないのですが、

最近、こういう地図の方が見ていて楽しく感じるようになりました。