映画 「帰らない日曜日」 2022(令和4)年5月27日公開 ★★★☆☆

原作本 「マザリング・サンデー」 グレアム・スウィフト 新潮クレスト・ブックス★★★★☆

(英語: 字幕翻訳 牧野琴子)

 

 

1924年3月のマザリング・サンデー。
メイドが実家に帰れるこの日、ニヴン家で働くミリーとジェーンも

ニヴン氏から銀貨をもらって自転車で屋敷を出ていきます。
駅から汽車に乗って母に会いに行くミリー。

ジェーンは孤児院育ちなので、帰るところがありません。

実はジェーンには秘密がありました。

ニヴン夫妻とも親しいシェリンガム家の子息、ポールと何年もの間愛人関係で、
「この日は つがい(ポールの両親)がいないから、屋敷の正面玄関から11時に来るように」

と電話がかかっていたのです。

ニヴン家とシェリンガム家とホブデイ家。
この3つの家は昔から親しく、子どもたちも兄弟のように育ちましたが、
ニヴン家の2人の男子、シェリンガム家の2人の男子が先の大戦で戦死し、
残ったのはシェリンガム家の末っ子のポールと、ホブデイ家のエマだけ。
 実はエマはニヴン家のジェームズと交際していたのですが、彼は戦死してしまい、
お互いの家の財産を守るため、

ただひとり生き残った男子、シェリンガム家の末っ子のポールと結婚するのは

本人たちの意思とは無関係に決まっており、2人の婚礼は2週間後に迫っていました。


このマザリング・サンデーには

婚礼の当事者でないニヴン氏の呼びかけで、3家族が集まってランチをする予定で
当然ポールも呼ばれていたのですが、
彼は弁護士の勉強を理由に、最初から遅刻することに決め、

両親や使用人のいない屋敷でジェーンと密会しようと思っていたのです。

ジェーンは「自転車の遠乗りをする」とニヴン氏にいって出たのですが、

目的地はポールのいるシェリンガムのお屋敷。
屋敷に着いたジェーンは自転車を降り、はじめて(裏口でなく)玄関からポールに迎えられます。
ポールはひざまずき、一枚ずつジェーンの服を脱がせていき・・・・

ことが終わると、ポールはまだ裸のジェーンの前で身支度を整え、
「4時までは誰も帰らないから自由にしていて」
「さようなら、ジェーン」

といって、車で家をでていきます。


残されたジェーンは裸のまま、ポールのクロゼットを開けて服の匂いを嗅ぎ、
図書室の本をチェックして、テーブルの上の子牛のパイを口に運ぶと

ビールで流し込んでげっぷをします。
ポールの万年筆と、ポールの母が育てているランの花を一つ失敬していると

突然家の電話が鳴ります。

現実に返ったジェーンは服を身に着け屋敷を出ます。

 

自転車でニヴン家に戻ると、一足先にニブン氏が車で帰っており、

驚きの事実を聞かされます。        (あらすじとりあえずここまで)

 

 

後に大作家となったジェーンがメイドだったころの若き日のマザリングデイ。

1924年3月30日と、後の40代、80代のジェーンのシーンが交錯しながら話は進みます。

 

 

具体的にジェーンやポールの年齢は出てこないのですが、

ジェーンは1901年に孤児院に捨てられていたので、22歳か23歳ということなんでしょうね。

ポールも第一次大戦中に戦地に行かずに済んだ年齢だったのなら、同じくらいでしょう。

 

イギリスの歴史はよくわからないのですが、日本の大正時代末にあたる1924年だと

ダウントンアビーでいったら最後のほう、

上流階級が次第に暮らしづらくなりつつある時代でしょうか。

(それぞれの家にはメイドと料理番がひとりずつ、とかそのくらい)

財産を守るために、親しい家同士が親戚になるのは当然のことで

そういう制約も甘んじて受け入れなければならなかったのでしょう。

 

40代と80代のジェーンはけっこう唐突に頻繁に登場するのですが

それは原作も同じで、目でたしかめられる映画のほうがむしろわかりやすかったです。

 

40代のジェーンは真っ赤なマニキュアをしていて、ドナルドという黒人の恋人がおり、

80代ではノーベル賞(?)作家までのぼりつめます。

 

上の説明画像にはないのですが、ジェーンがニヴン家に来たばかりの

17歳くらいのシーンも登場します。

野菜を買いに来てシェリンガム家のメイドのエセルとおしゃべりをし

その時にポールが通りかかって挨拶をするという・・・・

このあとふたりは深い関係になっていくので、

3月30日が「ただ一度の逢瀬」というわけではありません。

(最初のうちは報酬をもらっており、「娼婦」に近い存在でした)←原作の情報です

 

あらすじ、つづきです。

 

ニヴン氏は暗い表情で

「悲しい知らせだ。シェリンガムのポールが車の事故で亡くなった」

 

そして

「せっかくの休日に申し訳ないが、これからシェリンガム家に行くから

一緒に来てはくれないか」

ジェーンは

「水を一杯いただいてきていいですが?」

顔を洗い、ニヴン氏に知られぬよう、嗚咽をこらえるジェーン。

 

ニヴン氏の運転でシェリンガム邸に着くと、メイドのエセルがもう帰ってきて

ポールの部屋の掃除をしていました。

ニヴン氏は事故のことを伝え

「部屋に変わったことはなかったか?書き置きといったものが・・・」

「そういったものは一切ございません。」

「まだ新しい吸い殻があったので、お出かけになったばかりだったかと思っていました」

「あと、図書室をお使いになったようです」

 

その後、

ニヴン家を去り、書店員として働きはじめたジェーンは

店主からPの字が打ちづらい古いタイプライターを譲り受け、小説を書きはじめます。

お店の客のドナルドと知り合い、プロポーズされるも、

彼も脳の腫瘍のために亡くなってしまいます。

 

80代のジェーン。

文学賞を受けて家に殺到する記者たちに辛口で返し

その後ろには若い時のジェーンの姿が・・・・           (あらすじ ここまで)

 

映画のなかでは、ニヴン家のお屋敷を「ピーチウッド邸」

シェリンガム家のお屋敷を「アプリィ邸」と呼んでいましたが

わかりづらいので、苗字に統一させていただきました。

 

 

プロモーションでは「カズオ・イシグロ絶賛の原作を映画化」ということばが強調されていて、

カズオ・イシグロ原作」と勘違いする人も多いかも。

メイドとお坊ちゃまの「身分違いの恋」で、

イギリスのヘリテージものではあるんですが、ちょっと予想と違うかもしれません。

 

 

 

あらすじは、ほぼ原作どおりなんですけど、

ちょっと気になった相違点を2つだけ書いておきます。

 

 

① 「結婚の前祝に3家族が集まった」 ということなんですけど、原作では

ポールとエマはこれには加わらず、二人はホテルで一緒にランチする予定でした。

なので、待ちぼうけを食ったのはエマだけ。

屋敷に電話をかけたのも彼女なんですが、もし、全員を待たせていたとしたら

もっと早い時点で、ポールの両親(シェリンガム夫妻)が電話するとおもうんだけど

なんで改変したのか不明です。

 

 

② ジェーンのパートナー、哲学を研究しているドナルドは、

原作では「(ドナルドには内緒だけど)ポールに似ていたから惹かれた」のに

映画では いきなり黒人になってるんですけど・・・・

40年代は今ほど異人種婚が一般的じゃなかったし、

こっちが気になって、ドナルドの「いいセリフ」があんまり頭に入りませんでした。

 

ひとりの女性の3つの時代を描いているのはわかるんですが、

それぞれの時代のなかでの時間経過がけっこうわかりづらい。(わざと?)

 

1924年のマザリングサンデーの時も、この時点でふたりの出会いからすでに数年たっていて、

情事も手慣れたもの。避妊も「オランダ帽子」で抜かりないです。

「家のためにエマと結婚するけど、愛しているのはジェーン、君だけだ!」

なんて、絶対に言いません(笑)

「結婚も弁護士も僕の義務だ」

「(エマと)子づくりして、村の男の子を増やす」

そしてジェーンに対しては

「君には何でも話せる。心の友だ」とはいうものの

「愛してる」とは絶対にいいません。

 

そもそも、この時代、「良家のおぼっちゃまがメイドに手を出す」とか

そんなにスキャンダラスなことではなかったのでは?

ニヴン氏がうすうす気づいているような描写もあったし、

シェリンガム家のメイド、エセルは(部屋の掃除をしたときに)

「この日、ポールおぼっちゃまが部屋に女を連れ込んでいる」ことには

100%気づいているはずです。

でもこれはメイドの守秘義務で、エセルはけっして口には出さず

「図書室を使った形跡が・・・」

というあたり、ジェーンはきっと心臓がバクバクしたでしょうね。

 

ジェーンにとって秘密にしなければいけないのは

情事よりもむしろ、(その家の人もほとんど足を踏み入れない)図書室を

全裸で歩き回ったこと。

「よその家の部屋の中を全裸でうろつく」とか、異常者にしか思えませんが

重厚な蔵書が並べられ、名画がかざられたようなお屋敷なので

まるで絵画のなかから出てきたニンフのようで、とても美しいシーンでした。

 

40代になったジェーンが、ドナルドから作家になったきっかけを聞かれて

一つ目は生まれたこと

二つ目はタイプライターをもらったこと

三つめは秘密よ・・・・

と答えるのですが、これがおそらく

マザリングデーの日の鮮烈な記憶、ということになるんでしょうが、

「メイドという最大の観察者でいられたこと」

「ニヴン氏から図書室の本を借りられたこと」

あたりが大きいと思いましたけどね。

 

 

大作家となった80代のジェーンが「現在のジェーン」みたいな体(てい)で登場しますが

彼女は生きてたら120歳なはずで、今じゃないんですよね。

 

 

カリスマ女優のグレンダ・ジャクソンを使いたかったのかもしれないけれど、

このシーンいる?

 

そもそも

「ザ・クラウン」のチャールズ王子(ジョシュ・オコナー)と エリザベス女王(オリヴィア・コールマン)

 

「英国王のスピーチ」のジョージ6世(コリン・ファース)と、英国元首3世代分!

超超豪華キャストなので、もうこれ以上いらないのにね!

 

 

ところで、この映画の冒頭は

「昔々、若い男たちが戦死していた時代・・・」から始まります。

 

100年くらい前まで、「お国のために命を落とすこと」は日常であり、

残ったものたちでなんとかやりくりして生をつなげ、

富めるものは家を守るために体裁を整えわが身をささげます。

そして、ジェーンのようになにも持たないものは、(ニヴン夫人のことばによれば)

「失うものがないのはあなたの強みよ、武器になさい、幸せな子ね」

果たしてジェーンは強かに作家として大成し、遠い過去をふりかえります。

 

さらに捨て子だったジェーンの出自についても

「私の母も身ごもったメイドだったのかもしれない」

「そう、(父上がやんごとなき身分で)君は女王になるべき人なのかも、ジェイ」

ポールとの間で、こんな会話もあったような。

 

 

ともかく、今とは価値観の違う時代の話なのに、

むりやり今のポリコレを意識した結果、

100年も前の話なのに、「女性の人権を踏みにじるような描写はNG」とか

70年以上前の結婚に「人種の多様性をいれなきゃいけない」とか

制約がかかって、おかしなことになってしまったように思います。

あと、書き忘れたけど、ジェーンに大きな影響を与えたジョゼフ・コンラッドの冒険小説が

映画では、ヴァージニア・ウルフになってたのもなんでかな?

 

 

考えすぎるとモヤモヤしてしまうので、この辺で。