映画「92歳のパリジェンヌ」 平成28年10月29日公開 ★★★★☆

原作本 「最期の教え」 ノエル・シャトレ 青土社

 

 

助産師として働き、子供や孫にも恵まれたマドレーヌ(マルト・ヴィラロンガ)。

まだ元気だが、最近は一人でできないことも増えてきた。

ある日、92歳の誕生日を祝うために集まった娘たち家族を前に、

2か月後にこの世を去ることを宣言する。

最初は反対していた家族も心を動かされていき……。 (シネマ・トゥデイ)

 

マドレーヌは歳をとってからも、毎日一人暮らしを楽しんできた92歳の元気なおばあちゃん、

だったんですが、

ある日、足代わりに乗り回していた車の運転に突然不安を感じます。

身体の衰えは年相応ながら、階段を上ったりお風呂に入ったりするのもだんだん苦痛になってきました。

なかでも一番ショックだったのは、寝ている間にたびたび粗相をしてしまうこと。

子どもたちとは同居せず、身の回りのことは黒人のハウスキーパーに手伝ってもらっているものの

汚れたシーツの洗濯までさせるのは心が痛むし・・・・

 

マドレーヌはずっと助産師としてたくさんの赤ん坊をとりあげ、

社会運動家としてもバリバリやってきた人生だったのに、

人の手を借りなければ生きていけなくなってきた今の状態

自分のプライドが崩れていくのを見ていくのは苦痛以外の何ものでもなく、

92歳の誕生日にある宣言をします。

 

「私はもうじゅうぶん生きた。

2か月後に私は逝きます」

 

子どもたちは慌てうろたえ、当然拒否するのですが、

母が誰よりも頑固だから説得することも難しいことも知っています。

娘のディアーヌは母の世話をするうちに、母の思いを理解しようと思うようになります。

一方、息子のピエールは、若い時から、家のことよりも、環境とか人権とかの社会活動に熱心だった母を

疎ましく思っていたこともあり、全力で母を阻止にかかり、

母がこっそりためていた睡眠薬もみつけだして、全部捨ててしまいます。

 

身の回りの整理や形見分けの作業を淡々をしている母をみているうちに

母の最期の願いを受け入れられるようになったディアーヌは、睡眠薬を大量に集めるのに協力し

父以外の「最愛の男性」とも逢わせてあげようと考えるようになります。

 

そしてその日、

母は大量の睡眠薬をすりつぶし、髪をととのえ、口紅を引いて・・・・

というようなストーリーです。

 

「終活」をテーマにした映画が多くなってきました。

なかでも、不治の病で回復不可能な老人が自ら死を選択する「尊厳死」に関するものが多いのですが、

本作のヒロイン、マドレーヌは、92歳という高齢ながら、病気も障害もなく、

まだまだ普通の生活を続けられるのにもかかわらず、「死にたい」というのです。

 

厳しい要件付きで「安楽死」を認める国や地方もあるにはありますが、

病気でもない年寄りが「自ら死ぬ」というのは、単なる「自殺」です。

それを手伝おうものなら「自殺ほう助」の罪に問われてしまいます。

 

これは実話に基づくドラマで、マドレーヌのモデルとなっているのは、

フランスのジョスパン大統領の母として知られる、ミレイユ・ジョスパン。

原作は実の娘である(映画のディアーヌにあたる)ノエル・シャトルの書いた本が原作になっています。

 

 

ミレイユは1910年生まれですから、2002年くらいのフランスが舞台、ということですね。

エピソードの多くはオリジナルのようですが、

「助産婦としてずっと働き、世の中を変えるような社会運動にずっと携わってきた」というのはそのままです。

 

永年、毅然として自分の人生を歩んできた女性でも、年齢を重ねるうちには

よろよろとしか歩けず、お漏らしをしたり、物忘れしたり・・・それは仕方のないことで

若い人たちに嘲笑されたり、迷惑かけることを「死ぬほど苦痛」「死にたい」というのは

周りから見たら「身勝手」かもしれませんが、

「自分らしい人生の終わりを迎えたい」という気持ちが

自分が年をとるにつれて、だんだんわかるようになってきました。

 

自分の人生は自分のもので、自分のタイミングで終わりの日を迎えたい・・・・

まさにそのとおり。

でも、末期がんでさえなかなか安楽死が認められない日本では、まだまだ難しいようで、

私が90歳になるまでには(そんなに生きるつもりもないですが)

なんとかならないかと祈るばかりです。

 

先日亡くなった樹木希林さんの企業広告にこういうことばがあったのを思い出しました。

 

 

 

 人は必ず死ぬというのに。
 長生きを叶える技術ばかりが進歩して
 なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
 死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
 ひとつひとつの欲を手放して、
 身じまいをしていきたいと思うのです。
 人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
 それが、私の最後の欲なのです

 

 

前回の記事で「遺作となった『日日是好日』」と書いてしまったのですが、

これは去年の撮影で、最後の映画作品は(主役ではありませんが)

「エリカ38」という、親友の浅田美代子を主演に指名し、制作からかかわった映画で、

エリカの母親役で出演もして、最後の人生を削ってこの作品に注いだということです。

 

自ら命を絶つことなしにも、

自分らしく人生を全うするというのは、できるのですよ。