映画「ファーザー」 2021(令和3)年5月14日公開 ★★★★★

(英語; 字幕翻訳 松浦美奈)

 

ロンドンで独りで暮らす81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、

少しずつ記憶が曖昧になってきていたが、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が頼んだ介護人を断る。

そんな折、アンが新しい恋人とパリで暮らすと言い出して彼はぼう然とする。

だがさらに、アンと結婚して10年になるという見知らぬ男がアンソニーの自宅に突然現れたことで、

彼の混乱は深まる。                                     (シネマ・トゥデイ)

 

 

アンソニーは1937年12月31日生まれの81歳

ロンドンの趣味のいいフラットの一室でお気に入りのクラシックのCDを聴く彼のところへ

娘のアンがやってきます。

アンが雇った介護士のアンジェラを一方的にクビにしたことに文句をいっています。

 

「やっとさがしたいい子なのに・・・・」

「ビッチとかいったでしょう!彼女泣いていたわよ」

「もうこれで3人目よ、いい加減にして!」

 

「介護士なんか頼んだ覚えはない。それに彼女は盗人だ」

「腕時計が盗まれた」

・・・といいながら、アンソニーは席を外しますが、

やがて(盗まれたはずの)時計を腕につけながら平然とやってきます。

 

「実は私は恋人とパリに住むことになってるの」

「だからこれからは週末にしか来られなくなるから

新しい介護士とは仲良くして欲しいのよ」

 

「私はどうなるんだ・・・」と涙ぐみそうになるアンソニー

 

別の日、アンソニーがキッチンで紅茶をいれていると

部屋の方から物音が。

見知らぬ男が新聞を読んでいるのに驚き

「わたしのフラットから出て行け!」というと

自分はポールでアンとは10年以上結婚しているし

ここは自分たちの家だといわれます。

 

やがてアンが帰ってきますが、

それはいつものアンとは別人でアンソニーは戸惑います。

ところが部屋にもどると、さっきのアンから

「男ってだれのこと?離婚してもう5年はたつわ」といわれます。

「なにか妙なことばかり起こる。ところでここは私のフラットだよな?」

アンはそれには答えてくれません。

 

アン(冒頭のアン)が連れてきた「新しい介護士」のローラは笑顔のかわいい若い女性で

ことのほか上機嫌のアンソニーは、(エンジニアだったくせに)

「これでも昔はダンサーだった」とかいって、タップダンスを披露したりします。

いい雰囲気になったのもつかの間、

「そうやって意味なく笑うところがルーシーにそっくりだな」ということばに

アンは困惑の表情をうかべます。

アンの妹のルーシーはもう亡くなっているのに

「あの子は画家で世界中を旅していて長いこと会ってないんだ」

とアンソニーは思い込んでいます。

 

アンはローラに父の介護を依頼することにしますが、

「介護士がいくら優秀でも君のお父さんは無理。

老人ホームに入れるべきだ」

と恋人のポールはこれには反対。

彼は義父の介護には後ろ向きで、アンソニーにも直接

「面倒見のいい娘がいてラッキーだったな」

「あなたがアンジェラと揉めたせいで

僕らはイタリア旅行をキャンセルするはめになった」

と不満をぶつけます。

 

アンソニーからしたら、偉そうに我がもの顔でくつろいでいる見知らぬ男が

高飛車な態度をとるのが気に入りません。

彼がしている時計も、ひょっとして自分の時計を盗んだのではないか?

壁にかかっていたはずのルーシーの絵もこいつが処分してしまったのではないか?

 

 

翌日目を覚ますと、家には介護士のローラだけ。

「お薬を飲みましょうね。青くてかわいいお薬ですね~」

といわれて

「バカにしてるのか!」と機嫌が悪くなります。

ローラをみていると下の娘のルーシーのことを思い出すのですが

「事故のこと、お気の毒でした」といわれ、意味がわかりません。

 

また別の夜、夜中に声がするので部屋をでると、

廊下には「面会者入口」の文字。

ドアを開けると大けがをして瀕死のルーシーの姿がありました。 (あらすじ とりあえずここまで)

 

 

 

ル・シネマの再開を受けて、初日の初回に鑑賞。

平日の午前なのでゆったり観られましたが、

2日目の今日(土曜日)はすべての回で満席のようです(23区でここだけの公開ですからね)

 

すばらしい作品でした!

 

ある日突然娘が別人になったり、知らない男が家のソファーでくつろいていたり

さっきまであったものが消えていたり・・・・

これはホラーでも不条理劇でもなく、認知症を患うアンソニーの視点から描いているからです。

また時間軸も不安定なので、前後関係も逆転したりして、

まるでタイムループものを見ているようでもあります。

 

認知症を扱った映画はたくさんありますけど、病気への理解を深める意図で作られたものが多く

ほとんどが家族や介護者目線じゃないかと思われます。

「ファーザー」は、認知症自体をギミックにしてしまって、観客まで騙そうという

「かつてないタイプのミステリー」といえるかもしれず、

日頃ミステリーを見慣れていて伏線にすぐ気づく人にとっても

なかなか手ごわい展開になっています。

 

ただし、もちろん、単なるエンタメ作品ではなく、

病気や患者や家族や介護者への深い思いやりのある脚本と

父娘のこれ以上ないキャスティング、

ふたりのどちらにも思い入れできるし、愛しくてたまらなくなります。

 

(私は実母がアルツハイマー型認知症ですが)

まわりにそういう人がいない人にとっては

「アンソニーが勘違いしていることを、なんでアンはその都度訂正しない?」

と思われるかもしれません。

そうしてくれれば私たち観客には「真実がわかる」のに・・・・と。

 

ローラにアンソニーが「昔ダンサーだった」と言ったとき

「なに言ってるの、エンジニアでしょ!」と訂正したのはありましたけど、

認知症の人の前では

「否定しないで話を合わせる」というのが原則なので

そういったことが話を複雑に(面白く?)する結果になったのかも。

 

私たち観客は最初のシーンのオリビア・コールマンのアンが娘だと思ってたのに

後のシーンでそれがそっくり否定され、パリにも行かないといわれたときには

「冒頭シーンはそっくり勘違いってこと?」と思ってしまいますよね。

 

現実でない部分は周囲をぼやかしたりモノクロにしたり・・・なんて編集もないので

見ている私たちもいろんな違和感が気になるも、正解がはっきりわかりません。

ただ、それこそが認知症の人たちの目に映る世界なのです!

 

 

今まで自分の記憶には絶対の自信をもっていたアンソニーみたいな人にとっては

「私はちょっと変だぞ」と自ら認めざるを得なくなることはどんなに辛いことか・・・

 

認知症は「知性そのものが失われる」わけではないので、

個人差もあるでしょうが、言い訳をしたり、話を合わせてその場を取り繕うのは得意です。

「時計が盗まれそうになったのをすんでのところで回避できた」とか

パリに行く話を否定されて、「これは余計なことをいってしまったね」とジョークを飛ばしたり

こういうのは「認知症あるある」なんですね。

 

 

ところで、本作は世界中でヒットしたフランスの舞台劇の映画化で

日本でも2年前に橋爪功主演で絶賛されていたそうです。

舞台だと どんな演出になるんでしょう?観てみたかったな。

 

 

ちなみに映画では

アンに鮮やかなロイヤルブルーのブラウスを着せて

同じ日?の出来事だということをアピールしたり、

アンとポールのアパートの壁紙を水色にしたり

クラシックCDを聴くのがCDデッキ(+リモコン)とCDラジカセで差別化したり・・・・

その辺で判断できるようにしたのは観客への配慮だったかもしれないけれど、

1回観たくらいではとても確信がもてません。

でも別にこれはわからなくてもいいかな?

 

本作はアカデミー賞に6部門ノミネートし

主演男優賞と脚色賞を受賞しました。

殺人鬼でも法王でもなんでもこなすアンソニー・ホプキンスが

今回はアンソニーという同じ名前で、生年月日も自分と全く同じの

まさに「等身大のおじいちゃん」で、キャリア最高といわれる演技です。

 

アン役のオリビア・コールマンも、最近は無表情の傲慢な役が多くて

こんなにも心から泣いたり笑ったりする役は久しぶり。

彼女の豊かな表情からは(映画のなかでは何も語られないけれど)

それまでの父との楽しい思い出や確執が

勝手にいろいろ想像できてしまいました。

 

 

 

アンは迷った挙句に父を介護施設に預けます。

(お世話係のキャサリンとビルは、アンソニーの記憶ではアンとその夫として登場したふたりと

同じ顔をしています)

 

「お散歩にでかけて木やはっぱを見て 戻ってきたら何か食べて

それからお昼寝しましょうね」

キャサリンのことばに素直にうなずくアンソニー。

 

ラスト、老人ホームの窓から見える大きな木々の葉が

一枚一枚太陽の光を反射して風にゆれている光景で

ちょっと泣きそうになりました。