映画「大河への道」 2022(令和4)年5月20日公開予定 ★★★☆☆
原作本 「大河への道」 立川志の輔 河出文庫
香取市では観光振興策の会議中。
「江戸時代の体験型アトラクション」企画のプレゼンの最中
「それって、日光江戸村ってことですよね」
「それなら日光いっちゃいますよね」
とか部下のキノシタ(松山ケンイチ)が余計なことをぶつぶついうものだから
上司のイケモト(中井貴一)は指名されてしまいます。
とっさの思い付きで
「郷土の偉人チューケイさん(伊能忠敬)を主役に大河ドラマを誘致するのはどうでしょう」
というと、知事がこの企画を気に入り、チャレンジするようにとの指示があり
イケモトが指揮をとって、知事の在任期間に実現するようにと。
さらに知事は、現在休筆中のカトウ(橋爪功)という脚本家を指名します。
まずはこの頑固な脚本家をその気にさせることに苦労しながらも、なんとか納得させ、
ようやくプロットの締め切り日となったものの、カトウは
「何も書けなかった」
「だって伊能忠敬は地図を完成してないのだから・・・」
画面は(冒頭にもちらっと映った)
1818年、伊能忠敬の臨終のシーンにタイムスリップします。
(あらすじ とりあえずここまで)
「伊能忠敬が地図の完成前に亡くなった」ことを大発見みたいにいってますけど
これって世間の常識じゃないの?
・・・というのが原作を読んだときから引っかかっていて、
でも中井・マツケンのコメディは捨てがたいな~と思っていたら
たまたま試写会に当たったので、一足先に感想を書きます。
公開前なのでなるべく映画と関係ないことを書いてたら、
映画レビューというより、いちゃもんが多くなってますので、その辺おゆるし下さい。
そもそも「死後に弟子たちの手で完成」って珍しいことではなく
アントニ・ガウディの「サグラダファミリア教会」なんて、
ガウディが亡くなってもうすぐ100年たつけどまだ作ってて、
でも「ガウディの建築」っていわれてますよね。
ただ伊能忠敬は「郷土の偉人」だから、地元では偉業のほうが強調されて
「死後に・・・」の部分はなんとなくスルーされているのかも?
と、ここは好意的に考えておきましょう。
映画のなかにも登場してた香取市の「伊能忠敬記念館」
そのサイトにあった年表を貼っておきます。
「赤枠」 別に隠すこともなく、死後に完成となっていますよね。
それよりも疑問に思ったのは、
伊能忠敬は江戸で地図を作り、全国行脚をしていたのだから、
大河ドラマを地元に「誘致」するなら
彼が佐原(現在の香取市)にいたこの「青枠」の部分に焦点を当てるべきですよね。
17歳で養子に来て以来、家業を大きくさせ、妻の実家に気をつかいつつ、
50歳で隠居してはじめて自分のやりたい勉強を始めたわけです。
「大河」とはいわずとも、「生涯教育」のテーマでドラマになりそう。
あと、(これは今初めて知ったのですが)
隠居前に書いた「奥州紀行」や「(関西)旅行記」が現存してるなんて!
これにもすごく興味があります!
つまり、「完成時に死んでたから書けない」なんて
プロの脚本家がいったらダメですよ!
とりあえずダメだししてスッキリしちゃいましたが(笑)
ここから本題にはいっていきます。 映画のつづきです。
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1818年、 伊能忠敬はこの世を去ります。
享年73歳。
地図はまだ完成しておらず、忠敬の死を公表してこのプロジェクトが打ち切られる恐れもあります。
「伊能先生には今しばらく生きていていただこう」
幕府との連絡役だった高橋景保(忠敬の師の高橋至時の息子)が3年間ごまかし通すことに。
そしてついに1821年、大日本沿海実測録が完成します。
縮尺1/36,000の大図が214枚、縮尺1/216,000の中図が8枚、
縮尺1/432,000の小図が3枚、合計225枚の3種の手書きの縮尺地図が
広間一面に並び将軍にお披露目されました。
完成の前に伊能忠敬がこの世を去ってしまったことが
この時はじめて明かされたのでした。 (おしまい)
あ~
勘定奉行に何度もバレそうになるところとかも演出くさいから
全部省略したら、これだけになってしまいました(笑)
ただ、まあ見ていてつまらないことはありません。
江戸時代と令和で、すべてのキャストが2役を演じるのが面白いですね。
ちなみに、伊能忠敬は臨終のシーン(白い布をかけてる)だけの登場なので
キャストは存在せず、主役の中井貴一は高橋景保を演じます。
松山ケンイチって、最近は難役ばかりでコメディに出なくなったけれど、
こういう すっとぼけた役、いいですね! めちゃ笑いました。
和服姿の北川景子の美しさも格別で、昭和の銀幕女優がよみがえったようでした。
鶴の一声で「大河への道」を命令した知事はさいしょ登場せず、
将軍と同じ草刈正雄が千葉県知事だったわけですが、
なんか森〇健〇氏の姿がちらついてしまいました。
「千葉県では知事の意向で大河ドラマの誘致や脚本家まで決まる」
みたいに誤解されたら、マズイんじゃないの?
脚本家を説得するだけに、市の職員が何日も出張するとか、
こんなことに税金を使ってほしくないですよね。
(原作は違っていたので、なんでこうなっちゃったのか、疑問)
測量や地図を仕上げていく場面を、わりと丁寧に見せてくれたのも良かったです。
残り時間がないのに、うっかり墨をこぼして、全部やり直しになるところとか
パソコンでちょいちょいと修正できちゃう今とは大違いですね。
地図も測量も子午線もなにもわからない人が見ても、とりあえずわかるように
誰も落ちこぼれないように、親切に説明しているのは良かったと思います。
キャスティングも適役で、今まで地図にあまり関心なかった人にはおすすめできます。
(映画の感想はここまで)
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最後に、個人的に一番伝えたいことを書きます。
「結局この大河の主役は、伊能忠敬ではなくて高橋景保になってしまったね」
というオチで終わるのですが、
それじゃあ、彼の業績は「地図を完成させるために3年間伊能の死を引き延ばした」こと?
いやいやいやいや・・・・・そんなことはありません!
景保は伊能忠敬の天文学の師である高橋至時の長男なんですが・・・
伊能忠敬 1745年~1818年
高橋至時 1764年~1804年
高橋景保 1785年~1829年
1795年、伊能が50歳で 至時の弟子となった時
至時は31歳、景保は10歳
1804年、至時が40歳で結核で亡くなり
幕府天文方の仕事は19歳の景保が後を継ぎます
1818年、伊能が地図作り半ばで亡くなった時
景保は33歳でこの仕事を引き継ぎます
(年齢の数え方はそれぞれなので、±1歳の誤差はお許しください)
父の高橋至時は優秀な天文学者でしたが
息子の高橋景保は、幕府の翻訳機関でもある「蕃書和解御用」を設立した人物で
天文学の知識だけでなく、当時ほかの誰よりも外国語が堪能でした。
満州語、ロシア語、オランダ語などの翻訳をこなしていて、
実は国立公文書館の平成22年春の特別展で、私は彼の自筆の翻訳書を見て
その美しさと繊細さに、もうその場を動けなくなりました。
この一番手前の ↑「旗本御家人Ⅱ」のパンフレットのなかにも掲載されていました。
史料はサイトのあちこちに点在していますが、満州語のは こちらからも読めます
↓
そして彼はあの「シーボルト事件」により捕らえられ、獄死し、
そして誰よりも悲惨な最期をとげます。
『蛮蕪子(ばんぶし)』を知っている人は少ないでしょうが、
「シーボルト事件」は中学で習ったように思います。
その辺を無視して、お気楽に
「高橋景保が主役の大河ドラマになっちゃいました~」とかよく言えるよね。
彼の最期はあまりに気の毒すぎて、ちょっとここには書けず(『蛮蕪子』で検索してください)
大河はありえないんですけど、
これを機に彼の業績が再評価されたら嬉しいです。