昨日のブログに載せた写真は1969(昭和44)年の池袋東口の写真でしたが、
下の写真はそれより16年さかのぼった1953(昭和28)年の姿。
(朝日新聞のヘリから撮ったもののようです)
駅前の造成工事に加え、丸ノ内線の工事もしていたので、
なんだか、大変なことになっています。
当時、タカセはまだ「タカセ」を名乗っておらず、
森永ベルトラインストアでした(青の矢印)
ビルに掲げられた判読できる銀行の看板を赤丸でかこってみたら、
この『超お取込み中』の池袋駅前で商売しているのは、
タカセ(の前身)以外は銀行くらいしかなかったような・・・
左から
①日本相互銀行(太陽銀行の前身)
②三和銀行
③富士銀行
そして右上に
④協和銀行の看板が読み取れます。
三越百貨店はまだできておらず、
協和銀行の左側に完成したばかりの豊島公会堂が見えます。
ちなみに、丸ノ内線の開業は1954年1月20日の開業なので、
なかなかの突貫工事だったんですね。
つづいて、1985(昭和60)年の駅周辺地図をみたら、
金融機関の多さにびっくり!
区役所内の富士銀行の有人窓口など、ここに書いてないのもあるから
実際はもっと多いと思います。
赤丸で囲ったのが、都市銀行
青丸で囲ったのが、相互銀行・地方銀行・信用金庫・信託銀行などその他の金融機関
当時、都市銀行は13行あったのですが・・・・
① 第一勧業銀行
② 富士銀行
③ 三菱銀行
④ 東京銀行
⑤ 東海銀行
⑥ 三和銀行
⑦ 三井銀行
⑧ 住友銀行
⑨ 太陽神戸銀行
⑩ 大和銀行
⑪ 協和銀行
⑫ 埼玉銀行
⑬ 北海道拓殖銀行
池袋には東口だけで、13行すべてがそろっていました
以降、銀行の統合がどんどん進み(詳細は省略します)
今は
① みずほ銀行
② 三菱UFJ銀行
③ 三井住友銀行
のメガバンク + りそな銀行にまとまりました。
(北拓銀行は経営破綻)
統合したての時は、同じ名前の銀行が林立し
コンビニやビックカメラの店舗名みたいになってましたが、
次第にATMを残して有人窓口が閉鎖されていきました。
そして、こちらが現在の状況。少なっ!
(都銀以外もやろうとしたんですが、大変そうなので諦めました)
みずほ銀行なんて、池袋支店、池袋東口支店、池袋西口支店に加えて、
みずほ証券もみずほ信託銀行も、ごっそりと去年、
駅から離れたハレザタワーの8階・9階に移転しました。
(支店名はそのままなので、統合ではなく移転です)
(訂正: 池袋東口支店はすでに池袋支店の出張所になっていたので
そのかわりに板橋の大山支店の3店舗がここに移転します)
三菱UFJ銀行は、池袋支店、池袋東口支店、池袋西口支店、西池袋支店に
東長崎支店までが、まるまる池袋支店の住所にお引越しです。
三井住友銀行は、まだ東西にひとつずつあるからいいけど、
これも、移転は時間の問題でしょうか。
ATMやインターネットバンキングで
大概の取引はできる!ということなんでしょうけど、
渉外担当者が来てくれないような弱小企業の事務の人とか、大変そう。
先日、ネット証券に口座を作ろうとしたら、
資金調達に銀行のネット取引(私だとみずほダイレクト)が必須で
30年以上前に開設したみずほにはスマホの番号の登録がなかったため
(SMSを受けられないので)その手続きに店舗に行かないと!
・・・・・ということになりました。
そして池袋支店に来店予約しようとしたら、なんと3週間待ち。
3週間待ちですと~!!
池袋でなくてもOKなので、空いてる店舗を探して
3日後には手続きできたんですが、
一刻を争うようなときはほんとに困りますよね。
すみません。
銀行でもみどりの窓口でも、有人窓口がどんどん閉鎖されるのは時代の流れなので
べつに愚痴をいうつもりはなくて
そうじゃなくて・・・・
「昭和・平成の繁華街のメインストリートの街並みは
銀行の看板でできてた!」
ということが言いたかったのです。
これはまだ都電の走る新宿ですが、フツーに銀行だらけ。
太陽銀行と神戸銀行の合併前なので昭和48年より前だとわかります。
もし「太陽神戸三井銀行」の看板をみつけようものなら、
ほぼ平成3年ごろと特定できます。なんか楽しい
それにしても2000年代初めのメガバンク誕生の時は
一夜で街の景色が変わってしまった・・・・
真っ赤な「💖のマーク」の第一勧業銀行が
いきなりコズミックブルーのみずほのロゴに変わった時は衝撃的でしたよね~
あれから20年たつんですね
2000年代は、ちょうどガラケーの形が年々変化していた時期だったので、
それでかなり特定できましたが、銀行の看板もけっこうな有力情報。
車に詳しい人だと、街を走る車でほぼ撮影時期が特定できるそうですが
そういう芸当は私には無理なので、
大規模再開発情報に加え、銀行の統廃合情報を頭に入れておきたいです。
昭和だったら、街には公開中の映画の大きい看板があったから
それでほぼ時期が特定できたのに・・・・・
それがなくなったのは本当に痛いです。
最後に映画に戻ったところで、明日からはまた映画のことを書きますね。