先日の啓志線に関する講演会で気合がはいり

することのない日に、廃線跡を「ぶらり」してみました。

上板橋駅から自衛隊の手前までのほんの2kmほどです。

 

私の街歩きのガイドは(友だちがいないので)

「昭和37年の全住宅案内図帳」!

 

 

この時期の住宅地図は、マス目に区分されておらず、

こういう町ごとの区分なので、どこがどこにつながるのか

目次を見ないとわからないシステム。(あ、⑯をコピーし忘れていますね)

 

昭和37年にはもう啓志線の路線は廃止になっていましたが

目次にはまだ記載があります。↑

でもそれぞれの地図のほうにはもう線路表示は消えていました。

(まあ想像はつきますが・・・)

 

 

 啓志線は上板橋で分岐したあと、東上線の南側をしばらく進みます。

 

 

細長いマンションがちょっとカーブしながらだらだらと続いています。

この道が廃線跡だったとしたら、探せばなんか残っていそうですが

廃線跡はマンションの敷地内なので、ここはスルーします。

 

旧川越街道とぶつかるところには、かつて踏切がありました。

 

 

この茶色に塗ってある道が旧川越街道。

そしたら、この「止まれ」と書いてある道が廃線跡?

と思いますが、違うんですよ。

この左側に建ってる緑と赤の家のあたりから、右奥に伸びていました。

ここも廃線跡には家が建ってしまっていますね。

 

昭和37年の地図だとこんな感じ。

 

緑の矢印が上の画像の向きです。

 

旧川越街道沿いは宿場町として栄え、今も古くからのお店が残っています。

青で囲った「野瀬商店」はお米屋さんで、大正の初めからこの地にありました。

(上の写真だと、右手になります)

 

 

こちらのサイトから該当箇所を貼らせていただきました。
 
 

 野瀬商店さんの脇の踏切から一直線に田柄川を越え、川越街道にぶつかります。

 

 

黄色が田柄川(今は暗渠)ピンクは川越街道で

これは今もあるから、啓志線がどこを通っていたかは、一目瞭然なんですよ。

ただ、廃線跡にはことごとく家が建っているから「痕跡」はホントにみつかりません。

 

 

航空写真や地図をみると、啓志線が走っていた場所に

斜めにながい建物が確認できて

ははぁ~!ここだね~!

と思うんだけど、現地でみてもしょうがないんですよね。

 

 

 川越街道の手前で田柄川を渡ります。

 

 

今は暗渠で遊歩道が整備されていますが、

なんの痕跡もなし。

 

 

ふつう、橋の跡にはなにかあるんですけどね。(京王線もけっこうありました)

ほんと、見事になにもないです。

 

 

 川越街道を渡ると、錦2丁目でカーブして

練馬倉庫(今の自衛隊練馬駐屯地)に向かいます。

 

お待たせしました!ここではちょっとした発見がありました!

 

 

これは練馬区の区政資料データベースから

「啓志線の踏切と現在の比較映像」です。

道の感じや電信柱とか酷似してるし、

なんといっても、公式のものなので

廃線跡をさがす決め手となる貴重な写真です。

 

 

これが令和5年12月の同じ場所です。

正面にNTTの電波塔。

ドン・キホーテのところで、川越街道と環八が交差しています。

 

平成29年↑

 

令和5年↑

 

ここに踏切があったんだ~としみじみしながら写真を撮っていたら

左の畑で農作業をしている男性がうっかり映りこんでしまいました。

もちろん消去するけど、ちょっと聞いてしまえ~と思って

踏切のことを聞いてみました。そうしたら・・・・

 

ここには線路はなかったですよ

だって!

練馬区の公式データでそういってるのに??

 

(小さかったからよく覚えてないけど)多分ひとすじ向こうだと思う」

といわれ、家に帰って地図を再チェックしました。

 

 

これが昭和37年の地図です。

矢印の方向から写真をとり、左下の畑でお話を聞きました。

 

 

 

練馬の資料(平成29年の写真)だと、Aの場所が踏切となっていますが、

線路を剥がしたか剥がさなかったくらいの昭和37年に

道がつながってないの、おかしくない?

 

この時代の住宅地図は縮尺とか道の幅とかかなりいい加減なんですが

つながってる道をあえてこうは書かないと思うのですが・・・・

 

 

これは平成のはじめごろの住宅地図ですが、

川越街道から斜めに入る道はすべて宅地化されています。

すでにこの時点で、残っている畑も私がお話を聞いた場所だけになっています。

 

廃線跡に斜めに建っているアパートがあるので、ここを通ったことは間違いないです。

(これは地図からの推測ではなく、近所の人の「聞き込み」情報です)

 

追記

 

民間のお宅はなるべく画像を載せないようにしていたんですが、

この「富士見荘」、すでにこういう状況なので、

更地になってしまうまえに1枚撮影させていただきました。(2024年3月20日)

 

 

線路の跡地に1962(昭和37)年に建築のアパートなので

ここだけ1棟、不自然なくらいの角度に建てられています。(追記ここまで)

 

 

 

「赤い線が廃線跡でAの場所に踏切」というのが通説っぽくなっていますが、

「緑の線が廃線跡でBの場所が踏切」という説を提案したいと思います。

 

理由

①地元に住んでいる人がここじゃないと言ってる。

②廃止になった直後の地図で道がつながっていない。

③踏切の場所で線路がカーブするのは不自然。

 

 こちらにつづきます