映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」 平成30年12月7日公開 ★★★☆☆

(ヒンドゥー語 英語  字幕翻訳 松岡環)

 

 

インドの田舎町で小さな工房を共同経営するラクシュミ(アクシャイ・クマール)は、

新妻のガヤトリ(ラディカ・アプテ)が生理の際に古布を使っていることを知る。

ラクシュミは、市販のナプキンが高くて買えない妻のために清潔なナプキンを作ろうと研究に没頭するが

周りの人々から非難されてしまう。

都会に出たラクシュミは、ある素材の存在を知る。     (シネマ・トゥデイ)

 

いちおう見たい映画にはいれておいたものの、実はさほど興味はなかったのですが、

巷の評価の高さに驚いて、焦って観に行きましたが、

うーん、それほどでもなかったかな? 

個人的には★★に近い★★★というところでした。

 

冒頭はかなり楽し気に始まります。

ガヤトリとの結婚式から新婚ほやほやの仲の良い二人の日常が

ボリウッドの音楽に乗せて、ミュージカルのように語られます。

 

工房でものを作ったり、出張修理をしたりするのが仕事のラクシュミは、

手先の器用なかなり腕利きの職人のようです。

妻が好きでたまらない彼は、おもちゃを改造して野菜カッターを作ったり

妻と2人乗りする時に、妻が座りやすいように、自転車を改造したり、

ガヤトリの喜ぶ顔がみたくて、いつもいろんなものを作っています。

 

あるとき、食事中に急にガヤトリが席を外してしまいます。

いつも妻のそばにいたいラクシュミは心配で後を追うのですが、

同居している家族から厳しく止められます。

ガヤトリは生理になってしまったようで、「穢れ」の5日間は身体に触れるのはもちろん、

近づいては行けない風習があるようです。

 

そして一番心配なのは、経血の処理に、きたない布をつかっていること。

雑巾にもしないようなボロ布で、洗った後も人目を気にして陰干ししているから、

除菌もできていなくて、不潔なことこのうえない・・・

「愛するガヤトリが病気になっては大変!」と薬局にナプキンを買いにいくのですが、

男がそんなものを買いに行くのはあり得ない話で、まるで禁制品のようにこっそりと渡されます。

しかも、55ルピーもする!高い!!

 

妻にプレゼントしても、

「こんな高価なものを使ったら、義母たちに叱られる!返してきて!」と拒まれてしまいます。

返品もできずにナプキンを持ち歩いているときに、

たまたま工場でけが人が出て、出血を押さえるためにナプキンをあてて病院へいくと、

「汚れた布をあてていたら、感染して腕を切断することになってたかも」

「清潔なナプキンをあててお手柄だった!」

と医者に褒められます。

 

「君は女性思いだね」

「生理の時に汚い布を使って感染症になって、不妊になったり,亡くなる女性だっている」

「これは深刻な問題だ」

 

それを聞いたラクシュミは、愛する妻が感染したら大変!と、

手作りの生理用ナプキンを作ることを考えます。

 

綿を布でくるんだものをつくり、葉っぱでくるんで花をそえて、妻にプレゼントしますが、

どうしても漏れてしまうようで、妻はボロ布に逆戻り。

ラクシュミはナプキンを改良することで頭がいっぱいになり、仕事もおろそかになってしまいます。

 

いつもポケットには試作品のナプキンをいれていて、

ある日、それを目ざとくみつけた親戚の子ども(?)に引っ張り出され、

女性たちは悲鳴を上げます。

そして、ラクシュミだけでなく、ガヤトリまでが、親戚の前で、大恥をかくことになるのです。

 

妻にこれ以上モニターになってもらうのは無理と考えたラクシュミは、

女子医科大学の学生たちにサンプルを配ってアンケートをとろうとしたり、

初潮を迎えた親戚の少女(?)に使わせようとするのですが、

それがバレるたびに大変なバッシングを受けます。

 

それでも懲りないラクシュミは、女性に頼れないなら自分でモニターをやろうと、

自分で女性用の下着をつけ、ナプキンに動物の血をたらして実験するのですが、

血が漏れ出して、ズボンが真っ赤になり、パニックを起こします。

あわてて川に飛び込むと、

「聖なる川を汚した」と、さらなる大バッシング。

 

「(こんな愚かなことをするとは)悪霊に憑りつかれている」

「菩提樹に逆さづりにしろ」

「杖でたたけ」

と、村中の人たちに罵倒され、妻は実家に戻され、妹や母も家を離れ、

いたたまれなくなったラクシュミは村をでることにします。

 

(インターミッション  「ひきつづきお楽しみください」の字幕)

 

食事ものどを通らず、実家でやせ細っていくガヤトリ。

一方のラクシュミは、

市販のナプキンに使われているのは綿ではなくセルロースだということを知りますが

それ以上の情報は大学にいかなければわからないので、

とりあえず、大学教授の家で下働きをして、チャンスをうかがうのですが、

教授の息子がパソコンを使って、セルローズファイバーを作っているアメリカ企業を調べ

サンプルを送ってもらうことに成功します。

 

数千万ルピーあれば、1分間に100個作れる機械も買えるのですが、

そんなお金はとてもありません。

フルオートメーションだったら大型の高価な機械になるけれど、

4つの工程それぞれに手動で操作できる小型の機械を開発すれば、

安価でできるのではないかと考え・・・

 

① 繊維を砕く

② 圧縮する

③ つつむ

④ 殺菌する

 

そして、こつこつと作業するうちに機械は完成するのですが、

またまた、モニターとなってくれる女性を探すのに苦労します。

たまたまナプキンを探していた近代的な都会の女性パリーに出会って、使ってもらい、

「普通の使用感」といわれ、大感激します。

 

1年たち、商品化できないうちに、機械の開発費の9万ルピーの返済期限がきてしまいます。

20万ルピーの賞金目当てで、デリー工科大学の発明展に出品すると、見事大賞を射止めます。

このニュースは村にも流れますが、発明品がナプキン製造機と知ると、

やっぱりまた「こんな汚らわしいものを!」とバッシング。

久しぶりに電話してきたガヤトリも、ナプキンのことしかいわない夫に失望します。

 

ラクシュミの相棒となったパリーは、「女性同士なら心を開いてもらえる」と説得し、

経済力がないために夫のDVに耐えているような女性たちを集め、

機械の操作を教え、家々を訪ねて、ナプキンの訪問販売をはじめると、これが大成功!

 

「パリー(妖精)」と名付けられたナプキンはとぶように売れ、

ラクシュミは新たに機械をたくさんつくり、

それをたくさんの女性たちが使って製品を売り歩くことで、

安価なナプキンが普及するだけでなく

女性たちの経済活動を支えることにもなるわけです。

 

各地の女性団体からどんどん注文がはいったり、評判は広がって

ついには、国連がラクシュミをNYにまねいてくれます。

 

そこでの、通訳を使わず、つたない英語で身振り手振りでのスピーチは、

会場の笑いと感動を呼びます。

 

「私は富を追うマネーマンにはなりたくない」

「インドはトラブルだらけだけれど、それは絶好の機会」

「インドの女性は月に5日、年に60日も損をしている」

「偉大な男の国はつよくならない。女性が強い国がいい。

ナプキン製造機は女性を強くする」

 

さすがにここまでくると、今まで非難していた村の人たちも

ラクシュミを「村の英雄」としてたたえてくれ、ガヤトリともよりを戻して、めでたしめでたし・・・・

 

 

とまあ、こんな「いい話」です。

 

「妻に汚い布を使わせたくない一心で、

みんなに非難されながらもナプキンを試作し、手作りで機械も作って

インド中に安価なナプキンを普及させた」ということなんですけど、

彼はナプキンを発明したわけではなく、

正規のをパクってオリジナルの機械で安く作り、だれでも買えるようにしたのです。

 

当時すでに「汚い布を使って死ぬ女性もいる」と村医者も気づいているのに

タブー視されがちなこの分野には誰も手を出さず、

普及率は都市に偏り、インド全土ではわずか1割。

 

「高くてとても買えない」というのは、「農村の貧困」というより、

そもそも「そういうことにお金を使うのは恥」と言う考えがあるから。

神様にお供えしたり、お祭りをしたり、そういうところにはお金が払えても

女性の健康にはびた一文払えない・・っていう考えです。

初潮とか出産とかも、無事に乗り切るために最優先するのは神様へのお祈りで、

不衛生から病気になったとしても、それは信仰が足りなかったという理屈。

 

清潔なナプキンを誰も買わないなら、

暴利をむさぼるつもりはなくても、必然的に価格は上がり、

いつまでたっても誰も買えません。

 

そもそも生理を「不浄のもの」を決めつけたのは男かもしれないけれど、

「恥ずべきもの」と引きこもらせたのは因習にとらわれた女性たちの方。

ラクシュミを誰よりも攻撃したのも、いっしょに住んでいる母でした。

 

親戚の子ども(?)、親戚の少女(?)とか、書いてしまいましたが、

家族関係がよくわからないくらい、いっしょに住んでいる人が多くて困りました。

もしラクシュミとガヤトリが、アパートで二人暮らしだったら、もっと問題は少なかったでしょうが・・・

 

今みたいに核家族が標準になってくると、

大家族の良さを見直そうといわれるようになりますが、

こんな頭の固いババアが牛耳ってる家になんて、絶対にお嫁に行きたくないですよ。

 

日本も60年くらい前だったらこんな感じだったかもしれないですが、

これは20年ちょっと前のインドの実話です。

 

 

ラクシュミのモデルとなったのは、アルナーチャラム・ムルガナンダムという実在の人物で、

こんなちょっといかつい感じの男性です。

前半部分はほとんど実話ベースみたいですね。

 

ただ、パリーという女性は映画オリジナルの人物なので、

後半の「多くの女性の雇用を生んだ」という、もう一つの女性への貢献は誰のアイディアか?

まあ、その辺はスルーするとして、これがあまりに単純なストーリーに変化を与えているし、

パリーを登場させることで、

インド女性がすべて同じように虐げられているわけでもないことが伝わりました。

これは都市部と地方の格差なのか?

パリーの父親がシーク教徒というのは関係しているのかな?

 

 

 

以下は、映画とは全然関係ないんですが、

日本の生理用品の歴史が気になって調べてみました。

 

1961年に発売されたアンネナプキンが紙ナプキン第一号で、

最初は高価だったようですが、じきにたくさんのメーカーから発売され、

次第に普及していったようです。

それ以前はどんな感じだったかというと・・・

 

①1909年(明治42年)  ゴム製猿股式

 

② 1924年(大正3年)  タンポン方式

 

 

 

③ 1937年 (昭和12年) 手作り木綿のT字帯

 

 

ゴム製のショーツとかタンポンが

この時代の日本にすでにあったのも驚きですが、

安全性や装着感にはきっと問題あったはず。

最近、リユースできる布ナプキンが復活しているようだから

必ずしも布が使い捨ての紙製品より非衛生的ともいえないんでしょうかね。

 

日本でも生理用品の開発者には男性もいたでしょうし、

いろいろな偏見と闘ったりしてたんでしょうか?

(なんかのドラマで見たような気もしますが)

気になります。