映画 「蟻の王」 2023(令和5)年11月10日公開 ★★★☆☆

(イタリア語;字幕翻訳 吉岡芳子)

 

 

詩人で蟻の生態学者のアルド・ブライバンティは

教え子のエットレと肩を寄せ合って

詩を語り、見つめ合います。

 

1965年、ローマ。

アルドのアパートの鍵がそっと開けられ、エットレの家族が入ってきます。

テーブルの上には食べ終わった2組の食器があり、

奥のドアを開けると、ベッドで抱きあって眠るふたりが・・・・

エットレは兄に抱えられて連れ出され、アルドは教唆罪で逮捕されます。

矯正施設に連れていかれたエットレは

体に電気ショックを与える「転向療法」で生気を失ってしまいます。

 

 

その数年前、1959年の春、エミリア州ピアチェンツァ。

アルドは、若者たち向けの芸術ワークショップを主催しており

彼の元にはたくさんの学生たちが集まっていました。

 

もともとアルドと交流があったのは兄のリカルド。

アルドに気に入られ助手にまでなったものの、

いらいらされて高圧的な態度をとられたりして疎遠になったところを

自分が連れていった弟のほうをかわいがるようになって

リカルドは面白くありません。

 

エットレが見つけて持って行ったクロナガアリの羽のとれた女王蟻にも

アルドは大喜びで、ほめたたえます。

「医学を学んでいるけど、本当はアートに興味がある」というエットレに

「親に従う必要などない」と言い切るアルド。

 

「ブライバンティ先生は気さくでいい人だね」というエットレに

「あいつはお前を支配したいだけだ」と、兄。

 

アルドが同性愛者だということは誰もが知っているので

彼に近づきすぎることを家族や周囲はみな反対します。

アルドの母、スザンナに文句をいいにいったりもするのですが、

それでも二人は絆を強くするばかりで、

エットレは家出して、ローマでアルドと暮らすようになります。

 

ローマでは同性愛者たちのパーティにも参加するのですが、

どぎついメイクやコスプレをしてたり、

オネエ感満載の雰囲気にエットレは不快になりますが

「仲間内で羽目をはずせるこういう場所は大事だ」

「私は彼らと違うかもしれないが、同じともいえる」とアルド。

 

そうこうしているうちに、エットレの親が探偵を雇って

ふたりの住み家を探し当てるのです。(あらすじ とりあえずここまで)

 

 

 

これ、映画館で何度も予告編見たんですけど、

思ってたのと全く違う!!

 

ふたりとも端正なお顔立ちで、先生の方は殉教者みたいで

きっと酷い扱いを受けても最後まで誇りを捨てずに

命をかけて教え子を守るんだろうな、とか。

バックに流れる「スリープ・ウォーク」のスチールギターも物悲しくて

う、ううっと泣ける感じなのかと思っていました。

 

「蟻の生態」のこともそれほど出て来ず、

アルドは理系の人ではなく、詩人で劇作家が職業。

趣味で蟻を研究しているんでした。

(有名な詩をそらんじているのか、即興で作ってるのかわかりませんが)

ふたりが詩を語り、見つめ合い、うっとりしてる姿が延々と・・・

 

3か月遅れくらいで、下高井戸シネマで観たんですけど、

ほんと、ここまで予想が外れるとは!

 

アルドは物静かな紳士と思ってたら、けっこう激高するし、

エットレの親に鍵を渡した大家を汚い言葉で罵ってました。

 

 

アルド・ブライバンティは有名人のようなので、Wikipediaに裁判のことも載っていました。

 

 

ざっとあらすじを最後まで(ネタバレ

 

そもそも、イタリアには同性愛を禁止する法律はありません。

「同性愛者など存在しない」ということになっているからです。

「ブライバンティ裁判」は、

イタリア初の「教唆罪」をめぐっての裁判ということで、有名になります。

有罪が確定すれば、5~15年のそこそこの刑。

 

証人はすべてアルドに不利な証言をし、

憔悴しきったエットレは最後まで先生を擁護しますが

「洗脳されているからだ」と相手にしてもらえません。

 

当時同性愛者は、治療して「まとも」になるか、

自殺するか、2つの道しかない、といわれている時代でした。

 

 

共産党新聞ウニタの記者、エンニオがこの裁判を傍聴しています。

裁判の進行や世間の反応にどうしても納得いかない彼は

アルドに面会して擁護する記事を書きますが、

上司から担当をはずされてしまいます。

 

ただ、エンニオの従妹など、彼を守るために声をあげる者たちもでてきます。

 

アルドは有罪になりますが、過去のパルチザンとしての功績の評価で

わずかの収監で解放されます。

エットレは家を出て、細々と絵を描く仕事をしていました。

アルドは母の葬儀で一時出所したときにエットレと会いますが

出所後は二度と会うことはありませんでした。  (おしまい)

 

 

本作は、「60年前のイタリアの同性愛者の迫害の歴史」ということで

紹介されているんですけど、

エットレの親の気持ちとかもわからないこともないし、ちょっと複雑な思い。

空気読まずにあえていわせていただくと、

「同性愛とか、あんまり関係なくない?」と思ってしまいました。

 

エットレはアルドには心酔しているけれど、ほかのゲイたちには嫌悪感をもっていて

ふたりはセックスで結びついているわけでもなく

信頼関係で絆を築いていることに誇りをもっているようです。

でも、性的関係もちょっとはあるみたいで、その辺はよくわからない・・・

 

エットレの年齢は出て来なかったけれど、出会ったときには未成年ですよね。

「アルドが未成年者をたぶらかして彼の可能性を閉ざした」

わけで、同性愛以上に重い罪のような気がします。

 

あれから60年以上たって

同性愛者への偏見は少なくなってきたかもしれませんが、

「教え子に手を出す」とか、「教え子を洗脳する」とか

今の方が厳しく裁かれますよね。

 

「教唆罪」というのは日本の刑法だと「殺人教唆」とか「自殺教唆」を連想しますが、

ここでは「精神的に隷属させる」のような意味のようです。

立場を利用したパワハラというより、マインドコントロールに近いでしょうか。

 

同じワークショップの仲間に(名前忘れたけど)すごくかわいい女子学生がいましたよね。

彼女は最後までエットレを気にかけてくれていたようで

もしアルドがエットレに目をつけて付きまとわなければ、

医学を学びながら、趣味としてアートもやって、

家族とぶつかることもなく、(幸せの定義は他人が決めることじゃないけど)

彼女みたいな子と結婚して幸せになったかもしれないのに

アルドはその可能性をつぶしてしまいました。

 

 

これって普通は罪にならないけど、「教唆罪」という罪にしたのであれば

私は納得してしまったけどな。

とんちんかんな感想で申し訳ない。

 

 

ただ、冒頭に出てきた、電気ショックを与えて「転向させる」療法は

これは絶対にダメです。

「同性愛は間違っているから正しく直す」というのはあってはならないこと。

 

でも「同性同士の結婚が認められない国は遅れてる」とか

「男性か女性かで分けるのはすべて差別」とかいわれると、

それはまだちょっと待ってて欲しいと思ってしまう今日この頃です。