「昭和の中央区」は 今回が初めてです。
以前、鶏料理の「玉ひで」のことを書いたことはありましたが・・・

 

 

私が人形町で知っているのここくらいしかないので、

わざわざトピックたてて書くほどのこともないのですが、

中央区の沿革図集を眺めていると、楽しくて時間を忘れてしまいます。

 

 

街の変遷は地元の方や詳しい方におまかせすることにして、

実は去年の秋くらいに人形町通りを歩いていて、信号待ちの時に撮った写真が

スマホに残っていました。

 


 

私の目をひいたのは、左側の看板建築で、

木造二階建ての上におまけの屋根裏部屋みたいなのがのっかっています。

 

たしか、震災直後の法律では、木造は2階までで

屋根裏部屋を乗せるのはぎりOKだったような気がします。

なので、復興建築で今も残っている店舗住宅では、

木造でがっつり3階建てにすることはできなかったので、

3階をマンサード屋根やドーマー屋根にしているのが多いのです。

この建物も、昭和のはじめくらいからあるような気がして

思わずスマホを向けてしまいました。

 

家に帰って地図を見たら、となりの和風建築も、そのとなりの派手な建物も

戦前からの建造物だったみたいです。

 

沿革図集の火保図よりも、同じ本の

昭和52年のイラストマップの方がわかりやすかったので・・・

 

 

中央を横に貫くのが「人形町通り」

ちょうど日比谷線の人形町駅の上あたりで、

このまま右方向が半蔵門線水天宮駅です。(改札外乗り換え)

 

 

家にあった80年代~00年代の住宅地図も持って

もう一度このあたりを歩いてきました。

 

 

①伊勢梅本店→ 近為 → 麵屋いし川 → 赤い鯨

 

 

 

左側の店舗は

今は担担麺のお店になっていますが、少し前までラーメン屋

 

 

 

その前は「近為」という漬物屋でした。

 

 

そしてその昔、建物が建った時は、伊勢梅という小間物店でした。

 

 

伊勢梅の「梅」のマークは今も健在。

梅の左右は、これ、多分「櫛」の意匠でしょうね。

やはり、大正末~昭和の初めに「伊勢梅」として建てられたもののようです。

 

「伊勢梅」ってどんなお店だったんだろう?

昭和52年のイラストマップではまた「伊勢梅本店」なので、

画像が見つかったらあとから貼っておきます。

 

 

② 日山本店

 

 

今はすき焼き割烹の「日山」ですが、ここは創業時から日山という肉屋でした。

震災後なら、もう創業100年になりますね。

高級肉店としては、「今半」とならぶ老舗だそうです。

 

 

③ 梅園 → パチンコ正村

 

 

人が多かったので、上のほうしか撮れなかったんですが

ネットから↓

 

 

古民家のまわりに看板をはりつけたような・・・

駅前のいわゆるパチンコ屋さんとは大違いですが、

普通に最新機種が置いてあって、「手打ち」の台というわけではないです。

 

昭和の初めには「梅園」という料理屋で、パチンコは戦後だそうですが、

それでも60年以上の老舗ですよ。

夜になったら目立つのかもしれないけど、

ド派手な看板のわりには、人形町の街にしっくりあっていたような気がしました。

 

 

 

人形町通りから甘酒横丁を曲がったところにある「玉ひで」の建物は

すでに取り壊され、これから12階建てのビルが建つようです。

 

 

「京扇堂」は古い住宅地図にものっていましたが、

すでに閉店した旨の張り紙がありました。

でもまあ、ここは京都のお店でしたね。

 

となりの「魚久」も「京粕漬」とありますが

大正時代にこの地で創業しました。

ここは人形町店で、1丁目にも本店がありますが、

震災復興建築だった本店ももうビルになっています。

 

刺身も寿司も大嫌いな私が唯一好きなのが、実はここの粕漬。

といっても、お安い切り落とし専門で、買うのも池袋西武ですが、

今、週3くらいでいただいているので、

そういう意味では一番お世話になっているお店かもしれません。

 

 

こういう「なんちゃって看板建築」もですが、

この通りは景観重視してくれてるお店が多く、

戦災の被害も少なかったから戦前からの建物もちらほら残っており

散策は楽しいです。