映画「人生はシネマティック」 平成29年11月11日公開 ★★★★★

(英語 字幕翻訳 稲田嵯裕里)
 

 

第2次世界大戦中のロンドン。

コピーライターの秘書として働くカトリン(ジェマ・アータートン)の書いたコピーが評価され、

映画の脚本陣に加わることになる。

テーマは、ダンケルクの戦いでナチスドイツ軍から兵士を救った双子の姉妹の感動秘話。

ところが、ベテラン俳優のわがままや政府と軍部の検閲などのトラブルが発生し、

そのたびに脚本を書き直すことになる。                          (シネマ・トゥデイ)

 

1940年、英国ロンドン。

「朝までに100万発」といわれ、軍需工場で銃弾製造に精を出す女性たちの女性たち。

映画のモノクロ画像が映し出されます。

当時はこういった戦意高揚「銃後の守り」のプロバガンダ映画がたくさん作られていたのですね。

 

カトリンは、コピーライターの秘書をしていたのですが、

ボスが徴兵されてしまったため、代理で書いたコピーが情報省映画局のバークリーの目に留まり、

脚本チームの一員として仕事をすることになります。

 

彼女の内縁の夫エリスは、スペイン戦争で負傷し、空襲監視員をしていますが、本当は画家志望。

収入は少なく、映画局からの週に2ポンドのカトリンの稼ぎは貴重で、

ふたりの生活のためにも彼女は張りきるのです。

 

ダンケルクで兵士の救出に向かったたくさんの民間船のなかに「双子の若い女性がいた」・・・・

このエピソードから、次回作は、この知られざる「秘話」を映画にしようということで、

その取材がカトリンの初仕事となります。

 

双子のローズとリリーの話を聞くと、父に内緒でナンシー号で出発したものの、

実は船が8キロ先でエンストしてフランスには行けず、定員オーバーの兵士を拾って帰ってきただけ・・・

ということがわかって、映画化は無理だと思われましたが

「ナップザックから犬が顔を出して驚いた」とか

「フランス兵にいきなりキスされた」などのディテールが真実で説得力がある・・・

これは「大切なのは信ぴょう性と楽観」という信念にも合致するということで、映画化がきまります。

 

情報省からは

「ナンシー号のエンジンが止まるのは(イギリス製品が粗悪と思われて)具合が悪い」

「実際に行っていないことがわかるのはマズい」

とかクレームが入り、

双子のフランクおじさん役のかつてのスターアンプローズ・ヒリアート(ビル・ナイ)からは

道化役にキャスティングされたことが不満で、常に文句たらたら・・・・

 

さらに陸軍省からは、アメリカ公開を視野にいれて、アメリカ人をヒーロー役でと無茶をいわれます。

やって来た空軍大佐のカール・ランドベックは、カメラ映えするかなりのハンサムなパイロットで

なんとか彼のために役をつくり、最初はイケそうな感じでしたが、

いざセリフをしゃべらせたら、とんでもない大根演技が判明。

23回もNG連発でフィルム切れしてしまいます。

 

その後もアメリカの配給会社から

「爆発とか衝突とかアメリカ人好みの演出を」といわれたり、

そんなこんなの試練を乗り越えつつ、それでも

「人生の価値ある1時間半を捧げたくなる映画を作りたい」の思いで、

脚本チームは徹夜続きのハードワークをこなしていくのでした・・・・

というような話です。

 

カトリンは、当初は、スロップ(女性同士のおしゃべり)のセリフを書くために雇われたのですが、

だんだん彼女の文才が認められて、発言権を得ていくんですね。

それとともに、脚本上でも、女性が活躍するようになる、たとえば

「海に潜ってナンシー号のスクリューを修理する役が女性のローズ」に脚本が変更されるあたり、

とても自然に受け入れられました。

「女性が差別と闘って権利を獲得する」みたいなアメリカ映画とはちがって、

いつも男性の陰にかくれて守られていた女性たちが

「戦争で男の人が少ないんですもの、私たちが頑張らなくてどうするの?!」

って思えるようになるのは、「女性映画」というくくりだけでなく、

結果的に戦争に勝つためのプロバガンダ映画として成功していると思います。

 

 

ところで、本作が映画製作者たちの話、というのは事前に聞いていましたが、

武蔵野館のロビーディスプレイはこんな感じ↓

 

 

ヒューマントラスト有楽町はこんな感じ↓ (左のドレスは別の映画ですが)

 

この展示を見る限り「撮影クルー」が主役のように思えますが、それはあんまり関係なくて

前の方でメガホン持ってる人とか、ほとんど出てきませんでした。

主役は「脚本チーム」で、帽子かぶってるバークリーと、右端に見切れてるカトリン。

 

また題材が「ダンケルク作戦」なので、ほんとうに映画で「ダンケルク」を見ておいてよかったです。

 

この時代、自分の作りたい作品をストレートに作ることは難しかったでしょうけれど、

それでもいい作品はよかったわけで、「トランボ」なんかも

まったく余裕のない大変な状況で名作をたくさん残していましたね。

 

脚本家が主役なだけに、プライベートな会話も洒落ていました。

「あなたの時間と才能を使ってくれますか?」

「二人で組んで観客を泣かせよう」とか・・・

 

夫に裏切られたカトリンとバークリーの関係が、仕事仲間からそれ以上の関係になるんですが

直接には言えなかった言葉をシナリオで書き残すのも脚本家ならでは。

 

「君の魅力はその切れ味だ」

「半分削れ、余計な所を」

「クソマヌケは良かった」

「ケンカや論争を辞めたら寂しい」・・・

 

ツンデレなふたりの心が通っていくところにはときめいてしまいますが、

そのままハッピーエンドにならないところが切ないです。

 

バックリー役がサム・クラフリンだったのには最後まで気づかず。

あまりにも正統派のハンサムだと、メガネやメイキャップで個性が消えてしまうのかな?

 

過去の栄光を引きずってプライドを捨てきれない元スターのアンプローズ(ビル・ナイ)の存在感は圧巻で

主役をくってしまうほどです。

彼のエージェントのサミー(エディ・マーサン)は、空爆で死んでしまうのですが、

その後を引き継いだサミーの姉ソフィーから

ずけずけと痛いことを言われて、自分の自惚れに目覚め、

カトリンからの「脚本を手直しする見返りにカールの教育係をして欲しい」という要望も受け入れて、

彼も次第にチームの一員になっていきます。

 

 

ロンドンでは連日激しい爆撃が続き、命を落としたのはサミーだけではありません。

戦地で戦っている兵でなくても、イギリスでは(アメリカと違って)本国で生きているのも命がけ。

徴兵されたり、市内で爆死したり、日増しに映画の関係者も少なくなってい、スタジオも爆撃されますが、

それでも、映画製作は残った人員と残った機材で進められていきます。

 

ソフィーは、アンプローズにこういいます。

「あしたの命も知れぬ今、時間を大切にして」

 

そして、アンプローズはカトリンにこういいます。

「我々にチャンスが回ってくるのは、若い男がいないからだが、

チャンスは生かそう!」

そして

「君の時間と才能を貸してくれ」

 

戦争映画であり、業界の内幕ものでもあり、ラブストーリーでもあり、笑える場面も多かったですが

一貫しているのは「映画愛」で、それは、製作者サイドだけでなく、映画を愛する全ての人に通ずるものです。

 

この作品が

「人生の価値ある1時間半を捧げたくなる映画か?」

答えは

「yes!」です。