映画「未来を花束にして」  平成29年1月27日公開 ★★★★☆

 

1912年、ロンドン。   夫と幼子との3人で生活しているモード・ワッツ(キャリー・マリガン)は、

サフラジェット(女性参政権運動の活動家)の友人の代わりに公聴会に参加し、これまでの生き方に初めて疑問を持つ。

その後WSPU(女性社会政治同盟)のリーダー、エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)の演説を聞き、

デモにも参加するなど運動にのめり込んでいく。

しかし、活動を快く思わない夫に家を追い出され息子と引き離された上に、職場でクビだと言われてしまう。(シネマ・トゥデイ)

 

100年前のイギリスで婦人参政権獲得のために運動をおこした女性活動家たちの話。

タイトルからも「美談」の香りがするし、ほぼ予測可能な顛末の女性映画なんですけど、

最近コメディづいているメリル・ストリープの、久々の骨太の役柄に期待して観に行きました。

 

ヒロインは洗濯工場で働く24歳のモード・ワッツ(キャリー・マリガン)。

彼女は同じ工場で働く夫と最愛の息子と平和に暮らしていました。

工場での仕事は過酷ではあったけれど、彼女の仕事ぶりは評価され、夫も家庭的で、それなりに幸せな日々。

 

予告編では、夫はモードにひどい言葉をぶつけ、家から追い出す暴力亭主として描かれ、

まあベン・ウィショーですから、変態的なクズ亭主だろうと想像していたんですが、そんなことなくて

可愛い息子と一緒に仲良く暮らしていたんですね(ここ重要!)

 

ある日、街で店のショーウインドーに投石して、婦人参政権を訴える女性たちを目の当たりにします。

その中に工場の同僚バイオレットを見てショックをうけます。

彼女とは距離を置くようにしてきたバイオレットでしたが、

息子ジョージの薬をもらいに通う薬局の薬剤師のイーディスも活動家であることを知ります。

またホートン議員の妻も、裕福なマダムにもかかわらず、工場で集会への勧誘をしたりしています。

 

彼女たちと接するうちに、次第に活動が身近になっていくのです。

最初はバイオレットの代読で原稿を読むだけといわれて引き受けたのですが、

下院議員のロイド・ジョージの質問に答える形で、結局モードは、公聴会で、すべて自分のことばで証言したのです。

 

「母親もこの工場で働き、私が4歳の時に工場内で熱湯を浴びて亡くなりました」

「私も7歳でパート、12歳から正社員で働き、今24歳です」

「腰は曲がり手足は痛み、洗濯女はみんな短命です」

「私は役職にもついているけれど、労働時間は男性より長いのに、日当は男より安い13シリングです」

 

女性の政治参加についてきかれると

「参政権は最初からないと思っていたから、意見もない。

でも、もしかしたら別の生き方もあるのではないかとおもってここに来ました」

 

ロイド・ジョージはモードのことばをうなずきながら聴いてくれ、

「心にひびくことばこそが、皆の心を動かすのです」

 

イヤらしい目つきで眺めたり、いつも高圧的な工場長とは違う「話をちゃんと聞いてくれる人」に出会い

モードのなかで何かがかわります。

 

彼女たちの証言をとりまとめて、首相に進言するという約束だったのですが

「首相はすべてに目をとおされたが、婦人参政権は時期尚早といわれた」と報告するロイド・ジョージに

「うそつき」「恥を知れ」と怒号がとびかい、暴動となります。

 

その場に居合わせたモードも仲間と一緒に逮捕され、ホートン夫人だけは保釈金で釈放されますが、

ほかのメンバーは、みんな実刑をくらってしまいます。

ただ、投獄されるというのは、活動家たちにとってある意味「勲章」のようで、投獄1回で☆一個みたいな・・・?

 

「皆さんは危険を冒し、過去と決別して戦ってきた。

今や犠牲を伴う行動が必要不可欠です」

「窓ガラスへの投石、高官や資本家への攻撃、政府への反抗しか手段はないのです」

 

組織のカリスマ、パンクハースト夫人の演説は、けっこう過激な内容なんですが、すっかり心酔してしまい、

「あきらめず、闘い続けて」なんて、直々にいわれてしまって、すっかりモードも戦闘モードになってしまいます。

 

このパンクハースト夫人がメリルストリープで、出番は少ないながら、さすがの存在感!

 

一方、夫のサニーにとっては、家庭を放って政治活動にのめり込んでいく妻なんて認められません。

「(逮捕は)工場長にもバレていて、近所は陰口ばかり。恥をかかせるな」

そして家にいれてももらえず、愛する息子とも引き離されてしまいます。

 

もうひとり、モードに注目している人物がいて、彼は彼らの破壊行為を取りしまる立場にいるスティード警部(ブレンダン・グリーソン)

彼はまだゴリゴリの活動家にはなり切れてない新入りのモードには、仕事も家庭も失うものが多すぎるから

交渉次第では寝返る、とふんで、スパイとして警察の仕事をすれば、もとの生活に戻してやる、と持ち掛けますが

それをあっさり断り、女闘士となって、さらに過激なテロ活動にはまっていく・・・というような話です。

 

紫の花をつけた女性たちが100年前にやった政治活動ですから、平和的でたおやかなものと想像しますが

いきなり群衆のなかで投石したり、ポストや別荘を爆破したり、巻き添えで死んだり怪我する人のことは無関心。

最後ではダービーのコースに飛び出して馬にぶつかって命と落とすという・・・・

最後のはどうも「成功」したようで、1000人以上が葬儀に訪れ

「殉教者」エミリー・デビッドソンの死が称えられて、これが女性の参政権獲得運動の大きなはずみとなったようです。

 

今の感覚だと、かなり悪質な自爆テロ行為で、騎手も大けがするでしょうし、馬だって骨折して安楽死ですよ、きっと。

ここは「焼身自殺」が適当?だと思うんですけどね。

 

彼女たちの過激な運動は、今の感覚だと絶対逆効果で、とてもじゃない、共感できずに、ぽかーんとしてしまいました。

観た人の大部分がそうだと思うんで、あんまり映画としての評価もあがらないようですが、

私の感覚では、むしろ、うすっぺらい「いい話」に仕立て上げないところが好感がもてました。

 

スティード警部は「敵」ではありますが、モードをもとの生活に戻してやりたいという親心も感じましたし

夫のサニーが息子を金持ち夫婦の家に養子にだすというのも、あの状況fでは賢明な選択では?

 

最愛の息子を奪われて、もう失うものが亡くなったモードがさらに原理主義者的な運動家になっていくこともうなずけます。

ただ彼女がこれからの女性たちに希望を与えるために自らをささげたのか、ただ勢いに流されていただけなのか

その辺がもやもやしましたが、むしろ警察や夫たち(工場長は×)の気持ちに共感できるという皮肉な結果となりました。