映画「トキワ荘の青春(デジタルリマスター版)」 2021(令和3)年2月12日公開 ★★☆☆☆

<オリジナルは1996(平成8)年3月23日公開>

 

 

 

昭和30年代、漫画の神様、手塚治虫が住み、

彼に憧れ明日を夢見る若い漫画家、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄らが青春時代を過ごした

実在のアパート“トキワ荘”。

いまや伝説となったトキワ荘を舞台に、のちに漫画界の重鎮的存在になる彼らの、

漫画にすべての情熱を注いだ若き青春時代を描く。    (シネマ・トゥデイ)

 

 

昭和29年の豊島区椎名町のトキワ荘。

きれいに整えられた自室で、寺田はひたすら漫画の原稿にペンを走らせます、

 

向いの部屋の14号室にはすでに漫画のカリスマとなっていた手塚治虫が住んでいて

「ジャングル大帝」を毎日徹夜で執筆中。

「寺田氏、今夜メシいかない?」

同業者の寺田に気軽に声をかけてくれたものの

「ごめん、今夜はカンヅメになっちゃうからダメになった」

でもそのあと、寺田の部屋には 松葉から天津丼と餃子とビールの出前が届きます。

「手塚先生からのご注文です、ビールはホントは出前できないですけどね」

 

寺田の漫画はいい人しかでてこない真面目な漫画で

原稿をもって出版社をまわっても、なかなかいい返事をもらえません。

そんな中でも学童社の加藤だけは彼を認めてくれて「漫画少年」への連載が続いていました。

「おれの漫画は古い。でも、子どもたちのことを考えて書きたいんだ」

 

ある日あこがれの手塚に会いたくて、漫画家志望の藤本と安孫子が尋ねてきます。

(手塚は不在でしたが)自室に泊めていろいろ相談にのってあげる寺田。

「部屋代は3000円に経費が500円くらい、食費は二人なら7000円かな」

「新聞は330円だけど、漫画書くならとったほうがいいな」

 

しばらくして手塚が退去したあとの14号室にふたりは転居してきます。

その後も続々と漫画少年の投稿で入選バッチをもらうような漫画家の卵たちが住み着くようになり

近所の理容店の息子のつのだじろうもスクーターで通ってきます。

ちゃんと連載はもらえないものの、他の作家の都合でページが欠けた時の穴埋めに

「ここにくればなんとかなる」ということで、出版社からも重宝がられます。

 

寺田は若者たちにアドバイスしたり金を貸してやったり、トキワ荘の兄貴的存在。

そして寺田の部屋で「新漫画党」を立ち上げ、キャベツ炒めで乾杯!

 

 

実家から家族もやってきますが

「ひろしちゃんは好きなものに出会えてよかったね」

と漫画家になる夢を応援してくれる藤本の母(桃井かおり)もいれば

不安定な仕事だと警告する寺田の兄(時任三郎)もいて、様々です。

 

やがて、危ないといわれていた学童社が倒産。

未払いの原稿料がフイになって呆然とします。

 

鈴木はアニメーションの道を進むためにトキワ荘を出ていき

石森と藤子は才能を認められてコンスタントに仕事が入りますが

森安はまったくダメで、バイトしていた牛乳配達でもまじめに働かず

いつも寺田に愚痴をこぼしに来ます。

赤塚も担当者からは「向いてないから田舎に帰れば?」といわれるも

石森の手伝いをしながらあきらめずに書いているうちに

ようやく彼の作風に時代があってきたのか、ブレイクするようになります。

 

一方、寺田はあいかわらず健全な優等生漫画を描き続け

担当者に苦言をいわれても動じません。

 

河原で少年野球を見ていると、ボールが飛んでいます。

寺田は素手でキャッチしてやってきた少年に返球。

背番号0をつけたその少年は

「ありがとうございます」と帽子をとって丁寧に頭を下げるのでした。  (あらすじ ここまで)

 

いろいろ想像していたことと違いすぎてびっくり!

というのが正直な感想です。

 

 

私は当時の漫画事情はわからないですが

とりあえずトキワ荘お休み処には2回、マンガミュージアムには3回行ってるので

部屋の間取りとか、住民のプロフィールとかある程度はわかったうえでみたのですが

ほんとに、最後まで誰が誰やら・・・・という感じでした。

リマスターされてこの程度だから、オリジナル版はさらに暗くて

顔の見わけもつかなかったと思いますよ。

 

寺田ヒロオの独白からはじまり、

手塚治虫が早々とフレームアウトし(これは想定内)

そのあとに夢いっぱいの藤子のふたりが入居してきたところまでは

かなりていねいで分かりやすかったんですが

そのあとに入居してきた人たちはいっしょくたで、

名乗るシーンもあったかもしれないけど、後ろ向きだったり声だけだったり。

 

それでも私は入居者を知ってるので、消去法で予想しながら見ていたのですが

なんと入居者以外の人も何の紹介もなしにいろいろ登場します。

つのだじろうは最初に説明があったからわかったけど、

つげ義春がいきなり出てきたときは

「トキワ荘に暗い作風の人なんていたっけ?」

「あんたは誰?」

と考え込んでしまいました。

棚下照生の登場シーンにもけっこう時間を割いていたけど

寺田の古い友人をここで出すのって、これ必要?

 

そもそも、キャストの雰囲気が実物に似てなすぎ!というか

近づけようとあえてしてない雰囲気です。

阿部サダヲとか 生瀬勝久とか 古田新太とか、今は超有名ですが

当時はそんなに知名度のない劇団員だったから、

似てる人をキャスティングするのはたやすかったと思います。

(彼らがこの映画をステップに有名になれたのなら、

ある意味、俳優版トキワ荘といえるでしょうが・・・)

 

それにしても、

誰が誰かを、見た目とせりふで理解できないレベルなら

せめて登場シーンだけでも最低限の字幕をいれて欲しかったです。


 

 

↑は「新漫画党」を結成した時の集合写真で

上が映画、下は実物です。

うしろのふすまの柄まで近づけてるのに

立ち位置が全くちがうのはどういうこと?

実物写真はかなり有名な1枚なので、普通は敬意を払ってこれに従います。

(というか、そうでないとダメ)

どういう演出の意図があったのか、聞いてみたいものです。

 

トキワ荘については、誰もが知っているものからレアネタまで

エピソードには事欠かないのに、ほぼスルーされていました。

後半、石森の姉が登場したときは、実はとってもドキドキしました。

青字は映画の内容ではなく、私が知っていたエピソードです)

 

石森の姉は弟の世話をするために同居するようになるんですが

とっても美人で、彼らのマドンナ的存在。

でも体が弱くて、あるとき喘息の発作を起こして病院へ担ぎ込まれます。

入院して体調が安定したのを見て安心した3人(石森、水野、赤塚)は

近所の映画館に「マダムと泥棒」を見に行きますが、その途中で姉は急死してしまうのです

 

 

この「映画館」は近所にあった目白映画だと思われ、

この映画の中には中華「松葉」とか「エデン」とおぼしき喫茶店も出てくるので

ウソっこでも目白映画っぽい建物が出てきたらいいな~!

と高揚感をおさえきれずにいました。

(だって、目白映画の写真、全然残っていないから)

 

 


ところが映画館はおろか、このエピソードすらありませんでした。

美人なはずのお姉さんのお顔もけっこう残念な感じだったし、

仙台のお土産に笹かまぼこもってきたとか、

寺田とふたりっきりのときに「弟のことをよろしく」と頼まれたり

ほんと、どーでもいいシーンしかなくて、

「なら、だすなよ!」とマジ思いました。

 

上の間取り図でいうと、紅一点の水野英子さんは合作の企画で

風のようにやってきて風のように去っていきましたが

よこたとくおさんは全くスルーされていました。

新漫画党結成の時はいなかったから 仕方ないかもしれないけれど

つげや棚下よりははるかに「トキワ荘の住民」として欠かせない人物なのにね。

 

それから、少年漫画のファンの人にとっては、

実際の絵が寺田ヒロオのだけ、というのは不満ですよね。

赤塚や石ノ森の初期作品の作画が全くないのは、著作権の関係かもしれないけれど

どんなのを書いてたのか、タイトルくらい出したって良かったんじゃないの?

 

寺田が時代の波に乗れない、というか自分のポリシーや画風を変えたくない思い、

後輩の世話をしながらも悩みを抱えていたわけで

ラストで彼の理想像である真摯で礼儀正しい野球少年と出会ったところで終わるので

これはトキワ荘よりも「寺田ヒロオの半生」を描きたかったかとも思えるのですが

映画では描かれなかった晩年の彼の自殺の遠因かな?と思ったくらいで

彼がメインというには あまりに説明不足でした。

 

それなら(漫画家とか全く関係なしに)あの時代の木造アパートに住む若者たちを描くことで

昭和30年代というか、1950年代を描きたかったんでしょうか?

 

たしかに、リヤカーに乗る少年とか井戸端で洗濯するオバサンとか

ストーリーに関係ない人がやたらアップになったりしてました。

↓はトキワ荘の玄関のあたり。

30年代感はありますけど、なんかちょっとわざとらしい・・

 

 

別に雰囲気でてればOKなのかもしれないけれど、

もし「時代を描く」のが目的だとしたら、確証はないけど、

全体的にちょっと雑な印象をもってしまいます。

古いモノクロの風景写真も出てくるけど、一瞬だったからわからないけど

30年代の池袋や目白ではなかったような気が・・・・

あと、広い河原みたいなところがでてくるけど、あの辺は今は暗渠になったような川はあったけど

あんな大きな川はなかったよねぇ・・・・

 

まえに「モリのいる場所」を見たときも、いろいろ違和感があったので、徹底的に調べてみました。

年寄の自由研究という感じですが・・・・(笑)

 

 

映画はつまらなかったけど、トキワ荘や30年代の椎名町について

がんばって調べてみようという気がムクムクと沸き上がってきました~!

 

それが感想ではちょっと失礼なので、なんか褒めるところを探さないと・・・・

 

あ、冒頭に出てくる手塚治虫のさりげない優しさはいいですね。

14号室の敷金をそのままにして藤子たちの初期費用にあててくれたという

けっこう有名なエピソードは映画のなかにはありませんでしたが、

あの松葉の出前の件ははじめて知りました。

 

寺田のような世話好きの先輩ではないけれど、

誰よりも忙しいはずの手塚の思いやりのエピソードにはことかかなくて

トキワ荘の解体のニュースを聞くとすぐに飛んできて、自室の天井板を外して絵を描いて

教えてくれた記者たちにプレゼントしたとか。

今は去年復元されたトキワ荘(マンガミュージアム)に展示されており、

これがなかったらここは100%レプリカの施設になるところでした。

いい話でしょ?(映画とは関係ないけど)

 

しょうがないので、最後に音楽のことを褒めたいと思います。

最初と最後に流れるのは霧島昇の「胸の振り子」

それから春日八郎の「別れの一本杉」、 歌謡曲ではないけれど「しあわせの歌」という労働歌、

介護施設では一番人気の灰田勝彦の「きらめく星座」

私が戦後歌謡のなかで一番好きな「東京の屋根の下」・・・・

 

もう めくりめくような昭和歌謡の世界です。

(生まれる前の歌だから偉そうには言えないけど)

ぜひ、こういうのを昭和歌謡と呼んで欲しいものです。

 

結局映画とは無関係の着地ですみません。