映画 「バビロン」 2023(令和5)年2月10日公開 ★★★☆☆

(英語・スペイン語、 字幕翻訳 松浦美奈)

 

 

1926年、カリフォルニア州ベルエア。

トラックの運転手は、「象を運んで欲しい」という依頼にびっくりしています。

パーティの余興で使う象の調達を命じられたメキシコ系スタッフのマヌエル(ディエゴ・カルバ)は

運転手といっしょに必死になって、命懸けで象を牽引して山越えをしています。

 

彼の働く「キノスコープ」の重役ドン・ウォラックの屋敷では

大物俳優や有名人が集まって酒とドラッグのクレイジーなパーティの最中。

ほぼ裸の男女が入り乱れ、酒池肉林の様相です。

二階では未成年の女の子を連れ込んでさらに不適切なことが行われているようです。

 

そこへ自称スターのネリー・ラロイという女(マーゴット・ロビー)が

招待状もなくやってきて、入り口で警備ともめています。

それを見たマヌエルは

「ネリー・ラロイ、みんなが待ってる!」と声をかけ、中にいれてあげます。

ふたりは初対面でしたが、一緒にコカインをやりながら

映画の世界で働く夢を語り、意気投合します。

 

女優志望のネリーは、たまたまパーティの最中に過剰摂取で倒れた女優の代役で

翌日撮影現場に呼ばれ、

マヌエルも、泥酔した大物俳優ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)を

家まで送り届けて気に入られ

いっしょにセットに入ることができました。

2人とも出会いのパーティの翌日に大きなチャンスをつかんだのです!

 

ネリーの役は端役の娼婦でしたが、

持って生まれた妖艶さと勘のいい動き、

思い通りに涙を流せる演技力で、要求の多い女性監督に気に入られ

大型新人として「野生児」のキャッチフレーズで人気者に・・・

 

一方のマヌエルも、「エキストラのストライキへの対応」で凄腕を見せ

壊れたカメラの補充に走って、なんとか日没直前に間に合わせ、撮影も成功、

監督からは「カメラボーイ」と褒められます。

 

 

1927年、

ジャックの付き人として現場経験を積んでいたマヌエルは

ワーナー社が成功したトーキー映画のプレミア上映をみてくるよう命じられ、

訪れたニューヨークで、偶然ネリーと出会います。

彼女はおかかえの運転手をもつほどのスター女優になっていました。

 

映画「ジャズシンガー」のプレミア上映会は大盛況で

スタンディングオベーションで熱狂する観客たち。

「これからはトーキー映画だ。時代がかわった」

と興奮してジャックに電話をかけます。   (あらすじ とりあえずここまで)

 

 

上映時間189分!

これもけっこう長尺です。

(巨大卵巣嚢腫摘出でトイレ問題は解決しましたが)

最近めっきり集中力が持続せず、

どうしようかな~と迷ったうえの鑑賞。

 

レイティングも、R15だとか最初はR18だとかいわれてたから

過剰なお色気シーンがあるのかな?と思ったんですが

ウ〇〇とかオシ〇〇とかゲ〇とかのほうの「過剰な下ネタ」でしたね。

象のウ〇〇を盛大に浴びるところから始まって

放尿プレイとか卑猥な形のものが氾濫し

裸といっても汚いのばかりで、正直嫌悪感・・・・

チャゼル監督って、こういう作風でしたっけ?

 

それでもマヌエルとネリーが「映画の世界で生きたい」という夢のきっかけをつかみ

それぞれに努力して切磋琢磨して駆け上がっていくところは

楽しくみられていたんですが・・・・・

 

つづきです(ネタバレ

 

 

 

 

1928年

ネリーもトーキー映画に挑戦しますが、

同時録音なので、まわりはぴりぴり緊張しており

NG連発でくたくたです。

サイレントの時は、動きや表情だけでよかったのが、

声の高さやイントネーションやアクセントも大事で

ネリーは田舎育ちがバレバレ。

「薄汚いアバズレ」「カエル声」と陰口いわれて、精神的に辛くなると

ドラッグ依存がはじまり、

中国系シンガー、フェイに誘われるうちにバイセクシャルの道へ・・・・

 

一方マヌエルは、

楽団のトランペット奏者シドニーが

「カメラはわれわれを撮るべきだ」といったのにピンときて

彼を主役にした短編の音楽映画をつくると、これが大当たり。

映画製作者の道がひらけてきます。

 

 

ネリーがトーキーの世界で苦労しているのを知ると

「ネリー・ラロイをレディにする」計画をたちあげ

イメージが悪くなる、と、フェイとの同性愛を禁じます。

 

上流階級の集まるパーティにも連れていきますが

ネリーは彼らのバカにするような視線に我慢がならず

暴言と嘔吐で、マヌエルの努力をだいなしにしてしまいます。

 

 

自分を最初に認めてくれたプロデューサー、ジョージが自殺したことで

ジャックは沈んでいました。

舞台女優でセレブな3番目の妻が、自分のアクセントにダメだししたり

映画を下にみていることにもイライラしていました。

 

1930年

ジャックはようやくトーキーでラブシーンを演じることになりますが

「きみこそわが命だ」と告白するシリアスなシーンで

観客たちがくすくす笑っているのをみて傷つきます。

 

1932年

マヌエルの家に姿を消していたネリーが突然やってきて

「カジノで大負けして、たちのわるいギャングに追われている」

「8万5000ドル用意できないと私は殺される」と・・・

「君はスターだったんだから金はあるだろ?」

「もう全部使っちゃった」

「助けるたびに君には失望させられる」

 

マヌエルはスペイン語で罵り追い出そうとしますが

行くあてのないネリーを不憫に思い

「なんとかするから・・・」と家にいれてしまいます。

 

マヌエルがお金の工面を部下に頼み

ギャングの事務所?に現金入りのバッグをもって訪れると

酒をすすめられ、どんどん地下に案内されます。

実は部下が用意してくれたのは撮影用のの小道具の札束で

それがギャングのボス(トビー・マグワイア)にバレて

命からがらそこを退散します。

 

 

ジャックはベテランゴシップ記者のエリノアから

「あなたが笑われたのは、あなたの声のせいでも悪意からでもない」

「あなたの時代はおわったのよ」

「でも忘れられても、あなたの映画はのこる。

50年後に生まれた子どもも、あなたの映画をみて、友人のように思うでしょう」

与えられた幸運を感謝しなくては・・・・

 

 

ジャックはその後、妻に

「葉巻をとってくる」といって上にあがると

拳銃の引き金をひいて自殺します。

 

マヌエルはギャングの殺し屋に見つかり、殺されそうになりますが

命乞いをしてメキシコに逃げます。

 

シドニーは映画を離れ、またクラブで演奏するようになり

ネリーは34歳で遺体で発見されます。

 

1952年

20年後、マヌエルは妻子をつれて「キネスコープ」のスタジオを訪れていました。

妻子をホテルに帰し、ひとりで映画館にはいります。

「雨に唄えば」を聞きながら涙ぐむマヌエル。    (あらすじ ここまで)

 

 

 

映画の宣材写真では、たいていブラピとマーゴットが中央にいますけど、

この映画の主人公はあきらかにディエゴ・カルバ演じるマヌエル(マニー)です。

 

 

野心家ということでは彼もネリーとおなじですが

自分をおさえて冷静に行動することができ、

あの時ネリーを突き放していたら、その後成功を収めていたのか??

彼の目指すのは「映画製作者」ですが、

「ヘイル・シーザー」でジョシュ・ブローリンが演じた「何でも屋エディ」を思い出しました。

こういう役回りの人だって、ハリウッドには不可欠ですね。

 

 

彼とかかわる5人をくわえた「群像劇」ということなんでしょうね。

最初のウォラック邸でのパーティにもこの6人はいて、

それぞれに印象的な登場をしています。

 

 

ジャックはサイレント映画のスターで

「『役者と犬お断り』だった俳優の地位をあげたのは自分だ」

と豪語しており

「映画は孤独を忘れさせてくれる」

「芝居だったら10万人動員はヒットだが、映画だったら失敗作だ」

と、ことあるごとに映画のすばらしさを強調していましたが、

トーキー映画到来で、「過去の人」となってしまいます。

 

 

 

11年前にアカデミー賞に輝いた「アーティスト」に登場した

ジョージ・ヴァレンティンを思い出しました。

 

 

 

トランペット奏者シドニー・パーマーは

トーキーならではの音楽映画に起用されて脚光を浴び、高級車を手に入れたりしますが、

顔に靴墨を塗らされたりの外見重視には耐えられずに

また昔のクラブのトランぺッターに戻っていきます。

 

 

シルクハットをかぶってタバコをくゆらし、セクシーに歌うレディ・フェイ。

パッと見、ディードリッヒを意識している感じですが

アップになると、「金スマ」で社交ダンスを踊るキンタローにしか見えず、ちょっと笑った・・・

彼女は家の仕事を手伝い、字幕を書く仕事も兼務していて

実は堅実な人なのでした。

 

 

こういう映画にはつきものの、ゴシップ記者のお局的なエリノア。

結局、彼女のことばが一番説得力あったかも。

 

 

 

ラストは映画をみる観客たちの顔が映し出され

ひたすら「映画愛」に満ちた作品・・・なんでしょうけど、

大衆娯楽である映画を蔑む層に、終始ケンカうってましたね。

 

気取った人たちのパーティに出て、ブチ切れて

テーブルひっくり返して高価な絨毯にゲ〇吐いて

「よくやった!」って思う人がどのくらいいるのか?

 

それに限らず、不愉快なシーンが多すぎて

わたしは下ネタけっして嫌いじゃないんですが、

センスがないし笑えないし・・・で、これもイヤ。

 

「ハリウッドのあの時代に生きた6人の群像劇」と思って観ていたのですが

シドニーとフェイに関しては

黒人差別やバイセクシャルで多様化を出して「賞レースにでるため」っぽい?

時代考証も、なんかいい加減な気もするし

個人的にはどうしても好きになれない作品ですが

俳優(特にマードット・ロビー)は熱演でした。

でも、野心満々でちょっとイカレた役はもうこの辺で終わりにしてあげたいです。

 

ゴールデンクローブの作曲賞受賞、

アカデミー賞ノミネートも美術と衣装デザインと作曲だけにおわったのも納得。

役者の評価は高いですが、監督賞や脚本賞はかすりもせず。

3時間以上かけて観る価値はないようにも思いましたが、

なぜか、「観てよかった」という満足感はありました。

 

散々ほかの人のレビューを見倒してからいったのですが、

なんというか、予告編を観ても、人の話を聞いても、わからないことが多く、

これはぜひとも自分の目で見るのがいいと思います。

(私にはダメだったけど)

好きな人にはハマる映画かもしれません。