映画 「君を想い、バスに乗る」 2022(令和4)年6月3日公開 ★★★★☆

(英語; 字幕翻訳 大城哲郎)

 

 

スコットランドの北の果て、ハイランド地方のジョン・オグローツ。

1952年、ここに旅行鞄を持った若い夫婦が降り立ち、

ふたりはここのささやかな家で生活をはじめます。

 

歳月がたち、同じ場所ですっかり年をとった夫婦。

妻(メアリーフィリス・ローガン)は畑の手入れをし、

夫トム(ティモシー・スポール)がお茶を淹れてくれます。

 

次のシーンでは、メアリーの姿はみえず、トムがぼんやり花壇をながめています。

イギリスの地図を広げ、ジョン・オグローツからコッツウォード経由でサマセット、

そして目的地はグレートブリテンの最西端のランズエンドまでを指でたどります。

 

 

そこは亡き妻と二人の人生の出発点。

そこへトムはひとり、老人に支給されるバスの無料パスをつかって行こうというのです。

 

「ハーパーさん!どこにいくの?」と声をかける近所の子どもに手をふって、

「すごく遠いところだ」

顔見知りのバスの運転手に、ランズエンドまで行きたいというと

「え!1350キロだぞ!」とびっくりされます。

 

バスを降りたトムは、かつて妻といったカフェを探し

そこで昼食をとり、また別のバスへ。

羊がぞろぞろ乗り込んできたり、子どもにカエルの折り紙を教えたり・・・

スリの少女に大事なバッグを盗まれしまい

お金をあげてなんとか取り戻したり・・・・

 

日は暮れ、トムはバスで眠りこけてしまい、終点まで行ってしまいます。

「車庫にはいるから降りてください」

宿もなく途方にくれるトムを見つけて、親切な夫婦が家に泊めてくれます。

 

元整備士の腕を生かして車を修理してピンチを救ったり

ヒジャブをつけたムスリムの女性を執拗にからかう男に敢然と立ち向かい

「我々はみな目的地に向かっている。

みんなのためにバスを降りろ!」

バスの乗客からは拍手が起こります。

 

チアガールのチームと同じ席になったり、

結婚式帰りの酔った集団と一緒になって

「アメイジング・グレイス」を歌わされる羽目になったり

昔妻と泊まったホテルを予約したら、希望する部屋に泊まれなかったり

ケガをして病院に運ばれるも、そこを逃げ出したり・・・・

 

バスを乗り継ぎながら、目的地を目指すトムでしたが、

あるとき、車検係から

「このパスはスコットランド専用だからここでは使えない」

「480キロ以上タダ乗りしてるとは・・・・!」

といって、バスから降ろされてしまいます。    (あらすじ とりあえずここまで)

 

 

90歳の老人が、ひたすらバスでグレートブリテンを縦断するロードムービーです。

1350キロというのは、日本のほぼ本州縦断に近いので

「青森から下関まで」って感じでしょうかね。

地図で位置を確かめるまでもなく、

「ランズ・エンド・トゥ・ジョン・オ・グローツ」(Land's End to John o' Groats、LEJOG)

というのは「最果てから最果てまで」を示す慣用句になっているそうです。

 

 

いやぁ・・・そもそも、老人が「路線バスでひとり旅」、って、

なんでこんなキツイこと思いついちゃっただろう。

 

若い頃は私も、国鉄のミニ周遊券とか青春18きっぷとかを使って

「ノープランの貧乏旅行」を楽しみましたけど、

それは体の無理がきくからこそ!

50歳を過ぎたらもう、まずは「トイレ問題」が深刻で

それから「予定通りいかなかったときのリカバリー能力」が格段に衰えるから、

もう、冒険のワクワク感より、安心をとってしまうな~

(安いのは大好きなので、メトロの24時間券はガッツリ乗り倒しますけど(笑))

 

1952年にランズエンドから最果ての地にやってきた夫婦は、

結局一度も戻ることなく、妻メアリーはここジョン・オグローツで亡くなってしまった・・・

あたりまでは、最初から想像がつくのですが、

末期がんの告知、妻の死、生まれてすぐ亡くなってしまった娘のことなどが

トムが回想する形で、昔のシーンが挿入されることで

少しずつ明かされていくんですね。

 

妻が末期がんを告知されて亡くなった、と思っていたのが

どうやら告知を受けたのはトムのほうで、

メアリーは(脳梗塞のような)別の病気で急死してしまったような・・・

 

このあたりは、はっきりと描かれず、

「妻メアリーが末期ガンで亡くなり・・」

とレビューしている人が多いので、ちょっと自信ないのですが、

「(余命宣告された)自分が先に逝くものと思っていたら、

なんと、メアリーに先立たれてしまった」

と考えたほうがいいような気がします。

 

 

つづきです(ネタバレ

 

バスから降ろされ、しかたなく歩いていると、

ウクライナ人に声をかけられ、車で送ってあげるといわれ

家のパーティにまで招待されます。

(トムは途中気分が悪くなってトイレで血を吐きます)

 

このころ、トムと出会う人たちは、なぜか彼のことを知っている人が多く・・・

というのは、バスで旅をするこの風変りな老人のことが

ラジオ番組で紹介されたり、

「バスの英雄」のようなハッシュタグ付きでインスタにアップされ

SNSでも拡散されていたからなのです。

 

トムの老人パスはスコットランドのもので、イングランドでもウエールズでも無効なんですが

「お金はいらない」と、どのバスも無料で乗せてくれるようになります。

 

ランズエンドに到着すると、トムはまっすぐ墓地に向かいます。

墓石に刻まれた文字は

「マーガレット・ハーパー 

1950年12月25日~1951年12月24日」

1歳のお誕生日前に亡くなった、彼らのひとり娘の墓でした。

 

そしてついに、バスの終点に到着。

SNSで知った大勢の人が拍手でトムを迎えますが、

彼はそこをスルーして岬へと向かいます。

よろよろと防波堤の上を歩き、先端まで行くと

鞄からお菓子の缶を出して、そのなかのものを海へと撒きます。

それはメアリーの遺灰でした。          (おしまい)

 

 

 

「私には時間がない」

「行かなければならない場所がある」

「しなければならないことがある」

 

最初のほうから 口癖のようにトムが言っていたことは

目的地の何か(イベントとか)に間にあうように、ではなく

自分の死期が迫っている、ということだったんですね。

 

それなら飛行機ですんなり行けばよさそうなものを、

70年前(現在の設定が何年かわからないのですが、少なくとも60年前)に

ふたりでたどってきた道のりをそっくり戻ろうという固い意志。

 

この強い気持ちだけで踏破しようとするトムのことがSNSで拡散され、共感され・・・

というストーリーで、最後の「遺灰を撒く」というのもネタバレにしておきましたが、

かなり最初のほうで気づきますけどね。

(私はこの遺灰を撒く日が決まっていて急いでいたのかな?と思っていました)

 

トムは、取り立てて昔気質の頑固おやじというわけでもなく、お調子者でもなく

たいへんな人格者というわけでもないんですが、

ただただ誠実に実直に人生の年輪を重ねてきた人。

それが若い年代からみて、魅力的に思えるのはうれしいことです。

「世慣れた人」という字幕のことばが心に残りました。

世慣れた人だからこそ、バスの車内のトラブルもうまく処理できたんですよね。

 

シネスイッチでは、こういうシニア向けのミニシアター系の作品をやってくれますが、

今回のは、むしろ「若い世代向け」のような気がしたなぁ・・・・

 

そもそも、ここまで生きた人はこんな無鉄砲なことはしないと思います。

途中で倒れて生き恥晒したくないし、知らない人に迷惑かけたくないし・・・

 

逆に私のような「高齢者」からの「見どころ」はなんといっても

同世代のティモシー・スポールのリアルな90代演技!

 

 

若い人たちからしたら、60歳も90歳もジジイなんでしょうけど

これは大違いなんですよ!

実年齢65歳のスポールが、最低限のメイキャップで

自らの演技力だけで、さらに1世代上の役作りに成功していました。

なんとも自然で説得力あって・・・・

 

当たり前のことですが、年寄りだから年寄っぽく歩いているわけじゃなく

自分ではしゃきしゃきと歩いてるつもりなんだけど、誰の目からも年寄っぽい、そんな感じ。

実は私も、ふとガラスに映った自分の姿をみて愕然とすることがあります。

 

まあ、そういう見た目は仕方ないですけど、

私もぜひ「世慣れた」と言ってもらえるような年のとりかたをしたいものだと思いました。

 

ティモシー・スポールは、典型的なキャラクター俳優で、

ハリポタのピーター・ペティグリューとか、一度見たら忘れられません。

 

 

ただ、「ターナー、光に愛を求めて」では主演だったし、

「否定と肯定」のホロコースト否定論者の役作りでかなり減量し、今に至っています。

個性的な役柄が多い中、今回はまさかの

「90歳の普通のおじいちゃん」これも見事でした。

 

ストーリーはちょっとメリハリにかけるような気がしましたが、

彼の芝居を観られただけで満足です。