映画「ファントム・スレッド」 平成30年5月26日公開 ★★★★★

(英語 字幕翻訳  松浦美奈)

 

 

1950年代のロンドン。

仕立屋のレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)は、英国ファッション界で名の知れた存在だった。

ある日、ウエイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)と出会った彼は、

彼女をミューズとしてファッションの世界に引き入れる。

しかし、アルマの存在が規則正しかったレイノルズの日常を変えていく。  (シネマ・トゥデイ)

 

受賞したのは衣装デザイン賞だけだけど、作品賞・監督賞・主演男優賞・助演女優賞など

アカデミー賞主要部門にノミネートした期待作ながら、予告編もそんなに観なかったし

気づいたらひっそり公開されていました。

 

ファッション業界が舞台となった映画は、「ココ・シャネル」「イヴ・サンローラン」「ディオールと私」など・・・

このジャンルはたくさんありますが、ほとんどが実在の有名デザイナーのドキュメンタリーとか

フィクションの度合いは様々ながら、その波乱万丈で魅力的な半生の伝記映画です。

 

本作の主人公は、レイノルズ・ウッドコックという架空のデザイナー

1950年代に一世を風靡したクチュリエと言う設定です。

これはパリのオートクチュールの主任デザイナーを指す言葉で、

メゾンの責任者として、デザインから裁断、縫製、宣伝活動まですべてを統括する大変な仕事。

 

冒頭は、レイノルズの完璧な身支度から。

神経質なくらいにムダ毛をチェックし服の埃を払い、靴を磨き上げます。

朝出勤してくるお針子たちも白衣を着てきちんと持ち場につきますが、

それをとりしきるのが,いかにも「きっちりさん」のレイノルズの姉のシリルです。

厳しいとか抑圧されているというより、すがすがしいくらいに統率のとれたプロ集団と言う感じ。

彼女たちの仕上げたドレスには「ウッドコック ロンドン」のタグが手際よく縫い付けられていきます。

 

朝食のシーンで、

テーブルを共にするレイノルズの妻らしき若い女性ジョアナは寂しげにつぶやきます。

「あなたの心はどこ?」

「もうあなたの心を取り戻せないの?」

それに対して

「言い訳をする時間が惜しい」

と、そそくさと席を立ってしまうレイノルズ。

 

あとでジョアナのいないところで、ふたりは内緒話をするのですが・・・(以下、すべてシリルのセリフ)

「ジョアナをどうする?」

「可愛い子だけど、もう潮時ね」

「あなたを待ち続けてちょっと太ったし・・・」

 

という怖い会話に冒頭から圧倒されますが、このあともどんどん怖くなっていきますので、お楽しみに!

オートクチュール業界の華麗な内幕とか、豪華絢爛なドレスに

うっとりするだけの映画ではないのです!

 

姉のシリルはレイノルズのことを知り尽くした最良のビジネスパートナーで、

彼が常に最高の仕事ができるよう、すべてを取り計らっています。

ジョアナはやはり正式な妻ではなかったようで、この時点でとっととシリルにお払い箱にされ、

シリルは疲れ気味の弟を気遣って、別荘へ静養に送り出します。

 

別荘近くのレストランで、レイノルズは、そこのほっぺの紅いウエイトレスに一目ぼれしてしまいます。

アルマというその女性を夕食に誘いますが、高名なデザイナーに声をかけられてアルマはびっくり。

「あなたのまわりには美しい女性ばっかりなのに・・・」

「私は独身主義者なのだ。結婚していつわりの自分になりたくない」

といいながら、

「君こそ長いこと探していた女性だ」

といって、家に連れてきてしまいます。

 

これは「自分のパートナーになって欲しい」という意味ではなく、

彼女の体形がまさに自分のドレスのモデルとしてふさわしいと感じただけ。

アルマの醸し出すイメージが創作意欲をかきたてたのでしょう。

 

家に帰ると、早速アルマのサイズを細かく採寸し、シリルがノートに書き留めていきます。

「理想の体型だわ」

「おなかが丸いのが弟は好きなのよ」

 

その日からアルマはレイノルズの住み込みの専属モデルとなります。

もっとパーフェクトな体形のハウスモデルはたくさんいるけれど、

広い肩幅、小さい胸、大きな腰にたくましい腕のアルマがレイノルズにとってのベストなようです。

 

朝4時に起こされてドレスを着せられたりするのは平気でも、

一緒に住みながらも、自分の感情がまったく無視されるのがアルマには悲しくてたまりません。

「この布地は好きじゃない」といっても

「美しいものは正しい」と言われるだけ。

 

朝食の時も、アルマがパンにバターを塗る音がやかましい、気が散る、と言われます。

「気にしすぎよ」という彼女の一言に

「君は動き過ぎる」

「馬で部屋を横切られたかのようだ」

「朝食でつまづくと、夜まで調子が狂ってしまう」

と、えんえん文句をいわれます。

 

ある日、バーバラという上得意先から、結婚パーティのドレスの依頼を受けます。

彼女はデブのおばさんで、レイノルズは本当は気がすすまないんですが、

金持ちなので断るわけにはいかず、ドレスをつくり、アルマを連れてパーティにも出席します。

ところがその最中にバーバラは失神して、あられもない姿で外に運び出されてしまいます。

 

「ドレスがかわいそう」

「あんな人にあなたの作品を着る資格はない」

さすがのレイノルズでも客に向かってはいうことができないようなことを

アルマは楽々と言い、ベッドで倒れているバーバラからドレスを引き剥がし、

「もうハウス・オブ・ウッドコックのドレスは着ないでください」

と言い放って帰ってきます。

 

この事件以降、アルマは、誰に向かっても自分のいいたいことをいえる女性へと変わっていきます。

今までの女性だと、レイノルズの情け容赦ない暴言に耐え切れなくなって自分から出て行ったり

ジョアンのように、シリルにお払い箱にされるのがアルマの運命のはず、でしたが、

彼女はこの流れを変え、だんだんレイノルズを支配していくようになるのです。

 

シリルをはじめ、ハウスで働く人たちは、レイノルズが嫌がることは絶対にやらないのが鉄則なんですが

頼んでもいない紅茶を運んで飲ませようとしたり、彼の大嫌いなサプライズディナーを作って

塩とオイルでしか食べないアスパラガスを、あえてバターソテーして食べさせたりして

レイノルズを当惑させます。

シリルはもちろんアルマの計画には反対したのですが

「私は自分のやりかたで彼を愛したい」と揺るがず、シリルまで追い払ってしまうのです。

 

「早く出て行けと言ってよ。そうすればバカみたいに待たずに済む」

とすごむアルマに

レイノルズはおろおろするばかり。

 

レイノルズは自分の王国で専制君主のようにふるまっているけれど、

それはシリルに統率された従順なスタッフたちに守られているからで、

ちょっと立場が悪くなると、実は弱い人間なんだと・・・・

 

「彼は強がっているだけ」

「弱っているときの彼は赤ちゃんみたい」

 

仕事に身も心もささげて疲労困ぱいしているとき

体調が悪くて弱っているとき

そんなときのレイノルズを支えられるのは自分だけしかいない、とアルマは確信します。

 

そして、恐ろしい計画をたてるのです。

(以下ネタバレ)

 

アルマは山にいって毒キノコを採取して、それを潰して、ラプサンという癖のあるお茶にまぜ、

レイノルズに飲ませるのです。

その日、プリンセスのウエディングドレスが完成し、彼が最終チェックをしている最中に突然気分が悪くなり

ドレスに倒れ掛かって、大切なドレスに損傷を与えてしまいます。

シミと破れと靴墨の汚れ。

翌朝までにお直しをするために、スタッフは徹夜で仕事をし、レイノルズの看病をするのはアルマだけ。

 

そして、回復したレイノルズは、アルマの前にひざまずき、

「君なしでは生きられない」

「結婚してくれるか?」

そして二人は正式に夫婦になるのですが、話はまだ終わらず、

アルマの自由なふるまいは、その後もレイノルズの感情をいらだたせます。

そういう時はまた毒キノコ!

というわけで、この不思議な夫婦関係は続いていくのです。

 

 

 

「一流の仕事人でありながら、超エゴイストの夫のなかにある心の闇を

若い田舎女の妻ががっちり捉えて、支配していく」

という、ホラーめいたサスペンスですね。

なかなか一般的な夫婦には適用はできないですが、

「どうしても分かり合えない部分がいくつもあるのに、

お互いに必要としている関係」

というのは分かる気がします。

夫婦にも時折スパイス的なものは必要とは思っていたけれど

倦怠期には「致死量すれすれの毒物」というのも必要なのかも・・・・?

 

オスカー常連のダニエル・デイ=ルイスに引けを取らないアルマ役のヴィッキー・クリープスもすごいけれど

私が一番印象にのこったのは、シリル役のレスリー・マンヴィル。

 

シリルというのは、女性ばかりの大奥みたいな彼のハウスで実権をもつお局さまなんですが、

姉といいながら、レイノルズへの歪んだ愛情があって、彼がほかの若い女を愛することを許さないのでは?

もしかして、ホントは姉じゃないんじゃなの?・・・・

みたいな登場のしかたなんですが、実は純粋なビジネスパートナーで、

彼の仕事のために全霊をささげている、完璧な女性だ、ということがだんだんわかってきます。

自由にふるまうアルマに眉をひそめながらも、ミューズとしての価値があるのなら、受け入れようと・・・・

もしかしたら弟に「屈折した愛情」をもっているのかもしれないけれど、それは絶対に表に出しません。

弟の弱さに気づきながらも、それを手玉にとろうとは考えず、適切な処置をとろうと考えます。

 

レイノルズのほうは、亡くなった母へは特別な感情があって、マザコンなんですが

(自分の服の芯地に母親の髪の毛を縫い込んだりとか、不気味だけど、

タイトルの「ファントム・スレッド」とは、そういうことみたいです)

姉のことはなんとも思っていないみたいで、

独身を貫いて最後まで弟を守ろうとしているシリルのまなざしを見るたびに、ちょっと切なくなりました。

 

アカデミー賞の助演女優賞は「アイ トーニャ」でインパクトのある母親を演じた

アリソン・ジャーニーが獲りましたけれど、 あの一面的なキャラクターよりも

シリル役のほうが絶対に難しいと思ったんだけどな。

 

書き忘れましたが、衣装デザイン賞をとってるくらいですから、ドレスの豪華さ、美しさ、

それを支えるスタッフたちの仕事振りは素晴らしかったです。

ただ本作はそれだけの映画じゃないことを伝えたくて、長文になってしまいました。おすすめです!