映画 「遺灰は語る」 2023(令和5)年6月23日公開 ★★★★★
(イタリア語、英語: 字幕翻訳 磯尚太郎 字幕監修 関口英子)
1934年スウェーデン
ノーベル文学賞はイタリアのルイジ・ピランデッロが受賞(当時のアーカイブ映像)
画面変わって、広い部屋のベッドに横たわる老人。
「私は死んだのか・・・信じられない…あっという間だった」
部屋の入り口に3人の子どもがあらわれ
近づくにつれて大人になっていきます。
女性は老人の手を握り・・・・
ピランデッロは1936年12月10日に亡くなり、
ムッソリーニ(らしき人物)が盛大な葬儀の手配をしようとしますが
本人の遺言では
「私の死は密やかに、体は裸のまま布にくるんで(遺灰は残さないで)欲しい」
「それがかなわぬなら遺灰をシチリアに運び
生まれ故郷の野にある岩石の中に閉じこめてほしい」
遺体は火葬され遺灰は壺におさめられますが、
故郷のシチリアではなく、ローマの墓地(壁のなか?)におさめられます。
ファシスト政権が終焉を迎え、敗戦国となったイタリア。
1947年になり、ようやく遺言どおり
彼の遺灰はシチリアに運ばれることになります。
中央がシチリアのアグリジェント市の特使。
遺灰は大きなギリシャ壺に移され、木箱にいれられ
ひもで縛られ、なかなかの大荷物です。
アメリカは成功を重んじる国だから、
ノーベル賞作家の遺灰の移送には大いに便宜を図ってくれる・・・
との言葉通り
木箱は空港までアメリカ兵の運転するジープに乗せられますが
でこぼこ道で揺れるし、自転車の列にぶつかりそうになるし
特使は常にひやひやしています。
アメリカの好意で空港からは米軍機で空輸という予定でしたが、
同乗者たちが「死人(遺灰)といっしょに乗るのはイヤだ」
と全員降りてしまい、パイロットにも拒否され
やむを得ず列車で移動することに。
ところが、特使が目を離したすきに木箱が消えてしまい
あわてて探すと、なんと上に覆いをかけて
カードゲームの台に使われていました。
列車といっても座席もなく、ほとんど貨車のようなところに
老若男女、国籍もバラバラの人たちに交じって
遺灰もシチリアに向かいます。
なんとか無事に到着しますが、こんどは司祭が
「ギリシャ壺に入った遺灰に十字を切るわけにはいかない」
とごねています。
誰かが
「それならキリスト教式の棺に入れればよいのでは」と提案。
ところがインフルエンザの流行で亡くなる人が多く
棺が不足していて子どもの棺しかありません。
(遺灰なのでスペース的には充分収まり)
これを学生たちが担いで街をパレードします。
15年くらいたってようやく高名な芸術家による墓石が完成し、
埋葬のため、こんどは新しい小さい骨壺に入れ替えますが
全部は入りきれず。(なかなか雑な扱い)
新聞紙のうえに残った遺灰をひとりの男が集めて包んで
ポケットにいれ・・・・・
海へ散骨します。(ここで いきなりカラーになります)
(1部のあらすじ ここまで)
予告編の印象では、やたらと上映時間が長い作品に思えて
リストにいれなかったんですが
このあとの2部をいれてもわずか90分!
これだけのなかに映画ならではの豊かな表現がたくさん込められています。
敗戦処理からはじまるイタリアの戦後史も垣間見ることができます。
公開時に見逃しましたが、
下高井戸シネマの1週間限定の再上映に間に合いました。
ちょこちょことコミカルな場面も出ては来るのですが
安らかな死を迎えた人への敬意が感じられる作品でした。
「遺灰は語る」という邦題が秀逸で、
もちろん遺灰のナレーションなんかないんですが
常に遺灰の声が聞こえるような気がしていました。
シチリアの特使がはらはらおろおろしているシーンでは
「私は大丈夫だから落ち着いて!」といっているようだし
小さい棺にいれられて、街の人たちから
「子どもかな?」「小人かな?」といわれてたところでは
笑いをこらえていたかもしれません。
そして、最後、遺灰の一部が地中海に散骨されるところでは
「ありがとう~」という声が聞こえたような気がしました。
遺灰の移送から15年くらいたっているから
散骨したのは特使ではなく、若い役所の人じゃなかったかな?
特にゆかりのない人のポケットに入れられて
望み通りのことをしてもらえて
その瞬間、モノクロからカラーに切り替わり
濃い青の海の色が広がる・・・もうここで泣きそうでした。
遺灰の残りは有名な彫刻家のオブジェのなかにおさめられたようですが
ピランデッロが希望していたのは
「そこらへんの岩の割れ目」だったでしょうから、
こちらのほうはあんまり嬉しくもなかったのかもね。
ましてや、もしも、ムッソリーニの指示通りに黒いシャツを着せられて
派手な祭壇で ノーベル賞のメダルを飾られて国葬とかされたら・・・
ものすご~くイヤだったでしょうね。
散骨のシーンのあと、
「釘」という字幕がでて、
ここからは、ピランデッロが死の間際に書いた短編の映像が流れます。
(ブルックリンで実際に起きた事件をもとに書いたそうです)
前半の「遺灰の旅」とは関連していないので、
この部分は青字で書いておきます。
バスティアネッドという少年は幼い時に父と移民船でアメリカへ。
数年後、父のレストランの開店日、ウエイターとしてよく働き
「踊れる曲」をリクエストされると、即興でダンスまで披露します。
父にも感謝されて、スタッフたちの賄いの食事がはじまりますが
彼はふらりと外に歩いていきます。
馬車から太い釘が目の前に落ち、それを拾い上げると
そばで女の子2人が
なかなか派手な取っ組み合いのけんかをはじめます。
彼は無言で近づき、ベティという少女の頭に釘を振り下ろします。
ベティは倒れて動かなくなり・・・・・
彼は逮捕されますが、何も理由をいわず、ただ
「定めだった」とだけ。
警官たちは困り切っています。
「一生君を忘れない」
出所したバスティアネッドは、毎年べティのお墓参りを欠かさず
年老いても、それはずっと続きました。 (「釘」ここまで)
青字の部分は 前半とは関係なく、
しかも「そこに釘があったらから殺した」という、なんともいえない「不条理劇」。
こういうのを「解釈」するのは苦手なので、ちょっととまどってしまったのですが、
結局のところ、この遺作の短編の映像化は
故人へ捧げる「供物」「捧げもの」ではなかったのか?
で、それはピランデッロだけでなく、
数年前に亡くなった「タヴィアーニ兄弟の兄、ヴィットリオ」に対して
心を込めて手向けられたものではないか?
と思うようになりました。
本作の監督である弟のパオロ・タヴィアーニ自身もすでに90歳を超えた超高齢者で
自分がどう見送られたいか、きっと常に考えていると思いますよ。
(ひよっこ高齢者の私でも考えるくらいですから)
本作の原題は「さらばレオノーラ」なんですけど
レオノーラなんてどこにも登場しません。
ピランデッロの作品に同じタイトルの短編があるそうなので
(兄の生前)構想段階ではきっとレオノーラが登場するシーンもあったのでしょう。
兄への思いをこのタイトルに込めたのだと思うと、なんか納得できます。
タヴィアーニ兄弟の作品、ブログに書いたのはこれしかなく
私なんかがあれこれ考えるのもおこがましいですが
「どこにも書いてないけどしっかり伝わること」に満ちた珠玉の作品です。
最後に劇場の円形の天井が映し出され、
ピラデッロによることばがアナウンスされます。
時は流れ、人生のシナリオとともに私たちを連れ去る。
私はもう台本を丸めて小脇に抱えてしまった・・・・
時間をかけてゆっくり味わいたいことばです。