さて、後半です。

 

地図の⑤以降が千川上水跡となります。(⑥と⑧は省略させていただきました)

 

⑤ 水番所跡

 

練馬方向からやってきた千川上水が直角に曲がる南長崎6丁目の交差点から

豊島区内の千川上水跡はスタートします。

今セブンイレブンのあるところに、かつては水番所があって

水どろぼうを見張っていたそうです。

 

 

ここは豊島区と練馬区の区界(くざかい)であるだけでなく、

日本有数の区界スポットなんですよね。

 

 

豊島区(南長崎)と練馬区(旭丘)と中野区(江原町)にくわえ

200mほど南には新宿区(西落合)、

さらに北には板橋区(向原)も控えて・・・

この話、今回のツアーと関係ないし、止まらなくなるので、今日はここまで!(笑)

 

 

今回の説明では、

「この千川通りの道路標識は片側が切れているので、ここが終点です」

「ここを左折した通りを千川通りと呼ぶことはあっても

 正確には千川通りではありません」

 

これをお聞きして、いろんなことが腑に落ちました。

私は西武線と並行して走っているのを「千川通り」と認識しているのですが、

地元の人たちは、ここから左折して板橋方面にいく道をそう呼んでいるので、

話をしていて、今までに何度も食い違うことがありました。

 

これは、正しいとか正しくないとかの話ではなくて

この先の道の方が暗渠になったのが遅くて、水路が見えてた時代を知ってる人にとっては

絶対に「千川通り」だし、それを聞いて育ってる人もそう呼びたくなりますよね~ 納得。

 

「東京都道鮫洲大山線」なんて

覚えられないし・・・

 

 

水番所のところには、

「地主の辻さんの「橋本屋」という屋号のお店があった」・・・

と説明されていましたが、

うちの87年の住宅地図には「雑貨店」となっていました。

 

 

こんなに広い敷地の雑貨店って、何を売ってたんでしょうね。

(ちなみに私はここがジョナサンだった時が懐かしいです)

 

向かいに明治牛乳豊島工場があったというのは

籾山牧場の名残りでしょうかね?

 

 

⑦ 築樋(つきどい)跡

 

玉川上水の取水口から江戸まで水を送るのに最も重要なのは一定の傾斜角度を保つこと。

もしあの交差点を直進していたら江戸まで届かず、

千歳橋のところで終わってしまいます。

 

また、明豊中学のあたりでは、車道よりも歩道(上水の水路跡)が高くなっており

これも傾斜角度を保つための調整のようです。

このように土手をつくって、地面より高いところに水路を開くのが築樋(つきどい)です。

 

こちら側からではわかりづらいですが・・

 

上水は周囲より少し高いところを走っていて、そこから分水もされており

水道端地域安全センター」のところも(名前が気になって家に帰って調べたら)

やはり取水口の場所のようでした。

 

 

通りの向こう側のミニストップの右側の路地はきつい下り坂になっており

そこもかつての水路跡ですが、そういえばここ、

ずいぶん前に「エンガ堀の暗渠めぐり」で来た記憶があります。

 

 

暗渠の水路巡りをしていると、不自然に細長い駐輪場や緑地帯に出会いますが、

重いものが上に建てられないので、こういう「キャッチボール場」も

「暗渠あるある」ですね。

 

千川上水跡は、千早高校のあたりから都道と別れて住宅地へと・・・

(ちなみに「千早」は千川の流れが早いことからの命名)

 

ここも、車道より一段高い

植え込みのところが水路跡です。

 

 

⑨ 千川親水公園

 

そして左にカーブして

親水公園となります。

 

ようやく千川上水跡の説明板が登場

 

コンクリートの古いマンホール

 

また駐輪場!

 

そして手前の部分は橋の遺構で

せっかく残ってるのに放置されているようです。

(ちょっと調べたら橋の名前もわかるでしょうね)

 

この奥はもうゴールの千川駅です。

 

 

 

千川上水とは直接関係ないのですが、

「千川上水が現役のころの昭和初期?の写真に写ってる建物が現存しています!」

と、教えてくださったのがこれ!

 

 

中央の寄棟屋根の二階建て。

たしかに、古い写真にも同じ形で映っていました。

そして・・・・私、ここ知ってる!

 

実は

数年前まで不定期で働いていたさくら小学校は

非常にわかりづらい場所にあり、

ここの脇の道を直進するのが(ちょっと遠回りになりますが)間違いないのです。

かつてここは「池田書店」で、初めの人に道を教えるとき、

「本屋さんの角を曲がってください」と言っていました。

 

ずいぶん前に閉店したものの「講談社?」かなにかの看板は残っていたんですが

そのうちに戸板がうちつけられ、本屋にはみえなくなってしまい、

気が付いたら役所が案内板を建ててくれていました。(これは今もあります)

 

今はスマホで迷子になることはないでしょうが、

私も最初に来た時は、池田書店を目印にして無事たどりつきました。

 

そんな歴史的建造物とは知りませんでしたが

「その節はお世話になりました」といいたいです。

 

感想

 

* 今までに参加したガイドツアーは、

その道の専門家だったり、学芸員だったりするのが多く、

最近頻繁に参加している新宿歴博のはボランティアの解説員さんたちですが、

それでも、サポートの職員が必ず帯同します。

今回はすべてボランティアの方たちで回しているようなのが、

驚きを通り越して、もう「尊敬!」です。

 

* 驚きや発見も過去イチあったかも。

後半、数を数えるのを忘れましたが、10以上はまちがいなくありました。

知らなかった知識を授けてもらうのもですが、

ここで育った人の経験や思い出を分けてもらえるのがうれしい。

(例えば、「長崎東映」「平和シネマ」「目白映画」とか、情報としては知っていても

そこで映画を見た人の話を生で聞く方がワクワクします)

 

* 比較的土地勘ある場所が多かったのですが

自転車なので、(下の画像だと)いつもこの左側を走っていました。

 

 

こんな植え込みを歩くことはなかったので、

知っている道でも、景色が全く変わって新鮮でした。

 

自転車で走っていると、土地の高低差はかなり体感できるので、

その辺は逆に(車や徒歩よりも)自転車の強みかもしれません。

 

 

* 八重桜(左)と ソメイヨシノ(右)

 

 

汗ばむくらいの好天のなか、ダブルでお花見も楽しめました。

 

*忘れないうちにざっとブログに残しておきましたが、

撮りなおししたい写真もあるし、

快進社や籾山牧場は地図でもきちんと確認したいです。

 

豊島区の地図、けっこう集めたんですが、

まだ東京市になってなかった昭和7年より前の大縮尺図は持ってませんでした。

 

1921(大正6)年)

「西武全線古地図散歩」より

 

今回はキャンセル待ちの繰り上げ当選で

思いもかけず良い体験ができました。ありがとうございました。