映画「ボルグ/マッケンロー 氷の男と火の男」 平成30年8月31日公開★★★★☆

(英語 スウェーデン語 字幕翻訳 アンゼたかし)

 

 

世界がテニスブームに沸き立つ1980年、

その最前線に立つ存在として活躍するビヨン・ボルグ(スヴェリル・グドナソン)。

類いまれな強さに加えて彫刻を思わせる端麗な容姿と冷静沈着な性格で、

テニスファン以外からも圧倒的人気を集めていた。

ウィンブルドンで4連覇を果たし、5連覇をも達成しようとするボルグ。

だがその前に、過激な言動で注目されていた天才的プレイヤーの

ジョン・マッケンロー(シャイア・ラブーフ)が立ちはだかる。          (シネマ・トゥデイ)

 

 

テニスのことが全く分からない私でも、このふたりのことは良く覚えています。

フィラの広告塔だったボルグは、すでにスポーツ選手の域を超えて、カリスマモデルみたいだったし、

(今はけっこう大衆的なお値段ですけど)当時のフィラのウエアはお高くて、

特にボルグモデルは憧れの存在。

日本人男子が無理して買って着ても、やっぱりあんまり似合わなかったなぁ・・・

 

逆にマッケンローのほうはちびっこギャングのイメージだったから、

ふたりの身長差は10cm以上あるにちがいないと信じていました。

だから、映画のなかでふたりがほぼ同じ身長なのに

とっても違和感あったんですが、実物のふたりは、実はこんな感じ!

 

 

おや、びっくり!

髪の毛がもじゃっている分、マッケンローのほうが大きくみえるくらいです。

 

 

それにしても映画のふたりとよく似ているな~

(さすがにウエアのロゴは外していますけどね)

 

主演のふたりは、もちろんボルグとマッケンローのそっくりさんではなく、

テニス経験で採用された無名の新人でもなく、テニス経験のほとんどない一流俳優だったので

試合のシーンにはあまり期待していませんでしたが、

あの世紀の一戦、80年のウィンブルドン男子シングルス決勝の試合の再現度は凄かったです。

どれだけ練習したんでしょう!お見事でした。

 

80年当時、ボルグはウィンブルドン5連覇のかかった世界ランキング1位の絶対的王者で、

一方のマッケンローは挑戦者の立場。

世界中がボルグの優勝を予想し、それを望んでいました。

 

当然彼にかかるプレッシャーは大変なもので、

「5連覇できなければ、自分は忘れ去られる」と自分を追い込み、

「この世で一番孤独な男だ」と信じ込んでいました。

 

ボルグには結婚目前の婚約者マリアナもいて幸せ絶頂のはずなのに、

「式が重荷なら延期してもいいのよ」

「もっと単純に生きればいいのに」

といってくれる美人で優しい婚約者にも心を閉ざしていました。

 

「部屋を寒くして、常に心拍数50以下に保っている」

「ラケット50本をガチガチに張って、コーチと慎重にチェックする」

「同じ車にしか乗らない」

「タオルは2枚、ラインのあるものはNG」

「荷造りはマリアナが完璧に仕上げる」

というような都市伝説も、すべて本当だったようです。

 

誰の目から見ても、ストイックで妥協を許さない完璧主義者にしかみえないボルグ。

ところが、本当の彼はそうではなかった・・・・というのがこの映画の肝なのでした。

 

少年時代のボルグは、すぐにキレて感情をぶちまける短気な子どもで

テニスの実力はあるのに、審判への暴言で退場になるのも数知れず。

何度も出場停止を食らったり、「おたくの息子さんとは試合させたくない」と相手の親からのクレームも。

「紳士のスポーツにはふさわしくないプレー態度」といわれ、

地元クラブのやっかいものだったというから、信じられません。

 

その頃出会ったのがデビスカップのチームの監督だったベルゲリンでした。

 

「決してブチギレるな!沸き立つ感情をコントロールしろ」

「怒りも恐れも混乱も、すべてを次の一打一打に叩き込め」

「1ポイントだけを考えて集中しろ」

 

このコーチとの二人三脚で、

冷静沈着なテニススタイルから「氷の男」と評されるまでになっていったというから、驚きです。

 

少年時代のボルグを演じるのは、実の息子のレオ・ボルグ。

プロの選手なのかどうかわかりませんが、

壁打ちの技術がすごいのは、テニスを知らない私にも伝わりました。

 

「短気がバレだら君はおしまいだ」

コーチに散々諭され、つとめて冷静に試合をすすめているうちに

女性ファンからその端正な顔立ちとともにクールさが受けて人気者となります。

 

1974年、全仏初優勝

1976年、全英(ウィンブルドン)初優勝

その後も優勝を重ねていきます。

 

一方のマッケンローは、弁護士を父に持つ厳格な家庭に育った大人しい少年だったのに

誰もが認める「悪童」プレイヤーに成長してしまいました。

 

「みんなテニスより君の態度に興味がある」

「悪役は楽しい?」

「こどもたちは誰もマックには憧れない」

「(偉大な選手かもしれないが)審判への悪態しかみんなの記憶には残らない」

 

世間の評判は散々で、当然、ボルグと戦うことになった時は、(舞台がヨーロッパということもあり)

ボルグに対しては声援、マッケンローにはブーイングが飛び交いました。

 

そして、3時間55分にも及ぶ死闘が繰り広げられるのです。

追い詰められたマッケンローが制した4セット目は、なんと16-18という、

ありえないタイブレークのスコアとなりました。

それでもタイブレークのない最終セットを8-6でボルグが獲って5連覇を達成するのですが、

マッケンローもまた、この場では暴言も吐かず、素晴らしいプレーをみせてくれました。

 

4大大会決勝での「声援とブーイング」というと、どうしても、今年の全米の女子シングルスの決勝。

大坂vsセリーナ戦を連想しますが、

態度の悪い方に声援、悪くない方にブーイングというのは、ありえないことですよね。

「テニスは紳士淑女のスポーツ」というのは、今では通用しないのかな?

というより、全米オープンだけ、ちょっと異質なのかもしれません。

 

先日公開された「バトル・オブ・ザ・セクシーズ

ここで描かれたのは女子テニス選手の権利向上に寄与したビリー・キングの功績で、

全米だけ女子の優勝賞金が男子と同じ、というのもきっとこれと関係あるんでしょうが、

3セットマッチと5セットマッチでは疲労度も全然違うし、そもそも選手の数も違うし、

優勝賞金が同じというのは、むしろ納得いかないんですけど、

なんでも同じにするのがアメリカ流の平等なんですね。

 

あのときのセレーナの言い分は、

「男子選手ならこれくらいの暴言を吐いても注意ですむのに

罰則や罰金を科せられたのは私が黒人で女性だからだ」

「これは性差別で人種差別だ」

ということなんですけど、これを決勝戦の試合中にやらなくてもいいのにね。

 

ビリー・キングはすぐにセレーナ擁護のコメントをだし、

マッケンローも

「自分はもっとひどい発言をしていた。男性と女性で異なる基準があるのは間違いない」

といったとか。

 

映画では好感度アップしたのに、なんだか残念です。

 

プロスポーツでは、(大相撲の千代の富士vs貴乃花みたいな)

新旧交代の節目の試合があって、ボルグとマッケンローも(ここではボルグが勝ったけれど)

翌年にはことごとくマッケンローが勝利し、ボルグはなんと26歳で引退してしまうのです。

(今年の全米女子決勝がこれに当たったらすごいことですが・・・)

 

本作はスウェーデン・デンマーク・フィンランドの合作映画ですが、

「バトル・オブ・・・」はアメリカ映画だったから、人権とか平等の意識が常に要求されていました。

私はハリウッド映画を見ることが多いから、知らず知らずのうちに洗脳されていきそうで怖いですが

あのセレーナの態度を「女性の地位向上のために闘っている」とは絶対に思えなかったから、

まだ大丈夫なのかな?

 

本作はタイトルではふたりを並べながら、7割くらいがボルグのエピソードでかなり偏っているのですが

かといって、ボルグびいきというわけではありません。

特にラスト、空港で偶然出会った二人が駆け寄り、

「そこはハグだろ」と笑顔で抱き合うシーン。

 

トッププレイヤーだけにしか共有できない、

ファンや評論家にはけっして入り込めない

二人にしか分かり合えない世界なんだろうな・・・・と。

 

その後二人は親友になって

マッケンローの結婚式には介添え人としてマッケンローが参加したとのテロップが流れます。

 

マッケンローの悪童キャラは引退後も健在で、バラエティでもよく見かけますが、

ただ、今回のコメントは、ちょっと残念で、映画の感動がちょっと薄れてしまった感じです。