画「山河ノスタルジア」平成28年4月23日公開 ★★★☆☆


1999年、山西省汾陽の小学校で教師を務めるタオ(チャオ・タオ)は、

炭鉱作業員リャンと実業家のジンシェン(チャン・イー)から求愛されていた。

その後タオはジンシェンを結婚相手に選び、二人の間に男の子が生まれダオラーと名付けられる。

2014年、離婚して汾陽で一人暮らしのタオは離れて生活しているダオラーと久々に顔を合わせるが、

ジンシェンと一緒にオーストラリアに移り住むことを知らされ……。(シネマ・トゥデイ)


日経のシネマ万華鏡で★5つ付いていて、とても気になっていた作品。

3つの時代を生きる女性の姿を通して時の流れを描いているようで、なんか面白そう・・・

ル・シネマの単館上映だったんですが、ようやく今日になって見られました。


女性の生涯というなら、戦後~文革時代~現代・・・なんていうのを想像していたら大違いで、

① 1999年  25歳

② 2014年  40歳

③ 2025年  51歳 

の3つの時代です。

なんと、③なんて近未来だから、びっくりです。


時代を描き分けるのにモノクロ~初期のテクニカラー~最新のカラー技術のような区別はよくやりますけど、

1999年にはすでにカラー映画だったから、本作では画面の大きさで時代を表しています。

最初はほぼ正方形→ビスタサイズ→スコープサイズ と、だんだん横幅が広くなっていきます。


まずは1999年。

「GO WEST」の音楽に合わせて踊りまくる若い男女たち。

20世紀最後の春節で、もうすぐマカオがポルトガルから返還されるという時代です。

タオとジンシェンとリャンズーは、幼なじみの仲良し3人組ですが、

女ひとり男ふたりですから、25歳ともなると、まあよくある三角関係となります。

女性のタオは学校の先生、ジンシェンは(家が裕福なのか商才があるのかわかりませんが)やたら羽振りがいい。

リャンズーは地元の炭鉱ではたらくやさしい青年です。


タオ役の女優さんは「ある海辺の詩人」でイタリアに出稼ぎにきてるヒロインを好演していたし

ジンシェン役の俳優さんは「最愛の子」で準主役だったから、そんな下手な人ではないと思うんですが

この三角関係のくだりは、今まで見たどんなメロドラマよりも陳腐で、演技もひどく思えました。

脚本もですけど、実年齢アラフォーの人たちが25歳をやるのだから、もうちょっとメイクとか頑張ろうよ!

40歳のおばさんがポニーテールすれば若返るってもんじゃないと思います。

しかもこの妙齢の女性は、すべてのシーンで同じ派手なセーターを着ています。

服も買えないような家ではないはずですが、このセーター、10年以上後には、犬の服にリメイクしていました。

それにしても、子どものときからの仲良しが、ある日突然険悪になって殴り合ったりするもんですかね?

ともかく、男二人は絶交して、タオは金持ちで赤いドイツ車を乗り回すジンシェンの妻となります。

ジンシェンは炭鉱を買い占め、そこで働くリャンズーは街を出ていきます。


そして2014年。

別の地方の地下の炭鉱で真っ黒になって働くリャンズー。

彼は妻と子どもと暮らしていますが、咳がとまらず、手術の必要な病気ですがお金がない。

家族はリャンズーの故郷、汾陽に戻ってきますが、

知り合いに借金を申し込もうにも、みんな国外脱出のために大金が必要で、とても言い出せない。

それで、妻は夫には内緒で、タオのところに手術費を借りにいくのです。

タオはすでにジンシェンとは離婚し、一人息子のダオラーの親権も奪われ、、

元夫と新しい妻のもとで、息子は上海のインターナショナルスクールに通っているのですが、

実家をガソリンスタンドに改装して、経済的には安定しているタオは、すぐ現金をジンシェンの家に届けます。


ちょっと前まで元気にしていたのに、タオの父が突然亡くなります。

その葬式に息子のタオを上海から呼び寄せますが、母のことはよく覚えておらず、

すぐ英語をつかったり、新しい母とスカイプしたり、女みたいにスカーフ巻いているのが気に入りません。

元夫は今はピーターと名前を変えており、一家でオーストラリアに移住する計画があるようで
もう最愛の息子とも会えないかも・・・

ダオラーとの別れがつらいタオは、鈍行を乗り継いで上海まで送り、「いつでも帰っておいで」と
家の鍵をふたつ、お守りのように息子に渡すのです。


2025年、オーストラリア。

青年になったダオラーはすでに中国語を忘れていて、中国語のレッスンを受けているのですが
その中年の女教師にあこがれています。

彼女もまたカナダ人の元夫との離婚裁判でもめていて、けっして幸せではありません。

6歳まで普通に中国語をしゃべっていたダオラーがしゃべれなくなるか?って思いましたが

それ以上に絶対おかしいのが、父のジンシェンが全く英語をしゃべれないこと。

息子に米ドル(ダオラー)を名前をつけ、ビジネスでオーストラリアにやってきて11年。

名前だってピーターに改名して、バリバリ事業を広げてきた彼が、英語をしゃべれないなんて!

難しいビジネストークでもなく、息子との日常会話をいちいち会話学校の女教師に通訳してもらってようやくわかる・・・

誰が考えてもおかしいと思いますが、これ、あえてそうやっているのかな?

51歳になったということで、ひげをつけて、お腹になにか巻いているようですが

相変わらずのチンピラ顔で、とってもタワーマンションの住民には思いえません。

近未来にしては車のデザインとか古臭いし、2014年のタブレット端末が、スケルトンになったくらいしか

「未来感」はありませんでした。


ダオラーは自分を拘束ばかりする父の存在が疎ましく、産みの母のタオの記憶を探るなかで

親子ほど年の違う教師と深い仲になっていくのですが、彼女のススメもあって汾陽に戻ることを考えています。


そんなことも知らないタオの話し相手は犬だけ。

散歩に出かけたタオは、開発も進まず26年前と少しも変わらない空き地で

汾陽の文峰塔をバックにひとり「GO WEST」のダンスをするのでした・・・・

そしてエンドロール。


このあとにどんなシーンが用意されているのか、ドキドキしながら待っていたんですが

そのまま終わってしまいました。


そんな肩透かしで終わってしまったんですが、なんというか、言いたいことはわかるんです。

近代化が進む中国・・・豊かな生活、通信手段も格段に進歩してきたのにも関わらず、

人々のつながりはむしろ薄れ、笑顔も見られません。

ジンシェンとタオの夫婦も時流に乗って成功したと思われたけれど、それと引き換えに家族の絆を失ってしまった・・・

大好きなタオをジンシェンにとられ、炭鉱で働き病気になってもお金がなくて治療もできない・・・

リャンズーは気の毒な「負け組」ですけど、貧しいながらも過程をもっていて

妻は愛する夫のために、元カノのタオに頭を下げてお金の工面にいくって、なかなかでことじゃありません。

気の毒ではあるけれど、この家族に不幸の影は感じられないのです。


母とドライブしたかすかな記憶や、どこかで聞いたことのあるサリーイップのヒット曲、

そして「GO WEST」のダンスミュージックが、不思議な力で人と人を結びつけるのですね。

劇中何度もかかる「GO WEST]は、90年代にペットショップボーイズのカバーで世界中でヒットしたので

タオたちの知っているのはこのバージョンだと思うのですが、私は70年代にヴィレッジピープルの

ちょっとゲイっぽい振付の曲で知っています。

ポンキッキで流れた日本語版を知っているという人もいます。


もともと「西へ行け」というのはアメリカの西部開拓のスローガンですけど、

中国だとどう考えても「天竺をめざす、西遊記」ですけど、

この映画の中では「より豊かな西側の資本主義陣営の国を目指そう」ってことなのかな?


そんなわけで、一人の女性の半生を通して今の近代化が進んだ中国の行方を問う映画だったんですが

それにしてはエピソードがとっ散らかりすぎて、回収しないまま終わってしまったのが、
個人的には気持ち悪いのです。

突っ込みどころも多すぎ。

中国の映画だから日本人にはわからなくて当然のところもあるんでしょうが、

たとえば、ジンシェンのキャラ設定が意味不明です。

学業をスポイルして学歴なしで人望もなくて、見た目もチンピラ風情、英語は息子との日常会話もできないレベルで

それでもって実業家として海外進出までできるものか?

いちゃもんつけるつもりはないけれど、この辺は観客を納得させられないとダメだと思います。


小さなエピソードは、ほとんどが「これ必要?」ってレベルだったんですが、中国のリアルと思ってメモしておきます。


①共同浴場では大きな湯船の中で石鹸を使って、石炭で真っ黒な汚れを落としてオッケー

②救急車は(日本では生きてる人しか乗れないけれど)大金を払えば、サイレンを鳴らして自宅まで

遺体を運んでくれる。(12000元+ガソリン代)

③過積載でトラックが傾いて大変なことになってるけど、みんな慌てずに周りを掘ってトラックを動かそうとしてる。

④祭りの人出は尋常じゃなくて、いつ将棋倒しになってもおかしくない状況。

⑤おふくろの味の象徴として使われたのが「麦穂餃子」この地域のソウルフードなのかな?

食べると背がのびるそうです。

⑥父の葬儀で、どう考えてもタオは泣きすぎなんですけど、

老父を見送るのに喪主が参列者の前で大泣きするのは国民性なのかな?


もう一度★が5つ付いた日経の記事を読みましたけど、確かに伝えたいことは伝わるけれど
こんなに雑なつくりでいいのかと、考え込んでしまいます。