映画「心と体と」 平成30年4月14日公開 ★★★★☆

 

(ハンガリー語 字幕翻訳  西村美須寿)

 

 

ブダペスト郊外にある食肉処理場の代理職員マーリアは、人とのコミュニケーションが苦手で、

同僚たちになじめずにいた。

そんな彼女を、片手が不自由な上司エンドレが気遣うが、うまくいかない。

ある日、牛用の交尾薬を盗んだ犯人を捜しだすために、

従業員全員が精神分析医のカウンセリングを受けることになる。

それを機に、マーリアとエンドレが同じ夢を見ていて、その世界で鹿として交流していたことがわかる。

                                                 (シネマ・トゥデイ)

 

 

ベルリンで金熊賞を獲り、アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートしたハンガリー映画。

ハンガリー映画って、ちょっとかわった不思議な映画が多いのですが、これも本当にそんな感じでした。

 

雪のちらつく林の中の2頭の鹿。

大きな角のオス鹿に出会い、最初は敬遠しているかのような可憐なメス鹿でしたが、

しだいにうちとけて、よりそって池の水を飲んでいます。

極寒の自然のなかで、2頭の鹿の体温がこちらまで伝わるようなシーンです。

 

場面が切り替わって、うつろな目をした牛舎の牛たち。

彼らは出荷を待つ肉牛たちで、建物の外に出されると、

と殺場で、次々に命を絶たれ、首をおとされ、吊るされ、肉のかたまりになっていきます。

 

この食肉加工工場の財務部長のエンドレは、新入りの若い美人の検査官、マリアのことが気になっています。

人事部長に彼女のことを聞くと

「かなりの堅物で誰ともうちとけず、扱いにみんな困っている」

「絶対にマルカ(マリアの愛称)と呼ぶなよ」

 

一人でいるマリアに声をかけると、立って握手はしたものの

いきなりエンドレの片手が不自由なことを指摘され、全体的に失礼な態度。

「マルカと呼んでもいいかな?」の質問にも案の定

「愛称は不愉快です」とぴしゃり。

 

落ち込むエンドレでしたが、実はマリア自身は、エンドレに反感なんてまったくもっていなかったのです。

 

家に帰ってからエンドレとの会話を再現して

「せっかく声をかけてくれたのに、なんであんなことしか言えなかったのかしら?」

「うまく切りかえせていれば、会話がつづけられていたのに・・・」

と、反省していたのですが、翌日もやっぱりそんな感じ。

休み時間になっても、相変わらず誰とも話をせずに、暗闇のなかでじっとしていて、

みんなに気味悪がられます。

 

この工場の社員たちはみんな仲が良く、休み時間には大いに盛り上がるのですが、

いつもバリアを張っているマリアには、次第にだれも声をかけなくなっていきます。

 

この間にもしばしば、自然のなかの鹿のつがいと、

機械的に「処理」されていく工場内部の映像が映し出されます。

 

「動物を傷つける映像は食肉処理場の日常教務を撮影したものです。予めご了承ください」

という注意書きがあったものの、

最初のシーンで完璧に動物目線になっているから、

赤シャツの作業員たちが、死刑執行人、いや、冷徹な殺人鬼に見えてしまうんですが、

休み時間には陽気で楽しい男たちなんですよ。この対比もなんともいえません。

 

エンドレは財務担当なので、作業場にはタッチしませんが、

「血をみても何にも感じない。動物に対して哀れみも全く感じない」

という男を不採用にするところではちょっとホッとしました。

 

マリアの仕事は、肉の品質をチェックしてランク付けすることですが、

なんと彼女は、いままでAランクだった肉をことごとく「Bランク」に格下げしてしまって

みんなのひんしゅくをかいます。

これは財務部長としても捨て置けないことなので、マリアを呼び出しますが

「脂肪が規定より2,3㎜厚いから、Aランクはつけられません。だって、そう定められていますから」

と、杓子定規の返答。

 

と、このあと、工場内で事件が起きます。

それは、牛の発情を促す交尾薬がカギのかかった棚から盗まれたこと。

「同窓会でハッスルしたい熟年世代が犯人かもよ」とか笑っていたのですが、

体重400kgの牛に与えるものだから、人間がつかったら大変なことになってしまう・・・・

 

刑事がやってきて取調をしますが、犯人は特定できず。

精神分析医が全員をカウンセリングし、深層心理を解き明かし、真犯人をみつける、ということになります。

 

やってきた女医のクララは、バストゆさゆさの色っぽい女性。

ひとりずつ呼び出されて、立ち入ったHな質問ばかりするから、なんかドッキリっぽいんですが、

一応、ちゃんとした有能な分析医のようです。

 

エンドレは面接のなかで、昨日の夢のことを聞かれ、

「鹿になった夢をみた」と正直に答えます。

 

「仲間はいたの?」

「メスの鹿がそばにいた」

「交尾はしたの?」

「いや。水を飲むとき鼻がふれただけ」

「じゃあ何をしたの?」

「普通に鹿がやるようなこと。水を飲んだり、土をほじったり・・・」

 

そのあと呼ばれたマリアは、質問に驚くほど正確に日時まで答えるのですが、

昨日見た夢を聞かれ

「空腹で死にそうな夢をみました。

雪を掘りかえしても食べ物が見つからず・・・

そうしたら、厚くておいしそうな葉っぱを彼が私にくれたんです」

「私は(夢の中で)鹿でした」

 

これを聞いて女医はびっくり。

全部ボイスレコーダーに録っているので、それを二人に聞かせますが、

これはもう「奇妙な偶然」としかいえません。

 

これをきっかけにお互いを意識するようになるふたり。

 

初めての「恋」にときめいているマリアに対して、

実は、エンドレは「この歳で、もう色恋なんて面倒だ」と思っていたのです。

最初こそ美人だから気になったけれど、マリアへの気遣いは、

彼女が社内で孤立しないように上司としての配慮だったんですね。

 

現実世界ではちぐはぐなのに、夢の中では気持ちが通じ合っているという不思議な関係。

昨日見た夢をそれぞれに書き合って見せっこしたり、

初めて買った携帯電話で夢を報告しあったり、

なんなら隣で寝て、同じ夢を見よう・・・とか、ふたりの距離はどんどん縮まっていきますが・・・・・

 

このふたり、いってみれば「オフィスラブ」なわけです。

よくあるラブストーリーだと、マリアに惹かれている若者やエンドレの元カノとかが話をかきまわしたり、

社内で二人の関係が噂になったりとか、そういう「逆風」が起きるのがフツーですが、

そういう「フツー」な展開にはならないのがこの映画。

 

しかも、犯人が誰かということは(あとでわかるのですが)

これ、ほとんど重要ではありません。

ついでにいうと、エンドレの手の障がいとか、マリアのサバン症っぽい記憶力とか、

この設定もいらなかったかも。

 

「二人が毎晩夢の中で会っている」という奇妙な出来事も、その理由があきらかにされるわけでもなく、

サクサク進む話を期待する人には、拷問的に退屈かもしれません。

 

「歩く性欲」といわれているスケコマシ男のシャーンドルとか、

女房を支配してるといいながら、全く口答えできない人事部長とか、

ちょっとだけ登場する脇役の彼らの方がキャラがたってて、

こっちの話のほうが面白そうですけどね。

 

 

物音にピクっと耳を動かして危険を察知したり、食べ物を探すのが死活問題の、自然のなかの鹿とか

狭いところでエサを与えられ、外にだされるのは殺されるときだけという肉牛の運命とか、

それに比べたら、職場の人間関係とか、恋とか、とるに足らないものだと思いつつ・・・・

でもそれをこじらせると、生きることもできなくなってしまうのが人間なんですね。

奇妙で哀れな生き物です。

 

マリアは病名がつくほどではないかもしれないけれど、かなりの変わり者。

でも、彼女のプライベートを丁寧に描いているので、なかには共感できる、というか

私にも思いあたるふしもありました。

プレイモビルの人形で、エンドレとの会話をシミュレーションするシーンがありましたが、

これ、私もよくやっていました。

自分のセリフだけじゃなくて、相手のことばも勝手に予想してしゃべっているので、

そのうち混乱して、実際にしゃべるとき、相手用のセリフをいってしまったり・・・

これ、かなり気まずいです。(経験あります)

 

レビューをみていたら、

「これはハンガリーのジョークなのか」

「日本人にはわかりづらい」

とかありましたが、

いや、ジョークじゃなくて、マジだから!といいたいです。

 

だいたい恋なんて、美しかったり切なかったりするのはドラマのなかだけで、

たいだいはかっこ悪くて気まずいことの方が多いですよね。

 

「楽しい気分を求めて」映画館に行く人には、絶対にハズレのこの映画。

でもシネマカリテでは、満席がつづいているそうで、なんか嬉しい。

この映画が好きな人とは、なんかお友だちになれそうですよ。

 

公開館が少ないですが、あの鹿の「名演技」だけは、DVDでなく、大きい画面で見るのがおススメです。

 

 

初日鑑賞したので、ハンガリーのオーガニックのブラックソープをいただきました!