映画「彼が愛したケーキ職人」 平成30年12月1日公開 ★★★★★

(ヘブライ語・ドイツ語・英語 字幕翻訳 西村美須寿)

 

 

カフェでケーキ職人として働くトーマスは、

イスラエルから出張でベルリンを訪れる常連客のオーレンと恋に落ちる。

オーレンには妻と子供がいて、彼が仕事でベルリンにいる短い期間だけが彼らの時間だった。

だが、ひと月後の逢瀬の約束をしてエルサレムの自宅に戻ったオーレンと連絡が取れなくなる。

                                                (シネマ・トゥデイ)

 

ベルリンのカフェ&ベイカリー「クレデンツ」をひいきにしている、

エルサレムからのビジネスマン、オーレン。

「ベルリンみやげならこの店のクッキーだ」

と、黒い森のケーキとエスプレッソを注文し、妻への土産にシナモンクッキーを買って帰るのですが、

この店をひとりで経営するドイツ青年トーマスに

息子への誕生日プレゼントを選んでもらったりするうちに親しくなり、

気づけば同性カップルとなっていました。

 

1年後、

オーレンとはベルリンの現地妻(?)のような関係になったトーマス。

ある時、オーレンが帰った後に、クッキーと鍵の束を忘れていったのに気がつき、

携帯にメッセージを残しますが、返信なし。

心配になったトーマスは、オーレンの勤務先を訪れますが、

そこで、愛する彼がエルサレムで事故死したことを知らされます。

 

いてもたってもいられないトーマスはスーツケースひとつでエルサレムを訪れ、

彼の妻アナトが経営するカフェ「バアモン」にやってきます。

何度も通い詰めるうちに、シングルマザーアナトがひとりで切り盛りする店を手伝うべく

時給25シェリルで、朝からバイトをすることに。

 

息子のイタイの誕生日と聞き、よかれとおもって、得意のクッキーを焼くのですが、

「非ユダヤ人はオーブンを使えない。そんなものゴミ箱行きだ!」とオーレンの兄モティに怒られ、

アナトからも

「頼んだこと以外やらないで」と言われて、落ち込むトーマス。

 

「パアモン」は「コシェル認定店」なんですが、いろいろめんどうな制約があるようで・・・

調理師の資格とかではなく、非ユダヤ人というのは、何なんでしょうね?

 

「(非ユダヤ人というだけじゃなくて)何で寄りにもよってドイツ人なんだ?!」

と、トーマスを働かせるのに反対するモティたちでしたが、

トーマスはプロのパティシエですから、彼の焼くクッキーは絶品で、

「食物規定にひっかからないようにすれば店で出せる」ということで

カプチーノの横に添えた1枚のクッキーの味は客たちからも絶賛されます。

 

トーマスのおかげで店も軌道に乗り、父の死でふさぎ込んでいたイタイもトーマスには心を開き

あのモティまでが、トーマスに新しいアパートを世話してくれたりするようになります。

キッチンはやたらと広いんですが、肉と乳製品は流しも皿も包丁も分けなけばいけない、とか

なかなか「非ユダヤ人」には理解しづらいルールがあります。

 

この辺からどんどんネタバレになりますので、ご注意ください

 

 

ベルリンに来てすぐ、トーマスは、オーレンの忘れていった鍵の束から、

「青少年の家プール」の彼のロッカーを鍵を使って開けて、

そこからオーレンの水着やタオルを使ったりしていたのですが

その後も、アナトからも、雨でぬれた時の着替えにオーレンの服を貸してもらったり、

遺品の中から段ボールにいっぱいの服をもらったりすることで、

愛した男をますます身近に感じるようになります。

 

誰もいないキッチンで、突然トーマスにキスしてくるアナト。

トーマスにとってもアナトは、自分の愛した男の妻で、

そのなかにいつもオーレンの姿があったし、

アナトも(後でわかるのですが、ベルリンの夫の恋人の存在はすでに聞かされていたので)

まさか本人とは気づかないまでも、亡き夫の姿がそこにあったんだろうと思います。

 

ふたりは親密になるうちに、お互い自分のことを語り始めます。

トーマスは両親を早くに失ってパン屋の祖母に育てられ、その祖母もなくなって独りぼっちなこと・・

アナトは、「ベルリンに移住して恋人と住みたい」と告白する夫を家から追い出し、

その直後にオーレンは車の事故で死んだこと・・・・

 

そして、ふたりの関係の終わりは突然にやってきます。

 

夫の土産のクッキーとトーマスの焼くクッキーが似ていることはすでに気づいていましたが、

夫の遺品のなかのメモとトーマスの買い物メモの筆跡が同じことに気づいたアナトは愕然とします。

決定的だったのは、夫の留守電に残っていたメッセージ

「トーマスだ、なぜ電話くれない? 愛してる・・・」

 

突然店に「コシェル違反」の張り紙がされ、

ふたりで120人分用意した大量のケーキもキャンセルされ、

トーマスはアパートに突然訪れたモティからドイツ行きの航空券を渡され、何度もビンタされます。

「1時間で荷造りして、4時間後には搭乗しろ!」

 

3か月後。

コシェルの認定は取り消されたものの、トーマスのレシピでクッキーを焼き

そこそこ繁盛している、カフェパーモン。

アナトが、ネットでベルリンの「カフェ クレデンツ」を検索すると、

画像のなかに、トーマスの姿がちらっと映り込んでいます。

たまらず、ベルリンを訪れ、遠くからトーマスを眺めるアナトの姿・・・・・

 

 

切ない、でも常識ではなかなか考えられない三角関係のドラマです。

同じひとりの男を愛したケーキ職人と、男の妻、ということから始まるので、

扇のカナメにいるのはオーレンで、タイトルおかしくない??と思ったのですが、

アナトからみたら、まさにこのタイトルですよね。

 

姉と妹が同じ男を愛したり、母と娘が同じ男と関係を持ったりする話は、まあまあありますけど、

夫婦それぞれとやっちゃうのって、ありえないですよね。

もしあったとしたら、よほどの変態映画かコメディか・・・?

それをここまで美しく、芸術的に、切なく仕上げるのは、ものすごい才能だと思います。

 

怒涛のように畳みかけたと思ったら、何も起こらない日常をだらだらと描いたり、

いきなり時間が飛んだり、幸せな日々の回想になったり・・・

途中テンポが落ちて退屈なパートもあったんですが、あのあたりの丁寧さが

ありえない話を自然にみえさせたのかもしれないです。

 

2人が愛したオーレンがもうこの世の人ではない、というのも、

下世話な感じを払拭して、美しく感じられる要因だし、

オーレンとは月に一度会えれば十分で、妻との生活を優先してくれていい・・・

と思っていたトーマスの謙虚さからは

「浮気相手」の不道徳さを感じられないこともありますかね。

 

 

「トーマスがいつ、アナトに自分の正体を告白するのか?」

と、私はそればかりを考えていたんですが、結局、彼は自分からはなにも事を起こさない。

常に受け身で、そのかわり、拒否は絶対にしないという立ち位置。

美しい碧眼で色白で、上半身は筋肉質だけどお腹はぷくぷくのぽっちゃりさん。

(毎日パンをこねているから、力もありそうなのに、モティになぐられても反抗しない・・・)

で、ケーキもクッキーも絶品!って、だれもが家にひとり欲しくなるような青年です。

 

生前オーレンとの会話のなかから、

「妻とのセックスの所作」を聞かされていたトーマスが、アナトと関係するとにき、それに従うところとか

ちょっとゾクゾクしてしまいますが、この辺もあんまりやりすぎないから上品。

 

料理するときの手元もあまり映さず、ベッドシーンとかも

ほぼほぼ表情だけで追っていくのも、この映画の特徴かもしれません。

音楽で盛り上げることもなく、その場の音と表情だけの描写がむしろ生々しいです。

 

ところで、アナトはなんのつもりで自分からこのドイツ青年の身体を求めたのか・・・

彼の優しさに惹かれたから?

夫を失った寂しさを埋めるため?

 

そして、亡くなった恋人の妻の気持ちを,躊躇なく受け入れたトーマスの気持ちは?

 

オーレンの母親ハンナが、トーマスを家に呼んだり、

安息日の料理を届けたり、何かと優しいのは、なぜ?

彼女の世代だと、きっとドイツ人に対するいろんな思いがありそうなものですが、

もしかして、ハンナはトーマスなかに息子の姿をみつけたのか?

いや、息子の関係を全部知った上での優しさのような気さえしてしまいます。

 

映像の中であれこれ決めつけずに、

観客に判断をゆだねているのも、この映画の魅力かもしれないですね。

 

この映画、ジャンルではきっとLGBTに分類されるのかもしれないけれど、

国や宗教、文化、性別、いろんな違いはあっても、人間は必ず理解しあえるもので、

そのまんなかに「美味しいもの」があって、和ませて笑顔を与えてくれる・・・・

そう思うと、これ、究極の料理の映画かもしれないです。

ただ、フードコーディネーターさんががっちり作りこんでいる

(私の嫌いな)いわゆるグルメ映画とは全然違って、

けっして料理を主役にはしていないのだけれど、

美味しいものを食べた時の幸福感に満たされました。

 

都内での上映は残念ながら恵比寿ガーデンシネマだけなんですが、

これは絶対に観るべき作品ですよ!

オススメです。