映画「エリザベート1878」 2023(令和5)年8月25日公開 ★★☆☆☆

(ドイツ語、ハンガリー語、英語、フランス語:字幕翻訳 松浦美奈、字幕監修 菊池良生)

 

 

1877年12月

浴槽に沈み息をとめるエリザベート。

侍女に時間を図らせています。今回は1分44秒!

 

エリザベート万歳!ハプルブルク家に栄光あれ!♪

と、記念式典では、ウィーン少年合唱団には歌で称えられるも

エリザベートは気を失って倒れます。

 

これは式典にうんざりしたエリザベートのお芝居だったようで、

宮殿に戻った彼女は、従兄弟のルードリッヒに

「気絶するお手本」をみせてふざけあっています。

それを苦々しく見ている夫のフランツ・ヨーゼフ1世。

 

クリスマスに備えて大きなツリーが運び入れられ

娘のヴァレリは目を輝かせますが

エリザベートはクリスマスと同時にやってくる

自分の40歳の誕生日が憂鬱でなりません。

 

 

食事制限してこまめに体重を図ったり

ウエストをきつくコルセットで締め付けるも

美貌の衰えはなんともしがたく、不眠症にも悩んでいます。

 

眠れないエリザベートは夜中にヴァレリを起こして乗馬をさせ

40℃の高熱を出させて、フランツに激怒されます。(あらすじ とりあえずここまで)

 

 

オーストリア皇妃エリザベートの美貌とそれを保つための努力、

奔放な性格は有名で、いろんなところで題材にされてきました。

 

波乱万丈の彼女の生涯のうち、40歳になった1年に絞って描いた本作。

字幕監修までつけていたので、期待していました。

結婚した頃さんざんうるさく干渉してきた姑、

というか

皇太后のゾフィーはもう年齢的に亡くなっているでしょうし、

エリザベートが60歳まで生きたことも知っていたから

えっ、なにかあったっけ???

と思いながら見ていました。

 

 

中央がエリザベート、左が皇帝フランツ(夫)、右がゾフィー皇太后(姑)

エリザベートが抱いているのが皇太子のルドルフです。

(ルドルフは1858年生まれなので、20年くらい前の写真ですね)

 

子どもたちも成長して、義母も死んだら楽勝じゃん!

とか思っていたんですが、絶世の美女はその容貌の衰えが許せないんですね。

 

肖像画は信用できないから、40歳の写真があったらよかったんですが・・・

 

これは30歳くらいのとき

美しい!

 

きれいだけど、

なんか、ちょっと違う??

 

で、40歳のときに何があったかっていうと・・・・

とくに何もないんですよね。

 

自由にふるまうのが許されないストレス満載の世界。

かまってくれない夫、乗馬や旅に逃げる日々・・・

史実とされることや真偽不明のエピソード、

それに絶対にありえないフィクションも交えて

いろんなエピソードが細切れにでてくるだけで

悪いけど、退屈でした。

後半は省略したいところですが、覚えていることだけメモしておきます。

 

あらすじつづき(ネタバレ

 

1878年1月 イングランド

息子のルドルフや侍女たちを連れて、旅行をたのしむエリザベート。

ここにはお気に入りの馬の調教師のベイがいるのですが

彼と親密すぎるのは不適切だ、距離を置くべき、と

こんどは息子からも忠告されます。

 

ここでは、フランス人の発明家ルイを紹介され

「動く写真」を開発中の彼はエリザベートを撮影したいといいます。

「音はまだ録音できない」と聞くと

大声で叫びながら飛び回って撮影に応じるエリザベート。

 

馬ででかけたエリザベートが落馬しているのが発見され

彼女は無事でしたが、馬は骨折して銃殺されます。

落胆したエリザベートは宮殿に戻ります。

 

1978年3月 ウィーン

落馬を気遣うフランツを全裸で挑発したり

嫌がる侍女を無理やり馬にのせたり

相変わらずやりたい放題のエリザベート。

 

偶然街なかで、フランツが若い女と親し気にしている姿を発見。

侍女に服を借りて、彼女に近づいて会話をします。

(後日、夫の愛人になってほしいと頼むシーンもありました)

 

ルドルフがプラハのアカデミーで学ぶことになり

エリザベートは息子のベッドにもぐりこみ、別れを惜しみます。

ルドルフも厳格な父とは相いれない部分が多く

「母親似なのかも」と言います。

 

エリザベートも、

旅行にいかせてもらえなかったり

タバコを吸って怒られたり

フェンシングで手加減されたり

政治に口を出すと拒否されたり・・・

フランツにイライラして、窓から飛び降りてしまいます。

幸い、腓骨の骨折だけですみましたが、

医者を呼んだだけで見舞いにこない夫に、またイライラ。

 

 

1878年5月、バイエルン。
従兄弟のルードリッヒはバイエルン王なので

彼の別荘でいちゃつきますが、

ルードリッヒはゲイのようで、彼女の挑発には乗らず。

 

帰り道、侍女マリーから

「伯爵から求婚されました。私には最後のチャンスです」

といわれますが

「許可しない」とあっさり却下。

 

 

1878年7月、ウィーン。

エリザベートは娘のヴァレリを連れて負傷兵の慰問へ。

片足のない若い兵士に欲しいものを聞くと

「タバコが吸いたいです」

彼に火のついたタバコを与え、となりに寝て一緒にタバコを吸う母をみて

ヴァレリは

「タバコはよくないし、恥ずかしかった」と。

 

医師から勧められたヘロインを手放せなくなり

式典には黒いベールをかぶせて侍女のマリーを身代わりに使い

長い髪も自分で切り落としてしまいます。

娘のヴァレリは驚き、

髪結いが業務だった侍女はショックで涙ぐみます。

 

侍女たちをひき連れて大きな船に乗り込むエリザベート。

黒いドレスを着た彼女は船の舳先へ進み

そこから海にとびこみます。        (おしまい)

 

 

最後はびっくりしました。

前進しているあれだけ大きな船の舳先から飛び込んだら、間違いなく死ぬよね?

60歳のときに反政府主義者に刺されて亡くなったということは

ミュージカルを知らなくてもけっこう有名な話なので

もう戸惑うしかないんですけど・・・・

 

1年間だけを丁寧に描くのなら

時代考証も完璧だろうと思って、最初のうちは・・・

 

 

たとえば、コルセットの下に、こんなユニクロみたいなパンツ履いてても

身長体重の単位にcmやkgを使っていても

体温にセルシウス温度がつかわれていても

「ふーん、そうだったんだ~」と感心しながら見ていたんですが、

そのうちになんか違和感ばかりで、

どこまで信じていいのかわからなくなりました。

 

確認できたことでいうと、

ピアノで弾いてた「エリーゼのために」はあったけど、

ハープで弾いていた曲は今の曲ですよね?(ローリングストンズの"As Tears Go By")

ウィーン少年合唱団がセーラー服を着るようになったのも

(これは調べたんですけど)1924年以降です。

 

あのフランス人の発明家はルイ・ル・プランスという実在の人物で

1890年代に映画を発明したエジソンやリュミエール兄弟より早かったとされていますが、

早いといっても1888年。

それより10年も前の1878年には絶対になかったはずです。

 

エリザベートが飛んだり跳ねたりする動画が残っていたら楽しいですけど

なんでこういう誤解を生むような話をつくるんだろう?

 

1878という年号が入るのは邦題だけですが

この時代をもっと体感できるつくりにしてほしかったです。

 

ちなみに、原題は「CORSAGE」で、そのまま読むとコサージュですが

ドイツ語ではコルセットの意味もあるそうです。

 

コルセットでグイグイ締め付けるシーン、予告編でも度々出てきました。

美しさのために・・・ということですが

40歳の女性がそこまで求められている?

医師が「平民女性の平均寿命です」と言っていたから

当時の40歳はもう「おばあちゃん」ですよね?

そんなウエストの細さよりも

温和な人柄や優しい気づかいのほうが求められている気がするんですけどね。

 

いろんな国の言語が飛び交い

どこへいっても「親戚が王様」というのはスゴイですけど

私には面白さはほとんど伝わりませんでした。

 

都内の上映館はTOHOシネマズシャンテとル・シネマ。

私なんて、ターゲットど真ん中だと思うんですけど、

観客層はどの辺を狙ってたんだろう?