映画「夜明けの祈り」 平成29年8月5日公開 ★★★★★

(字幕翻訳 丸山垂穂)

 

 

第2次世界大戦の傷痕残る、1945年12月のポーランド。

赤十字の医療活動で慌ただしい毎日を送っていたフランス人女性医師マチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)は、

一人のシスターから助けを求められてある修道院に向かう。

そこで彼女が目にしたのは、ソ連兵によって妊娠させられた7人のシスターだった。

信仰と現実の間で板挟みになっている彼女たちと、宿している命を救おうと決意するマチルド。

何とか時間を作ってシスターたちと向き合うマチルドだったが……。       (シネマ・トゥデイ)

 

第二次大戦後のポーランドの修道院。

祈りの歌が美しく響く中、かすかに女性の叫ぶ声が。

一人の修道女がこっそり建物の外に出て、雪の残る山道を走ります。

「病院はどこ?ロシアとポーランド以外の病院を教えてちょうだい」

子どもたちは彼女をフランスから派遣された赤十字の病院に案内します。

 

片言のフランス語で診察を頼む修道女に、フランス人の女医マチルドは

「ここはフランス人の負傷兵を診ている。ポーランド人は無理」

と追い返しますが、

病院に向かってずっと祈り続ける彼女が気になって、病院には内緒で、ジープで一緒に修道院に向かうと、

そこには出産直前の女性が苦しんでいます。

 

自然分娩は無理と判断した彼女は、何も設備のない場所で、緊急で帝王切開し、無事出産をさせますが、

修道院内にはほかにも出産間際のシスターが6人もいることがわかります。

フランス語を話せるただひとりのシスター、マリアが通訳をつとめますが、

彼女たちはソ連侵略時に修道院に押し入ったソ連兵たちにレイプされ、身ごもっていたのでした。

 

「傷口の状態が心配。あした、ペニシリンを持ってくる」というマチルドに

「夜明けの祈りの間にこっそり入ってきて」というマリア。

 

女性医師とは言え、身体にふれさせるのは彼女たちにとって禁止されており、

それ以前に、純潔を守らなければいけない彼女たちにとって、レイプされるなんて

「あってはいけないこと」なのです。

 

マチルドの診察をしぶしぶながら認める修道院長。

実は院長自身もソ連兵に暴行され、進行性梅毒にかかっているのですが、

マチルドの診察はかたくなに拒否しています。

 

レイプされた女性は明らかに「被害者」なのに、純潔を課せられたシスターたちにとって

「穢された」というのは自分の罪でもあるのです。

そんな恥は明るみにでてはいけないこと。

 

信仰と現実の間で苦しむ彼女たちが、さらに身ごもってしまったら・・・・

お腹の中の新しい命もまた神から与えられた尊いもので、この挟間でさらに苦しむのです。

 

一方、マチルドの考えは明快で、

ただ医師としてきちんと出産させたい。出産後もの母体と新生児の健康を見守りたい、

という、それだけ。

彼女は無神論者で、当初は、信仰にしばられている修道女たちの気持ちが理解しがたかったのですが、

自分自身もソ連兵にレイプされそうになったり、

マリアと話しているうちに、だんだん彼女たちの苦しみを和らげることが自分の使命と考えるようになります。

 

やがて、医療チームの撤収が決まり、引っ越し準備がはじまるのですが、臨月のシスターたちを見捨てるわけにもいかず

しかも(同時にレイプされているから)同時にお産がはじまることも考えられるから、マチルドは気が気じゃありません。

 

そして意を決したマチルドは、先輩男性医師のサミュエルにすべてを打ち明けます。

 

このサミュエルが、辛いシーンばかりつづく作品のなかで、ほっとさせてくれる存在です。

彼は、マチルドの直属の上司だから、仕事中は命令口調なんですが、実は彼女のことが好きでたまらず、

オフの時には、ちらちらと口説きモードになります。

 

そういえば、修道院に行った初日、寝不足で仕事にならないマチルドに

「そんな寝不足で仕事になるか」

「コーヒー飲むかアドレナリン打ってこい」

「とりあえず、仮眠をとってこい」

と、言葉は悪いけど、なんか優しい上司だな、と思っていたんですが・・・

 

「自分は顔は悪いけどそんな年寄りじゃない」というと

「別に顔は悪くない」といわれて、マジ喜んじゃうところとか、可愛くてたまりません。

 

 

彼はユダヤ人で、両親は収容所で亡くなっており、医師ではあるけれど、すべての民族を同じには考えられず・・・

それでも「好きになれないポーランド人」を助けるために、

マチルドに帯同して修道院を訪れ、お産の手伝いをしてくれます。

非モテの性格のいい男を、ハマリ役のヴァンサン・マケーニュが好演していて、本当に癒されます。

 

このころには臨月のシスターたちも(全員ではないけれど)診察を受けることにためらいがなくなってきていて

サミュエルの力を借りて、次々に子どもたちを取り上げていきます。

 

生まれた子どもは「然るべきところに里子にだす」と院長が連れて行くのですが、

どうしても自分の手で育てたいというシスターが、ある事実を知って、飛び降り自殺してしまいます。

なんと、院長は、新生児を籠にいれて、山の中のお墓のそばに放置していたのです!

「神の意志にゆだねた」というのだけれど、こんなの完全に「遺棄」「殺人」です。

 

そして、生まれた赤ちゃんも、近所の親のいない孤児たちと一緒に受け入れることになり、

「開かれた修道院」への希望がみえたラストでしたが、

単純なハッピーエンドではなく、いろいろ考えさせられました。

 

信仰は尊く美しいものだけれど、祈るだけで解決できるのか?

マチルドのような医師を味方につけられたのも「神の力」なのかもしれないけれど、

こういう意思の強い自立した女性が「現代のマリア像」なのかもしれないです。

 

これは実話にもとづいていて、マチルドのモデルはマドレーヌ・ポーリアックというフランス人医師。

 

 

実話だったんですね。

 

ただ、映画のなかでは、マチルドは修道院に舞い降りた救世主のような扱いで、

一番心情が伝わるのがマリアの心の葛藤です。

 

「あの悪夢のような数日間。男たちの匂いまでいまでも蘇る」

「私は恋人がいたからまだマシ。大半が処女のまま犯された」

「現実はどうあれ、貞節の義務があるから、みんな苦しんでいる」

「私の中に宿る命がもうすぐ姿を現す」

「この恐ろしい出来事と信仰の折り合いがつきません」

 

マリアの言葉は一言一言がぐさりと胸につきささります。

 

修道女たちはひたすら祈ることで救いを求めるのだけれど、

レイプという想定外の蛮行の前には信仰は助けにならず、

むしろ彼女たちをさらなる苦難に追い込むものになることがなんとも皮肉ですが

本作は、決して宗教や修道院の在り方を批判しているわけではありません。

 

むしろ、気高くも美しい讃美歌の響き、清貧で無垢な彼女たちの純真な祈りの姿を

宗教画のように映し出すカメラワークにはうっとり。

「神々と男たち」(→こちら)でも真っ白な僧衣の美しさに心が洗われるような思いでしたが、

やはり、同じ撮影監督の手によるものでした。

 

ところで、今日のヒューマントラスト有楽町は、たいへんな混みようでした。

みんな何を見に来てるのかと思ったら、なんと、コレ!

こんな地味な作品が・・・!

(映画館の公式ツイッターより↓)

 

 

確かに初日だからプレゼントもあったんですが、是非とも欲しい!ってものでもなかったから(失礼!)

あちこちの新聞で絶賛されていたからかな?

本編が始まってからも、年配の人中心にどんどん入ってきて、一番前の席までいっぱいになりました。

初回は満席で、そのあともほぼ満席状態が続いているようです。

 

 

プレゼントくれるわ、割引券くれるわ、サービス満点ですが、そんなにしなくても良かったかも。

でも、こういうエンタメ性とは無縁の作品がヒットしてるのを目の当たりにすると

日本もまだまだ捨てたもんじゃないな、って思います。