映画 「COLD WAR あの歌、2つの心 」 令和元年6月28日公開 ★★★★★
ピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)と歌手を夢見るズーラ(ヨアンナ・クーリグ)は、
ポーランドの音楽舞踊学校で知り合う。
やがて二人は恋に落ちるが、ヴィクトルに政府の監視の目が向けられ、
彼はベルリンでの公演後パリに亡命する。
その後歌手になったズーラは、
公演で訪れたパリやユーゴスラビアでヴィクトルと再会を果たす。 (シネマ・トゥデイ)
第二次大戦後、1949年から1964年までの15年間のポーランドとパリを舞台に
一組の男女のメロドラマです。
今まで私の見たポーランド映画といえば、「迫害」とか「抵抗」のイメージが強くて、
「カティン森」しかり、「残像」しかり・・・
なので、男女の愛の物語といわれたら、
二人の間に立ちはだかる壁にさえぎられるも、愛を貫いた話なんだろうな・・・と。
でも本作はそうではなくて、このふたりは「腐れ縁」のような関係で、
彼らの肩越しに見える「歴史の流れ」がむしろ主役なのではないかと思わせる作品です。
時間軸はまったくぶれず時系列で、フラッシュバックもなく、
また女性の方は15年の間に10代から30代になったとおもわれるのですが、
ひとりの女優が通して演じています。(なので、理解しづらいことはないです)
ストーリーをざっと書きますが、説明的なセリフがほとんどなく、モノクロで情報量が極端に少なくて
半分は私の想像というか、解釈で、かなりいい加減なので、あしからず・・・・
①1949年 ポーランド
足踏みのバグパイプ?やバイオリンやみたこともない民族楽器を演奏し歌う姿を
採集して歩く一組の男女。
戦後、ポーランドの国民意識を高揚させるために固有の伝承音楽を集めているように思われます。
「これはレムコ語。ことばがちがう、残念だ」とか、(あとのほうのシーンですが)
「あの子は髪が黒すぎる、染めさせないと」というせりふがあり、
どうやら、「純血のポーランド独自のスラブ文化」というのにこだわっているようです。
②剥がれたマリア像の壁画が一瞬映り、トラックからぬかるみ道におりたつ少年少女たち。
「この領主の館で、君たちは先祖伝来の音楽を学び、教師の指導を受け、
競争をくぐりぬけ、選ばれたものが舞台にたつ」
どうやらここで、少年少女たちを指導して「国民歌謡舞踏団」のようなものをつくるようで、
①にでてきた男女、ヴィクトルと イレーナは、ここの指導者として再登場し、
労働党からのお目付け役としてカチマルクがそれを監視します。
ちゃんと音楽教育を受けてきた子たちじゃないので、楽譜も読めず、歌も自己流ですが、
そのなかにきらりと光る少女がおり、オーディションでは山の民謡を二重唱したのに加え、
彼女はそのあとひとりで、ソ連のミュージカル映画「心」で覚えたというアリアを歌います。
「彼女はエネルギーがあり、独創的」とヴィクトルは気に入った様子ですが、
「彼女は問題児よ。
カチマルクから聞いたんだけど、父親殺しで保護観察中らしいわよ」と、懐疑的なイレーナ。
(実際、性的虐待をしようとした父を刺した彼女は、殺人未遂で執行猶予中でした)
③1951年 ワルシャワの大劇場でのマズルカ舞踊団の最初の公演
ヴィクトルたちの指導の成果がしっかり上がって、歌唱も舞踊も2年前とは格段のクオリティの高さ。
とくに「2つの心と4つの瞳」(日本人にはオヨヨ♪~としか聞こえないので、以後そう書きます)の曲の美しさ!
素朴な民族音楽がステージパフォーマンスとして見事にショーアップされ、
男性のダンスはコサック舞踏のような体力勝負の力強さ。
女性たちの民族衣装にも惚れ惚れとします (モノクロなのが残念)
ヴィクトルにカチマルクが近づき
「民族芸能に懐疑的だったが、この舞台には感動した」と。
「もっと祖国をたたえ、農地改革、世界平和とかも題材にしていきたい、最高指導者の賛歌とか・・・」
「そうすれば、東ベルリン、プラハ、ブタペスト・・・モスクワにだって公演旅行ができる」
ヴィクトルは
「我々は純粋に民族芸能にこだわりたい」
というのですが、国内の情勢はそれを許さず
マズルカ舞踊団はだんだん「インターナショナル」とか「スターリン賛歌」とか、
大きな旗をはためかせながら、プロパガンダの歌ばかり歌わされる羽目に。
(この辺、北朝鮮の芸術団みたいです)
イレーナはこれに反発して、ここを去りますが、
不満を残しながらもヴィクトルはここに残ります。それはなぜか?
実は教え子のズーラ(オーディションで輝いてた子)に手をつけちゃったんですね。
彼女はそれまで「前髪の子」「心をうたった子」「父親殺しの子」とかいわれていて、
ズーラという名前がわかるのはもうちょっとあとなんですが、
ズーラはこのドラマのたったひとりのヒロインなので、ここからは名前で・・・
ヴィクトルとこっそり逢瀬を重ねながら
「世界の果てまでもいっしょよ」といいながら、
「ガチマルクが言い寄ってきて、あなたのことをとやかく聞かれる」
「だから害のないことをちょっとずつ密告しているの」
「私は執行猶予中の身だから、体制には反発できない」というズーラ。
そして、走って行って川に飛び込み、あおむけに浮かびながら、あの「2つの心(オヨヨ♪)」を歌います。
④ 1952年 東ベルリン
ベルリンに向かう列車のなかで、ヴィクトルはズーラに、フランスへの亡命を持ち掛けます。
「公演後、ロシア占領区の隅で待ってる」
ところが何時間待ってもズーラは現れず、ヴィクトルはひとりフランスへ向かいます。
⑤1954年 パリ
ナイトクラブ「レクリプス」で、バンドの一員としてジャズピアノを弾いているヴィクトル。
作詞家の恋人ジュリエットと平穏に暮らしているようです。
パリを訪れたズーラ(なぜ来ることができたかは不明)に
「あの時どうしてこなかった?」と聞くも
「私はまだ未熟で(亡命なんて)無理だと思った」と。
⑥1955年 ユーゴスラビア
マズルカ舞踊団の公演を見に来たヴィクトルをカチマレクが見つけて声をかけます。
「君が去ってしまい、非常に残念だ」
舞踊団の花形歌手となったズーラは、ステージから客席のヴィクトルを見つけますが
会いに行くことはしません。(カチマルクから止められていたか?それとも単に省略されただけか?)
⑦1957年 パリ
ヴィクトルが映画にあわせた劇伴の演奏を録音していると、突然ズーラがやってきます。
「パレルモ出身のイタリア人と結婚したの(だから自由に渡仏できる?)」
ヴィクトルはオヨヨ♪を自らジャズ風にアレンジした曲をぜひともズーラに歌ってほしいのですが
彼女はジュリエットの訳詞に不満のようす。
「『振り子時計が時を殺す』って意味がわからない・・・」
乗り気にならないままレコーディングとなりますが、これが、かなり上手い!
舞踊団の歌姫時代とは全く違う曲調で、発声もちがうのに、見事に歌いこなしています。
それでも不機嫌なズーラは、大酒を飲んで「Rock Around The Clock」で踊り狂ったり・・・
パリでのズーラにはかつての田舎少女の面影はなく、レア・レドゥみたいな物憂い表情です。
ポーランドよりずっと自由に生きることが許される社会で、
ここでシンガーとしてヴィクトルのそばで生きていけばよさそうなものですが、
これがどうにもしっくりこないんですね。
ズーラの態度には、温厚なヴィクトルもついには手をあげ、
ズーラはポーランドに帰ってしまいます。
その後、マズレク舞踊団に国際電話をしても、ズーラの消息はわからず。
ヴィクトルは、彼女を追ってポーランドに行く決意を固めます。
ただ、いったん亡命した社会主義国に戻るというのがどういうことなのか・・・
「祖国を捨てた愛国心のない裏切り者」と判断されるだけです。
⑧ 1959年 ポーランド
ポーランドの古びた長距離列車にひとり乗るズーラ。
彼女が向かった先は、ヴィクトルが収監されている刑務所でした。
「違法に出入国した罪で懲役15年の罪だ」
丸刈りでやつれた体。 拷問されたのか、とてもピアノは弾けないような指になっていました。
「君に耐えられる普通の男を探せ」というヴィクトルに
「必ずここから助け出すから」というズーラ。
⑨ 1964年 ポーランド
「夏の歌フェスティバル」ではラテン音楽が鳴り響き、
その会場でヴィクトルとズーラは再会します。
ズーラは言葉通り、ヴィクトルの早期出所のためにいろいろ手をつくしたようです。
ズーラは2歳くらいの男の子の母親になっていました。
彼女の夫と思われる中年男がやってきて
「君がパリでつくったレコードは素晴らしかった。こんどはぜひポーランド語で頼む」
私は、彼は偽装結婚したイタリア人の夫だと最初思ったのですが、
15年の間にさらに髪が無くなったカチマレクにも見えるし、
あるいは、ヴィクトルを救い出すために別の有力者の妻になったのかもしれません。
(そんなことズーラにはたやすいことですから)
「私をここから連れ出して」
「そのために来た」
そして二人はバスにのり、なにもない十字路で降りると
そばには崩れかけた壁と剥がれかけたマリア像。
ふたりが最初に出会った、オーディション会場のそばの教会でした。
二人だけの結婚式を挙げ、蝋燭の下に並べた白い錠剤を
「体重にあわせて飲むのよ」
「永遠にいっしょよ」
手をつないですわるふたり・・・・
エンドロールにはバッハの「ゴルトベルク変奏曲(アリア)が静かに流れます。(以上 あらすじ終わり)
二人の男女の15年にわたる愛の軌跡で、大河ドラマに匹敵すると思うんですが
驚くべきはその上映時間。 わずか88分ですよ!
全編モノクロ映像で、ゆったり何も起こらないシーンもけっこうあって、情報量少な目に思えるのに
無駄なカットがひとつもない、というか、上映中はずっと集中していたし、それをさせる作品なんですよ。
ポーランド史に疎く、ポーランド→ショパン しか連想できない私でも、ひととおりはついていけた感じでした。
(そういえば、「幻想即興曲」をヴィクトルが見事に弾くシーンがありましたね)
いろいろ感動が大きすぎて言葉にならないんですが、
「映画好き」を自認する人だったら、どんな障害を乗り越えてでも、「映画館に行かなきゃだめなやつ」です。
パヴリコフスキ監督の過去作「イーダ」はいまだレンタルがなく、
もしかしたら、本作も同じことになるかもしれません。