ふ映画「行き止まりの世界に生まれて」令和2年9月4日公開 ★★★★☆

(英語:字幕翻訳 大西公子)

 

 

家庭環境に恵まれないキアー・ジョンソン氏、ザック・マリガン氏、ビン・リュー監督の3人の若者は、

イリノイ州ロックフォードで暮らしている。

厳しい現実から逃れるようにスケートボードに熱中する彼らにとって、

スケート仲間はもうひとつの家族であり、ストリートこそが自分たちの居場所だった。

やがて彼らも成長し、目の前に立ちはだかるさまざまな現実に向き合う時期がやって来る。

                                            (シネマ・トゥデイ)

 

イリノイ州ロックフォードで暮らしている3人の若者のつながりはスケートボード。

立ち入り禁止区域も無視してビルの配管をよじ登ったり、いい大人なのに

車が少ないとはいえ車道を高速走行する彼らは気持ちよさそうだけれど、なかなかの迷惑行為(笑)

 

12年前に彼らが出会ったとき、 ビンは17歳、ザックが15歳、そして一番幼いキアーは11歳。

そのころからビンは常にカメラを持ち歩き、彼らのことを撮り続けていました。

年齢にも差があり、人種も全く異なるスケートボードで結ばれた3人を姿を

昔の映像も織り込みつつ、描いていきます。

 

 

 

キアー

厳しい父から毎日のように「お仕置き」されていた幼少期。

道で知らない男に殴りかかられたとき、追い返してくれたのがザックで、以来彼を兄のように慕うように。

スケボー仲間といるときが幸せ。

18歳で自立しようとしても、レストランの皿洗いやゴミ出しの低賃金で重労働の仕事。

それにも耐えて真面目に働いていたら、ちゃんと認められて

ホール係に昇格し、引っ越したり車を買ったりもできたけれど

貯めたお金を兄に盗まれて、母の新しいカレシもDV男のようでうんざり。

死んだ父とは最後まで折り合えなかったけれど、今になると愛されていたのかと思います。

父の墓を見つけて(墓石には2011年8月26日没)涙を流します。

父に今のスケボーのスキルをみせてあげたかった・・・

 

ザック

親の束縛を嫌って家を出たのは16歳の時。

恋人のニナが妊娠出産し、今はエリオットの父親となり

ルームメイトのカイルたちと家を借りて暮らしています。

「親としてできるだけのことをしたい」

今は屋根職人の見習いですが、将来のために高卒認定試験を受けるもさっぱり。

21歳でまだ遊びたい盛りのニナはエリオットを置いて夜遊びすることも多く

日常的にケンカが絶えず、酒を飲んで暴力をふるうことも。

ニナはエリオットをつれて叔母夫婦の家にいってしまいます。

友人と共同で屋内スケートパークを作るも、友人は支払いを踏み倒し

売上金を持ち逃げしてしまいます。

 

ビン

ビンは撮影者なので、インタビュアーとしてしか登場しないのですが、

12年前、キアーが父親から殴られていることを打ち明けられたとき、

実は、継父のDVで苦しんでいた自分を重ね合わせていました。

ビンの母は離婚後この街にやってきて、ビンが8歳の時、働いていたピザ店の客(白人)と再婚。

母が仕事をしていてビンは継父と二人きりの時間が多く、いつも暴力を受けていました。

母との間に異父弟カイルが生まれますが

ケントも兄がひどい目にあっているのは知っていても、怯えることしかできませんでした。

 

このことを母はどう思っていたのか知りたくて、

大人になったビンが母にインタビューすることに。

(もう1台カメラを使い、ビンの姿も映すことにします)

「あなたがそんなひどいことをされていたのは知らなかった」

「私も首をしめられて警察を呼んだことがある」

「凶暴な面を持った人で、17年間耐えたけれど別れた」

「私自身も両親の喧嘩をみて育ったけれど

あなた(ビン)を傷つけた責任を負う」

 

そして現在の3人。

キアーはスケボーのスポンサーが2社つき

ザックはニナとは別れて、デンバーで知り合ったサムと暮らして

養育費を払い続け、

ビンの母は再婚して、ビンとケントが式ではエスコート役をつとめました。

                                  (あらすじ  ここまで)

 

 

ロックフォードはイリノイ州 シカゴ郊外のこの位置にある小さな街です。

この作品を絶賛しているというオバマ前大統領はイリノイ州選出の上院議員だったので、

当時から地元のヒーローだったのでしょう。

ラストベルト(錆びた工業地帯)とオワコンみたいにいわれることも多く、

4年前にここの人たちが共和党支持にまわったことからトランプ政権が誕生したという人も。

 

チラシや予告編には

「オバマ前大統領が今年のベスト10に選んだ」

「トランプのアメリカの知られざる現実」

というようなことばが踊り、

「トランプのせいで衰退してしまった

地方都市の夢も希望もない閉塞感を描く」

といった印象操作をされてしまうんですが、これはウソです。

2年もまえの映画を「今年のベスト10」とか書くのもウソだと思うし、

この大統領選直前の時期に公開しなくてもいいじゃん!

と思いましたけどね。(先日も書いたのに、しつこくてすみません)

 

しかも公式サイトにコメントを寄せている人たちの名前をみたら、

はっきりいって、見る気が失せる人たちが混じっているしね(笑)

 

でもけっして変に偏向した社会派映画では全然ないし、

素晴らしく感動したので、ぜひぜひ見に行ってください!

 

 

シネマカリテでも軒並み完売!

私は初回の10時の回に行ったのですが、ひとつ置きに座ってほぼ満席でしたよ。

しかもこの回はビン・リュー監督のオンライントークもあって、ラッキーでした。

 

 

写真OKでしたが、残念ながら音声が聞き取りづらかったです。

近く公式サイトか公式Twitterに載るそうなので、そちらで確認しようと思います。

 

「ロックフォード(のような閉塞的な街)でなく、他の街だったら、この映画はできたか?」

という質問には、監督はきっぱりと

「別にロックフォードは関係ない」と言い切っていたので、念のため。

 

 

思春期から大人になっていく少年たちを描いたドラマやドキュメンタリーはたくさんありますけど

これは過去に類をみないユニークなドキュメンタリーです。

12年というと「6歳のボクが大人になるまで」も同じく12年なので、ついつい比べてしまうのですが、

リンクレーター監督のように、最初から構想があったわけでもなく、

定期的に取材対象を訪れて時系列に撮りつづけたわけでもありません。

 

とにかく時間軸や取材対象が頻繁に入れ替わり、

どんどんスイッチしていくので、引き込まれるんだけど、かなり混乱もしてしまいます。

(なので↑のあらすじも、あんまり信ぴょう性ないかもしれません)

 

特筆すべきは、監督(兼カメラマン)のビンが仲間でもあるから、みんな心を開いてくれるし、

取材されることで自分に向き合うことができ、

「無料セラピーを受けてるみたいだ」とキアーは言います。

それはビン自身にもいえること。

 

彼は(オンライントークで知ったのですが)

カメラを持つようになったのは14歳の時で

最初のうちは仲間内の撮影係で、いつも仲間を撮っていたそう。

そして17歳の時、11歳の恥ずかしがり屋の黒人少年キアーを撮っているとき

父からのDVの話を聞いて、継父の理不尽な暴力を受けていたビンは、

自分だけじゃないんだ!と思うんですね。

 

15歳のときのザックはいかにも女子にもてそうな美少年だったんですが、

かれもまた父親の束縛に嫌気がさして、ちょっと道をはずしそうな子でした。

カリスマ性のある魅力的な子なのに、不安定で心が弱い。

その危うげなところが彼の魅力でもあるわけですが。

 

3人はスケート仲間ではあったけれど、特別親友というわけでもなく

このあと10年近く映像がないんですが、映画を専門的に勉強してきたビンが

大人になったふたりの撮影を再開し、自分自身もはじめて母に向き合う・・・・

エリオットの成長を考えたら、たぶん大人のシーンには3年程度の時間をかけていると思います。

 

3人の共通点は、ひとつは「父親からの暴力」

「白人の仲間がいても、自分が黒人であることを忘れるな」

「選べるとしたらまた黒人に生まれたい」と、いつもいっていたザックの父。

おそらく、息子に強く生きて欲しい一心で手をあげてしまっていたのだと、

父が死んだ後にキアーは気がついて

「僕は愛されていたんだ」と涙を流します。

 

ザックの両親もケンカが絶えず、ザックも意味もなく殴られていました。

エリオットが生まれて、自分もになったものの、

彼もまた妻のニナを殴る男になってしまいました。

「自分が最低だと認めたくなくて酒を飲む」

「自分の敵は自分で、逃げ道などないのに」

シラフの時はわかっているのに、酒が入ったりニナにわめかれたりすると

感情が抑えられなくなるのですね。

 

そのニナも感情的な親の元で育ち、自分も汚い言葉で罵る妻になってしまいましたが、

溢れる愛でニナとエリオットに接してくれてる叔母夫婦に救われたといいます。

 

ザックの新しいパートナーのサムは精神的に大人の女性なので

今後ザックはDVの連鎖を断ち切れるといいのですが・・・

 

そしてビン。

彼の継父は「間抜け面」といって肉切ハサミを持ち出したり

妻の首を絞めたり、これはもうサイコパスで、レベルが違います。

抵抗できない相手を暴力で一方的に支配しようとする継父の暴力は

キアーの実父のような不器用な愛もなく、ザックの夫婦ケンカのような成り行き的なものもありません。

仲間や映画制作がなかったら、ビンも、恐ろしい過去を乗り越えられなかったかも。

 

もうひとつの共通点は「スケートボード」

プロのスポンサーのついたキアーだけでなく、

ビンだって、自身もボードに乗りながら、疾走シーンをカメラで撮影するのだから、すごい腕前です。

 

ボードショップのオーナー、エリックは

「子どもたちは親の悪口とかここで吐き出してた」といいますが、

「スケボーはスタイルや仲間づくりじゃなくて

これがあれば生きられる、というもの」とビン。

「細部まで完璧にコントロールできないと失敗する」

「精神的に追い詰められても、これに集中すれば心の痛みが癒される」と。

「けがをしたり痛い思いもするけれど、練習しただけ上達するのが嬉しい」

と、キアーはいいます。

 

彼らが走るのはちゃんとしたコースではなく、普通に車や歩行者のいる公道なので

親世代からいったら、けっこう眉をひそめたくもなるのですが、

そんな私の心を見透かすかのように

「スケートボードで事故は起きるのです」

という看板が大写しになります。

 

「辛い時に助けてくれるのがお父さんなのです」

「放課後、あなたの子はどこに?」

など、あまりにもっともな看板がちょいちょい登場するのも遊び心ですね。

 

最後に、この作品は、希望もない見捨てられたアメリカの現実や

閉塞感でいっぱいの治安の悪い地方都市を描いたものでもないし

政治的に利用するのは適当ではないと、しつこく付け加えておきます。