映画 「ミツバチのささやき」 1985(昭和60)年2月9日公開 ★★★★★

(スペイン語; 字幕翻訳 吉岡芳子)

 

 

1940年ごろ スペイン、カスティーリヤ地方

オユエロス村の公民館に1台のトラックがやってきて

荷物を運びこみはじめると、村中の子どもたちが集まってきます。

それは巡回映画の一団で、今度の映画「フランケンシュタイン」は大傑作だよ!

と、興行主は胸を張ります。

 

入り口にはフランケンシュタインのポスターが貼られ、

「5時から公民館で「フランケンシュタイン」をやります」

「おとなは1ペセタ、こどもは2リアル」

チャルメラ笛を吹いて、歯のないおばさんが口上をのべます。

 

時間になると大人も子どもも椅子持参で次々に入場し、みるみる満員に。

そのなかには、幼いアナと姉のイサベルもいました。

「人類創造の神秘にせまる衝撃的な映画です。

創作物なのでくれぐれも真に受けて怒ったり怖がったりしないでください」

という注意のあと、上映がはじまります。

 

そのころ、養蜂家の父フェルナンドは面布をかぶって巣箱を開け、巣枠のチェックをしていました。

そして母テレサは誰かに手紙をしたため、汽車のポストに投函するために

自転車で駅に向かっていました。

 

 

大きな瞳ですっかり映画に見入っているアナ。

フランケンシュタイン博士がつくりあげた怪物は湖のほとりで

幼い少女メアリに出会いますが、メアリはおそれることなく

お花を摘んで怪物に渡していっしょに遊んでいます。

 

が、画面が切り替わると、男性に抱かれた血まみれのメアリの遺体。

 

「なんで女の子を殺したの?」「怪物もなぜ殺されたの?」

アナはとなりのイサベルに小声でききますが、イサベルは

「あとで教えてあげる」

 

夜になると、

「女の子も怪物も死んではいない。あれは精霊なの」

「聖霊は体がないから、あれは外を歩くときの変装なの」

とイサベルは教えてくれました。

「お友達になればお話もできる。目をとじて『わたしはアナよ』といえばいいの」

                    (あらすじ とりあえずここまで)

 

 

監督人生50年間に4作という超寡作のビクトル・エリセ監督の新作が

今週末に公開されます。

「瞳をとじて」では57歳になったアナ・トレントも出演するということで

猛烈に観たくなったのが本作「ミツバチのささやき」。

 

私が観たのは15年前なんですが、ブログを書きはじめたころなので

記録が残っていました。

そのときの感想はこちら

 

 

 

映画を見た感想は、自分でも驚くほど15年前と全く同じで

今見ても鮮烈な記憶が戻ります。(私の生涯№1作品ですから)

 

なので、今回は感想は省略しますが、

当時はブログにあらすじ(ネタバレ)は書いていなかったので、

今回はDVDをみながら

おおよそのストーリーを書いておくことにします。

 

つづきです(ネタバレ

 

 

アナとイサベルは学校帰りに道草をして

線路に耳をつけて列車が近づくのを聞いて遊んだり、

線路そばの古井戸を覗いたり、何者かが潜んでいそうな古い空き家を入ったりしていました。

 

イサベルは怪物に襲われて死んだふりをしてアナを怖がらせます。

アナは線路のそばの空き家にいけばなにかに出会えそうな気がして

その後もしばしば訪れていると、

ある日、ひとりの脱走兵がそこに潜んでいました。

 

 

映画のなかの少女のように男をまっすぐ見つめて

持っていたリンゴを差し出すと

空腹の男はうれしそうにそれを食べてくれました。

父のコートをもっていってあげたときは、

男はポケットの中の懐中時計で手品のように遊んでくれました。

 

ところがその晩、男は治安警察に見つかり、射殺されます。

コートと懐中時計からフェルナンドが呼び出されますが、

じきにそれを持っていったのがアナだとわかります。

 

アナはいつものように空き家にでかけ、血痕をみつけ驚いていると

そこには父の姿が。

アナは逃げ出し、村から姿を消します。

 

村中の人たちが探すもみつからず。

アナは森にはいりこんで、(毒キノコを食べ?)怪人の幻想をみていたのでした。

「わたしはアナよ」といいたくても口にできず、気を失ってしまいます。

 

翌日発見されたものの、ショックのために激しく衰弱しています。

医師は「アナはまだ子どもで酷い衝撃を受けているが

時期がくれば回復するはず。

大事なのは、アナは今生きていることだ」

といって母テレサを励まします。

 

やがて眠りからさめたアナは水を飲み干し、窓を開いて

イサベルに教わったことばをつぶやきます。

 

「おともだちになれば、いつでもお話ができる」

「目を閉じて呼びかけるの」

「わたしはアナです」           (あらすじ  ここまで)

 

 

映画館でみたときは、アナの気持ちに完全にシンクロして

興味をもったりおびえたりしながら見ていました。

不思議な聖霊と友だちになるのを夢見たり、

燃え盛るたき火を飛び越える年かさの少女たちや

毒キノコを靴で踏みつぶす父におびえたり、

あの「おともだち」のいた場所に血のかたまりを見つけたときの

ショックはどんなだったでしょう。

 

本作の日本公開は1985年ですが、つくられたのは1973年。

まだフランコ体制の末期くらいだということを考えると、

映画も自由な表現をするのが難しい時期で、

両親の関係とか、母の手紙の相手とか、すべてがなにかの(政治的)「暗喩」とも思えますが

そういう深読みは(映画を見る上では)すべてシャットアウトして

純粋にアナの心によりそって観るべき作品だと、今回も強く感じました。