タイトルをみて

「は?」

と思われると思うので、一応場所の説明から・・・・・

(今回は「本」のことではなくて、「建物」の話です)

 

 

 

これはもうすぐ始まる神保町古本祭りのマップなんですけど、

「11軒長屋」とは、

中央の神保町交差点から靖国通りを東に行って

厳松堂のビルと書泉グランデの間にかつて存在した

(そして今もほんの一部が残っている)長屋形式の古書店群のことです。

(なんと、書泉グランデがマップに載ってない!

古本まつりだから、書泉とか東京堂とか、新刊の書店は載せてもらえないんですね、びっくりだ!)

 

 

このエリアは、1923(大正12)年の関東大震災で、壊滅的被害をうけ、

小坂質店の土蔵(下の地図で「土」と書いてあるところ)以外は焼け野原だったそうです。

そして ここは震災後、大正時代末に「震災復興住宅」として建てられた耐火建築でした。

 

下は戦後の写真ですが、銅葺き屋根にドーマー窓、

11軒が軒を連ねた、大正モダンのしゃれた建物だったんですね。

 

 

 

私の持っているなかで一番古いのが、1930(昭和5)年の住宅地図。

変遷を追っていくために、西側から番号をつけてみました。

 

 

このあとの太平洋戦争でも、ここは空襲を生き延びました。

モルタルや銅板のファサードが延焼を防いだこともあるんでしょうが、

貴重な文献を守るために米軍が空爆を避けたという説が有力です。

 

そして戦後!
(私自身のわかる範囲で書きたいので、一気に昭和50年代まで飛びま~す)

 

 

上は1976(昭和51)年の住宅地図と画像です。

(画像は北側から撮影しているので、地図とは左右が逆になっています)

 

 

 

こちらは1981(昭和56)年。

上のモノクロ写真にトラックや通行止めのバリケードが見えますが、

この時靖国通りは、都営地下鉄新宿線の工事中でした。

 

 

11軒長屋から、いち早く完全に脱退したのは⑪の小宮山書店。

1937年創業で、長屋時代もあったんでしょうが、もうすでにビル化しています。

昭和40年代の話なので、私も今の6階建てのアートなビルしか記憶がありません。

それにしても、後ろまで敷地も広げて、ランドマーク的な大きなビルですね。

 

 

そのほかのマイナーチェンジでは

①レコードのミューズ社の丸窓が四角に

⑥ロックワークショップと⑦十字屋が覆いをつけて、丸窓が隠れました。

⑩田村書店はもうちょっと改装して、しっかりした3階建てになっていますね。

 

 

 

80年前後は私がいちばん神保町に行っていた時期なので、

この並びはとっても懐かしいです。

 

丸窓やファサードまではチェックしないし、

全部のお店に立ち寄ったわけではないですが、

⑤の佐藤書店のご主人は優しかったな~

「うちは組合に入ってないから」といって

日曜日もお店を開けてくれて

専門外の本も快く買い取ってくれました。

 

 

 

左に見切れているその佐藤書店がファサードを改装すると、

周囲がビルばかりのなか、

①~④の4軒の(丸い目玉みたいな)外装が人目をひき、

被写体になることも多くなりました。

この4軒はそれぞれの所有権なんですけど

構造としては2軒ずつつながっているそうで、

1軒だけ建て替えするのは無理だったようです。

 

 

2000(平成12)年の写真では、奥野書店が2軒続きになり、

ミューズ社は店じまいしていました。

 

その後、奥野書店も閉店して、後にはまったく関係ないビルが建ちます

 

 

隣が切り離されたところを、横から見るとこんななんですね!

一階が店舗、二階が居住スペース、3階は屋根裏部屋みたいな狭いスペースで

倉庫にしていたそうです。(昔は丁稚さんが住んでいたとか)

 

 

 

 

これは2007(平成19)年。

③④⑤⑥がなくなったので、

この時点で当初のファサードを残していたのは

①②⑧の3軒のみ。

ただ、⑦と⑨は躯体をいじっていないようなので

覆いを外せば元の形になりそうですが・・・

 

 

 

そして跡地に建った10階建てのビルは、

よりにもよって、最初のテナントがケータイショップだったから、

私は一気に不機嫌になったのを思い出しました。

(同じことを思ってた人多かったみたいです)

 

ミューズ社だったところの①の空き店舗には

「本と街の案内所」が一時的に入って、

古本まつりの期間は大活躍でしたね。

 

その後、ついにこの①と②も解体されることに・・・・

長くなってきたので、つづきは明日に持ち越しますね。