映画「アイダよ、何処へ?」 2021(令和3)年9月17日公開 ★★★★★

(ボスニア語・セルビア語・英語ほか: 字幕翻訳 吉川美奈子、 字幕監修 柴宜弘)

 

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下の1995年、

セルビア人勢力に占拠された東部の町スレブレニツァ。

国連平和維持軍の通訳として働くアイダは、勤務中に重要な情報を知る。

セルビア人勢力が基地にまで迫る中、アイダは助けを求めて

押し寄せる同胞や家族を守ろうと奔走する。                     (シネマ・トゥデイ)

 

 

1995年7月、ボスニア、スレブレニツィア。

市長と国連保護軍(UNPROFOR)のオランダ人指揮官のカレマンス大佐との交渉は終始険しいムード。

国連の通訳として働くアイダは、その間で緊張しながら会話の橋渡しをしています。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下では

スレブレニツァは国連の定めた「安全地帯」で、本来攻撃をしかけてはいけない場所なのですが

それを無視して今にもセルビア軍が攻めてくる状況で、一刻も争えないと苛立つ市長にたいして

カレマンスは「全力で対応している」

「セルビア軍が国連の定めを侵害するのなら、正当な手順に従ってNATOが空爆する」

と繰り返します。

「これはNATOの最後通牒だから必ず実行する。住民は安全だから家にいてかまわない」と。

 

そんな悠長なことはいっていられないと市長は

「3万人の市民の命がかかっている、もし彼らが侵攻したらあなたの責任だ」というのですが

「私は伝令にすぎない・・」というようなことをいってごまかす大佐。

話は平行線のまま 会談は終了します。

 

すでにセルビア軍(スルプスカ共和国軍)のムラディッチ将軍の部隊の侵攻ははじまり

市長はまっさきに処刑、

一部の若者は森に逃げたものの、ほとんどの市民は保護を求めて

町はずれの国連施設を目指して避難を始めていました。

 

一方、オランダ軍の部隊も補給経路を絶たれて孤立しており、

空爆を約束していたNATOや国連とも連絡がつきません。

「国連本部は全員休暇中なのか!」

カレマンス大佐は見捨てられた気持ちで愕然、

何万もの市民を前にした兵士たちはそれ以上に手の施しようもなく

施設内はすぐに難民であふれ、やむを得ずゲートを閉じますが

施設の前には入れなかった無数の人たちが保護を求めて行列を作っています。

 

 

 

アイダはこの街や市民の安全も心配だけれど、なんといっても家族のことが心配でなりません。

夫のニハドと二人の息子は無事なのか?

下の17歳の息子はなんとかゲート内に入れたものの、夫と兄は入れなかったことを知り、

なんとか特別に入れられないかと見張りの兵士や上官にお願いするも断られます。

そのうち、「交渉に何人かの市民の代表を出せ」というセルビア側からの要求があり

ゲート内の市民に問うも、だれも手を挙げず。

 

そこでアイダは

「うちの夫は校長で街一番のインテリ。ドイツ語もできるし、市民代表は夫をおいてほかにいない」

と強くアピールし、なんとかゲートのなかに(なぜか長男も一緒に)入れてもらうことに成功します。

ところが夫のニハドは「交渉なんて自信がない。できない」と弱腰で

息子たちも「ママは横暴だ。森に逃げればよかった」と文句たらたら。

ゲートになかに入れたところで、水も食料もトイレさえないこの場所で、

ひしめき合って不安な時間をすごすしかありません。     (あらすじ とりあえずここまで)

 

 

 

ボスニア紛争に関する知識がほぼゼロなのを恥じて

いろいろ関連本を用意していたのですが、

読み終わってから・・・ではいつまでも感想が書けそうもないので

とりあえず、空っぽの頭で書いていきます。

 

 

映画のなかでは、

「スレブレニツァの市民がムラジッチ司令官率いるセルビア軍に侵攻され

国連PKOとして派遣されていたオランダ軍も手をこまねいているうちに8000人以上殺された」

ということが国連の現地通訳の女性の目を通して描かれます。

 

もともと多民族他宗教国のユーゴスラビアでは、チトー大統領の死後、政情が不安定になって、

① イスラム教徒のボスニャク人

② ローマカトリック教徒のクロアチア人

③ 正教徒のセルビア人

が対立していて、あらすじで「市民」と書いたのは①のボスニャク人のことです。

日本人からしたら、全然見分けがつかないのが困ったもので、

イスラム教徒でもヒジャブとかかぶっているわけでもなく、顔だちもほぼ同じ、

ボスニア語とセルビア語も、呼び方が違うだけでほとんど同じだそうです。

(アイダ役の女優さんは実はセルビア人で、ムラジッチ役の人と夫婦だそうですよ)

 

ここでのセルビア軍というのは正しくは「スルプスカ共和国軍」で、上の地図の黄緑色の部分。

つまり、スレブレニツァは飛び地状態で、ここに住むボスニャク人たちは、攻めて来られたら

ここを中立地帯だと決めた国連施設に逃げ込むしか行き場がないんですよね。

 

これがセルビア軍のムラジッチ司令官。

映画のなかでは完全に悪役ですが、過去には同じことをボスニャク人にされたみたいで

ムスリム兵に異様なほど怨恨を持っているようで、

この大量虐殺は彼にとっての倍返しだったんでしょうか。

 

 

  

アイダとPKOのカレマンス大佐↑

通訳の彼女は常に国連軍のトップのそばにいます。

 

市民にむかって拡声器で国連側の言葉を伝えるのが彼女の仕事。

(となりにいるのはナンバー2のフランケン少佐)

ただ途中からは家族の無事のほうが大事になってきて

通訳の仕事はだんだん疎かになってしまいます。

 

現地人の中では一番状況を知りえる立場にいて語学堪能なアイダ。

フィクションだったら、この危機から市民を救えるキーパーソンとなりえたかもしれないですが

「自分の立場を利用して家族を救うのが最優先」、というのがねぇ

「家族愛」ともいえるし、「エゴ丸出し」ともいえるし、

そして肝心の家族があんまりアイダに感謝してないのが、なんとも・・・・です。

 

 

 

「8000人以上虐殺された」という史実は動かないので、ネタバレかどうかは疑問ですが

ここから後半です

 

セルビア軍との交渉にはニハドのほかに女性計理士のチャミラら、何人かの市民代表が参加し、

国連施設の中と外に集まっている市民を安全に避難させる方法が検討されますが

国連にそれだけのバスや燃料の用意はありません。

 

そのころ施設にはムラディッチ将軍とは別のセルビア軍の部隊がやってきて、

中に入れろと国連の警備の兵隊と押し問答になります。

「ムスリムの兵士が紛れていないか調べるだけだ」といいはるものの、

敵対する武装勢力を中に入れるとかとんでもない話だとフランケン中佐は止めますが、

ムラディッチ将軍と交渉中のカレマンス大佐に電話で問い合わせると

「中に通せ」という回答。

「銃や弾一発でも見つけたら貴様らはおしまいだ」

と、男たちの身体検査をするも、武器を持っている人はいなかったようで

「餓死させてセルビアのせいにされたくない」と、今度は一転、パンを配り

給水車をよこして飲み水も与えます。

 

一方、交渉が終わって帰途にむかうニハドたち。

ニハドは無事おわったことを単純に喜んでいますが

「あんなのは交渉じゃない。はじめから決まっていること」

と女性計理士のチャミラは憤慨しています。

 

やがて、セルビアが手配した何台ものバスが施設の外に連なります。

あわてたカレマンス大佐が

「市民の名簿もまだできていないし、それは我々の仕事だ」というも

バスの燃料すら用意できない国連側はあまり強く言えないのです。

セルビア軍は子どもたちにお菓子を配り、女性と子どもを優先して

どんどんバスに乗せていきます。

夫や息子と離れ難い女性たちには全くおかまいなしに・・・

バスは(彼らにとっては安全な)ボスニャク人支配地域(上の地図の水色の場所)

にあるクラダニを目指します。

 

「選別されて残された男たちの処刑がはじまった」

という噂を聞いたアイダは

夫と息子を職員の控室にかくまってくれと頼みこみます。

そして関係者扱いでオランダ軍と一緒に撤退させてもらおうと考えていたのですが

さすがに名簿の改ざんやIDの作成までは難しく、

結局ニハドたちはほかの男たちといっしょにどこかへ連れていかれてしまいます。

 

ニハドたちはトラックから降ろされると両手を頭の後ろで組んだまま建物内に入れられ

「今から映画の上映がはじまる」といわれ

建物の窓から一斉射撃がはじまります。

(建物の中を映すことはなく、銃撃がやむと 周囲の静かで美しい景色が広がります)

 

雪の日、車から降りたアイダはアパートの呼び鈴を鳴らします。

アイダの家族が住んでいた部屋にはみしらぬ若い女性が息子と暮らしています。

「ここはずっと空き家で、所有者は亡くなったと聞いていました」

「早くここを出て!(ここは危険かもしれないけれど)私には失うものがないの」

 

場面かわって、犠牲者の遺体や遺品が掘り起こされ 引き渡し所を見て回るアイダの姿。

「ああ、わたしの坊や!」 息子の靴をみつけて号泣します。

 

小学校の教師の職に戻ったアイダ。

発表会に集まった保護者たちは子どもや孫の姿を見つけて笑顔になります。   (あらすじ おしまい)

 

 

第二次世界大戦後の最悪のジェノサイドといわれた「スレブレニツァの虐殺」。

ショッキングな場面が出てくることを、ある程度は覚悟して行ったんですが、

トラウマになるようなおぞましい暴力の直接の描写はありません。

 

また、時代背景などを知らずに見たら全く理解できないか?

というと、そういうわけでもなく、

突然不条理な混乱のなかに放り込まれた納得いかなさや

先の見えない不安になる気持ちを一緒に味わうことになります。

 

ただ、現実にかえってみると、

日本に住んでいて経験するのは、せいぜい停電や災害によるパニックぐらいで、

国境を越えて攻めてこられる、とか、ほぼ考えづらいです、幸せなことに・・・

じゃあ、第三国として日本が何をしてあげられるのか?

自衛隊もPKOに参加はしているものの、日本の憲法の建前上、

ここでのオランダ軍よりも、さらにできることは限られるんだろうなあ。

 

先月、タリバンに制圧されたアフガニスタンで

カブール空港に殺到した市民たちのこと・・・

空港に近づけずに自衛隊機での国外脱出がかなわなかった人たちのこと・・・

その姿が

スレブレニツァの国連施設に押し寄せた群衆の姿と被ります。

 

 

何人かの日本大使館の現地スタッフは自衛隊機に乗れたものの、

家族を残して国外脱出できた彼らの気持ちはいかばかりだったか・・・

ほんのひと月前は心にもかけていなかったのに、今回、アイダの気持ちを通して痛感しました。

 

観て楽しい作品ではないけれど、ぜひとも観てほしい、観るべき作品だと思います。

国際長編映画賞、ノミネートはしたものの、受賞したのは「アナザーラウンド」でしたね。

全然違うジャンルだし、比べようもないですが、これもとてつもない傑作だと思います。 オススメ!