映画 「ヒトラーのための虐殺会議」 2023(令和5)年1月20日公開 ★★★★★

(ドイツ語:字幕翻訳 吉川美奈子、 字幕監修 柳原伸洋)

 

 

1942年1月20日、

ベルリンのヴァンゼー湖畔の大豪邸の広間で

会議の準備がすすめられています。

親衛隊のアイヒマンやミュラー、それに記録係をつとめる秘書の女性が

ペンやノート、そしてネームプレートを席に配置します。

 

この会議を招集したのは国家保安本部長官のR.ハイドリヒ。

ナチスの親衛隊幹部や政府の事務次官らがつぎつぎに車でやってきて

12時から、後に「ヴァンゼー会議」と呼ばれるユダヤ人の「最終処理」を話し合う、

ほんの90分ほどの会合がはじまるのです。

 

 

中央にいるのがR.ハインドリヒ長官で

左側にミュラー、右にホーフマンで、彼らは親衛隊の中将。

記録係の女性、ヴェーレマンの左がアイヒマン中佐。

ここまでが主催者側で、一部を除いて左列に軍人、右列に背広組という配置です。

 

 

 

左列の下座に座っているランゲ少佐はこのなかでは多分一番若く、階級も下で、

上司の代理で出席しているので、背広組の次官たちの顔がわからず

会議前、ベテランのシェーンガルドから説明を受けています。

 

左がランゲ、右がシェーンガルド

 

 

この辺が政府高官の背広組。

 

中央の外務省次官補のルターは保安警察にすでに懐柔されてむしろ協力的。

ほかの次官たちも、自分たちの仕事に支障なければ何もいわないが、

シュトゥッカート内務省次官(左から2番目)が要注意人物だと説明されます。

 

ハイドリヒ長官が席につくと12時に会議がはじまり、まずは、

この湖畔の邸宅は国家保安本部の管理下で

気に入ってくれたら

格安で貸し出しもするからぜひご利用下さい、とか

軽いジョークで場をなごませます。

 

本日の議題は「ユダヤ人問題の最終的解決について」

 

ゲーリング元帥から受け取っている指示書には

「組織面、実務面、物資面で必要な準備をすべて行い、

ヨーロッパのユダヤ人問題を総合的に解決せよ。

関係中央機関を参加させ、協力して立案し検討するように」

とあり、本日の会議で、

ヨーロッパの全ユダヤ人の具体的な「最終処理方法」を議論していくと。

 

早速

「軍需産業の熟練工のユダヤ人を失うのは国家の損失だ」

「高齢者のなかには先の大戦でドイツ軍として功績をあげたものもいる」

「強制的に東方疎開させると、親戚たちから問い合わせがあいつぐはずで、

ドイツ国内のユダヤ人については慎重にすべき」

などの反論があいつぎ、ハインリヒは順に説得を重ねます。

 

そのなかで最後まで折れなかったのが、件のシュトゥッカート内務省次官。

「混血であっても、ユダヤ人の血が入っている以上、処分の対象にする」

と主張するホーフマンに対して、猛烈に抗議します。

 

「ユダヤ人に関してはすでに国内法があり、

(軍部が)独断でそれを変えるのは違法行為」

「四分の一ユダヤ人や二分の一ユダヤ人は、第一級二級混血のドイツ人であり、

彼らは今後ユダヤ人との結婚が禁止されているから、ユダヤの血はどんどん薄まる」

「それほど気になるのなら、

彼らに(疎開ではなく)断種を迫ればいいことでは!」

 

突然の提案に、ハイドリヒ長官の顔が凍り付きます。

                     (あらすじ とりあえずここまで)

 

タイトルはおどろおどろしいですが、

これは2時間弱の上映時間のなかに約90分の会議の全貌を収めており、

戦場も虐殺場面の挿入もなく、

美しい湖畔の豪邸での会議のようすがひたすら映し出されます。

休憩時間の軽食もサーモンとかコニャックとかゴージャス。

 

唯一の女性職員の職場環境を気遣ったり、食事をとり分けたり

基本、高官らしい紳士的なふるまいの者が多く、

ここで話し合われる議題とのギャップが信じられません。

 

まるで害虫駆除問題や、ゴミの最終処分場を押し付け合っているようで

ユダヤ人を抹殺しようとしているようにはとても思えません。

 

保安警察の方針に反対する者もいましたが、

ただ、「ユダヤ人は排除すべき」という認識は一致しており、

これに関しては誰も異論を唱えない(唱えられない)状況でした。

 

自論を曲げないシュトゥッカート内務省次官が現れたときは、

普通の劇映画だったら、ここから形勢逆転となる

「12人の怒れる男」のヘンリー・フォンダみたいな展開を期待してしまいますが、

残念ながらこれは史実であり、「原作」は会議の議事録ですから、そうはいきません。

 

結局、彼は法律の草案者としての自分の立場を尊重してほしかっただけで

「ひとりでも多くのユダヤ人を救おう」という思いがあるわけでもなかったのです。

 

つづきです。

 

 

 

すると今度はシュトゥッカート内務省次官の隣(左端)にすわる

クリツィンガー首相官房局長が発言します。

彼は牧師の息子であり、元兵士で、戦争のトラウマを引きずる人物です。

「1100万人ものユダヤ人を射殺するとなると、24時間体制でも膨大な時間がかかる」

「それよりも心配なのは、処刑に携わる若いドイツ人の青年の精神状態だ」

 

ハイドリヒ長官は、アイヒマンに発言を振って、

ガス室での大規模処刑の案を提案させます。

 

「収容所に到着するとすぐ、労働力になりそうもないものを分別し

シャワーだといって服を脱がせてガスで処理」

「すぐに処刑することで、収容所での経費も抑えられる」

「遺体は穴に埋めるのではなく、焼却炉で焼き、その処理はユダヤ人にやらせる」

「もっとも効果的で秘密裏に行えるガスの配合なども実験で実証されており、

すでに施設の準備もすすんでいる」

 

はじめ反対していたクリツィンガー局長や会議のメンバーも、

アイヒマンのプレゼンを聞くと、効率的で合理的であると同意し、

会議はおひらきとなり、みんな車で帰っていきます。

                              (あらすじ ここまで)

 



2時間近い上映時間のあいだ、凄惨なシーンはただのひとつもありません。

 

もし議題が「放射性廃棄物の最終処分」とかだったら

非常にスムーズな議事進行で、プレゼンも質疑応答も理想的で

90分の実りある会議といえるんですが、

「東方疎開」というのは「強制連行」

ユダヤ人の「最終的解決」というのは「集団虐殺」のこと。

そんな話し合いがこんな風光明媚な静かな湖畔の豪邸で

こんなに淡々と行われていたとは・・・!

 

 

ここにいる親衛隊や政府の高官たちの倫理観や利権争いを

激しく攻撃するレビューが目立ちますが、

じゃあ、自分はあの場に居合わせて

「ユダヤ人も同じ人間なのだから、殺すのは間違ってると思いま~す!」

とか、発言できるのか?

せめて一部のユダヤ人を「有益だから」「法令に従うべきだから」という理由で

外そうと試みるのが限度だったと思います。

単に国のために彼らを利用しようとしていただけのか

無駄な殺人は避けたいという気持ちがあったのかは定かではないですが)

 

シンドラーだって、杉原千畝だって、

「ユダヤ人迫害反対!」なんてことは言えないけれど

自分の立場でしてあげられる精いっぱいのことをしたのだから・・・

 

 

 

上官の命令に従ったアイヒマンの行為は「根源的悪」ではなく、

「悪の凡庸」である・・・・

そういったハンナ・アーレントのことばがずっと頭のなかを駆け巡っていました。

 

そのアイヒマンですが、

この会議のなかでは、多分ランゲ少佐の次くらいに下っ端で、

雑用係のように登場しましたが、

ハイドリヒ長官に急に振られても、即答できる反応の良さ。

最後のプレゼン能力をみても、彼の優秀さが伝わります。

その後、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官だったことから

当然のことながら、戦後、裁判にかけられて絞首刑になるのですが、

30代の彼の姿をみて、「悪の凡庸」についてまた、考えさせられました。

 

エンドロールに至るまで音楽も効果音も排除して

全編ワンシチュエーションの会話劇。

ああ、それなのに、少しもだれることなく最後まで

脳内は(それなりに)フル回転していたように思います。

 

 

 

私はなんの予備知識もなかったのですが、たとえば

制服に詳しい人がみたら、きっと色や形や階級章から

いろんな情報が読み取れるんでしょうね。

 

 

右から2番目のライプブラントは

東部占領地域のトップなのに、なんで背広なのか?

だれか教えてくれないかな?