映画「グッバイ・ゴダール!」平成30年7月13日公開 ★★★☆☆

原作本「それからの彼女」 アンヌ・ヴィアゼムスキー DUBooks

(フランス語 字幕翻訳 寺尾次郎)

 

 

パリで哲学を学ぶ19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキー(ステイシー・マーティン)は、

映画監督のジャン=リュック・ゴダール(ルイ・ガレル)と恋に落ち、彼の新作『中国女』で主演を務める。

新しい仲間たちとの映画作りやゴダールからのプロポーズなど、

初めて体験することばかりの刺激的な日々にアンヌは有頂天になる。

一方パリでは、デモ活動が激化していた。                             (シネマ・トゥデイ)

 

去年亡くなった、ゴダールの2番目の妻、アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝を映画化したもの。

彼女より 17歳年上のゴダールは88歳で存命ですが、最近の彼の作品にふれる機会はほぼありません。

過去作もお恥ずかしながら、私は観た記憶がなく、

かなり昔、まだレンタルショップにビデオテープがあったころ、

「沢田研二の歌の元ネタ」という理由だけで、「勝手にしやがれ」を借りたような記憶はあるんですが、

内容を全く覚えていない‥‥チーン

おそらく理解不能で、ちゃんと見ないで返してしまったのかも??(やっぱりブログに残すのは大切!)

どうやら、私みたいな人は結構多いみたいで、ジャン・リュック・ゴダールは一般人にとって

「映画は見たことないけど、名前は最高に有名」な人物かもしれないです。

 

ゴダールは、1930年、パリ生まれ、スイス育ちの二重国籍者。

31歳のときに主演女優のアンナ・カリーナと結婚するも4年で離婚。

バツイチとなってからも、67年に19歳のアンヌと出会って「中国女」に主演させ、その後結婚。

79年に離婚します。

 

この映画で扱うのは、アンヌとの2度目の結婚直後の1968年あたりの時期に限られ、

ゴダールの功績をのこす伝記映画ということではありません。

この時代彼は、すでに「気狂いピエロ」とか「勝手にしやがれ」で有名監督になっていたのですが、

そのころパリに吹き荒れた「五月革命」というか、反体制運動にどっぷりとはまってしまい、

自らも「脱商業映画」を宣言します。

 

アンヌは、母方の祖父がノーベル賞作家で、父方はロシアの貴族という超のつくお嬢様育ち。

19歳の時に年上の有名監督と恋に落ちたころは、刺激的な毎日に

「映画を革新した男は私の人生をも激変させた」と、浮かれていたんですが、

夫が反体制運動に洗脳されていくにつけ、次第に違和感をおぼえるようになります。

 

それでもアンヌは常に夫に同伴し、討論会で過激なことをいって追い出されても、

「私は味方よ」というふうに、手をしっかりつないで、いつもそばにいたのですが、

その健気さがまわりからも痛々しく映ってしまうようになります。

「ブルジョアのお嬢様が自我に目覚める」といわれていますけど、

若い彼女のほうがむしろ大人で、

彼女はけっこう客観的に冷静に、この年上夫を観察しているような気がしました。

 

ゴダールは、自分の映画の作風を変えるだけならまだしも、

自分の過去作を全否定し、それを絶賛してくれるファンまでののしります。

「ヌーヴェルヴァーグの旗手」と呼ばれる彼には

常に「古い常識を破り新しい動きの先頭にたつ」ことを求められているからなのか、

世間的には受け入れられている感じなんですが、

ベラベラしゃべる割には彼のいうことはつじつまがあっておらず、旗色が悪くなると

「映画や芸術に夢を求めるなんて反吐がでる」

とか言い放って、ブチ切れして退場・・・・の繰り返しです。

 

リベラシオン紙の創始者ジャン=ピエール・バンベルジェと

映画プロデューサー、ミシェル・ロジェの夫婦(↑の右側のカップル)は、

昔からのふたりの友人なんですが、

ミシェルの父はELLEの創始者で、かなりのブルジョア階級。

 

68年のカンヌ映画祭のとき、アンヌはミシェルの父のラザレフ邸に泊まらせてもらっていたんですが、

カンヌをぶっ壊すと宣言していたゴダールは当然別行動。

ブルジョアでドゴール支持者のピエール・ラザレフは、ゴダールが一番忌み嫌っている存在です。

 

そして、宣言通りカンヌを中止に追い込んだものの、帰りの交通機関もガソリンもないゴダールは

アンヌたちに合流し、無理やり狭い車に同乗してくるんですが、

車内でのあまりに失礼な態度に温厚な仲間たちの怒りをかってしまうエピソードが紹介されます。

 

アンヌとしては、夫の主張することには反論はしないけれど、

自分の大事な友人たちに対する無礼な態度はどうにかして欲しいと思っていたでしょうし、

「アラフォーのオヤジのくせに中身はガキだ」というのに気付き始めていました。

 

商業映画を捨てたゴダールは、

ジガ・ヴェルトフ集団というのを結成して、政治色の強い映画を作るようになり

一方のアンヌは別の監督の映画に主演するのですが、いつもそばにいたアンヌが離れると

「主演の男と寝たのか?」

「夫への敬意を忘れたな」

「エセ監督とクソ映画をつくれ」

アンヌとの関係が悪くなると

「女は泣けばすむと思ってる」とかの差別発言に

「もう愛してない、目が覚めたわ」と、決別に踏み切るアンヌ。

 

婚姻関係は79年まで続きますが、実質の結婚生活はもっと短かったようです。

ゴダールはちゃっかり、ジガ・ヴェルトフ集団のカメラマン、アンヌ・マリー・ミエヴィルとできてたし。

 

このジガ・ヴェルトフ集団というのが全然わからなかったんですが、

家に「世界の映画作家」全巻があることを思い出して本棚をみたら、なんどゴダールはその第一巻でした。

 

「世界の映画作家1」の画像検索結果

 

 

後で拡大してゆっくりみるつもりで、その辺の作品ページをアップしておきます。

 

ちなみに、彼は10年くらいで、自らがクソといっていた商業映画に復帰しているから、

この時期は彼の人生のなかの「黒歴史」のようで、

正直、彼自身がこの映画をどう思っているのか、興味はあります。

「モーツアルトは35歳で死んだ。

芸術家は35歳過ぎたらマヌケだ」

と言ってた彼も88歳で、今はどう思ってるのかな?とかね。

 

ゴダールのクソ野郎ぶりを演じるのは、超絶イケメン俳優のルイ・ガレル。

 

 

この二人が同一人物とは思えないけれど、そんなに顔はいじってないような・・・

髪の毛と表情や態度で、人間はこんなに違って見えるんだと、感心してしまいました。

 

アンヌ役のステイシー・マーティンは「ニンフォマニアック」のヌードで注目された女優さんなので

今回も?と思ったら、やっぱり全裸シーン多かったです。

このふたり、パリのスタイリッシュなアパルトマンで新婚生活を送るのですが、部屋のなかでは何気に全裸。

日本では、セックスを連想させるシーンだと間違いなくモザイクかかると思うんですが、

R15程度でも、全裸で戦ったり全裸で歩いてるだけなのは無修正だったりするのは、

なんか基準が納得できません。

それにしても、左側の人がブラブラしてたらどきどきするけど、

右のオッサンがブラブラしてても醜悪なだけですよね(笑)

 

パリのアパルトマン生活は、当時としては憧れだと思うんですが、

アンヌは全く料理をしないから、食事はけっこうしょぼいです。(コーンフレイクみたいなのとか)

部屋もおしゃれだけど使い難そうな間取りで、

「こんな部屋住みたくない!」というのが正直な感想。

 

「昔の最先端」というのは、未来人である私たちにとってはけっこう「ダサい」パターンであることが多く、

当時の感覚がダイレクトに伝えづらいのは、なかなか問題があるな、と思った次第です。