映画「母よ、」平成28年3月12日公開 ★★★★☆
マルゲリータは恋人と別れた上に、娘のリヴィアが反抗期真っただ中。
兄のジョヴァンニ(ナンニ・モレッティ)と一緒に、入院中の母親アーダの世話もしていた。
さらには、自身が監督する映画に出演するアメリカ人俳優バリー(ジョン・タートゥーロ)とうまくいかず、
ストレスを抱えるようになってしまう。
そんなある日、マルゲリータは母親の余命宣告を受け……。(シネマ・トゥデイ)
↑の画像の女性がヒロインのマルゲリータ。
寄り添っているのは監督のナンニ・モレッティですが、映画のメイキングではなく、監督も俳優として参加しています。
ほとんど夫婦のような雰囲気ですが、ジョバンニはマルゲリータの兄で、一緒に母の介護をしています。
マルゲリータは社会派の映画を撮る女性監督で、労使交渉のシーンの撮影の真っ最中。
スタッフも俳優もエキストラたちもそれぞれに頑張ってはいるのですが、
なかなか思うようなシーンがとれずにイラついています。
というのも、マルゲリータは私生活でいろんな悩みをかかえているから・・・
同居しているパートナーとは破局し、一人娘はぜんぜん勉強しない、
そして一番気がかりなのは心臓が弱って入院している母のこと。
仕事の合間にお惣菜を買って病室を訪れると、兄が完璧な手作り料理を用意していて、
どうせ自分なんか必要ないといじけてしまいます。
モレッティ監督の実体験に基づいたストーリーで、原題も「Mia madre 」(私の母)と聞いていたので、
イタリア版「わが母の記」じゃないかと思っていました。
仕事と家庭と介護の板挟みになって翻弄される中年の姿、というのは、
私たちの年代にはもっとも共感度高い題材なのですが、
それにしても、設定が特殊すぎ!
ヒロインは女性の映画監督で、(最初気づかなかったのですが)最初登場したパートナーは夫ではなくて恋人。
娘といっしょにやってくるのが別れた夫で、一人娘は彼のもとで暮しており
元夫とも未だ家族のように接していて、恋人のほかに実の兄とも非常に親しく、
兄は仕事を退職して介護に専念しようと考えている・・・
そして彼女の母親は、ラテン語の元教師で、たくさんの教え子に慕われている・・・
とても一般的とはいえない設定ですが、それでも、理解できないなりに共感することはできます。
①仕事
ハリウッドから呼び寄せた「大物俳優」バリーは、イタリア出身なのにイタリア語がへたくそでNGばかり。
運転シーンも、ハンドルさばきがめちゃくちゃで、とてもつかいものにならない。
誰よりもみんなに迷惑をかけているのに、あくまでも大物きどりで、女性監督を女の子あつかいする。
何より気にくわないのは、そんななのに、けっこうみんなから愛されているみたいなこと。
②家庭
娘が母にラテン語の手ほどきをうけさせて、やっとやる気になってホッとしたのもつかの間、
娘が母(娘の祖母)に失恋の相談をしてることにショックを受けます。
離婚してるとはいえ、最初に相談するのは母親の自分だろう
と。
③母
永年教師をつづけてきた母の書斎は本だらけ。
マルゲリータにとっても母はずっと人生の師だったのに、今は病気で身体も記憶もおぼつかない。
母が最期を迎えようとしているのに、自分は何にも役に立たず、
母が駄々をこねたりちょっと弱音を吐いたりすると、キレてしまう・・・
彼女はどうやら人生を器用に乗り切っていけるタイプではないようで、
精神は限界に達し、連日悪夢にうなされるようになります。
(この流れだとセラピストにかかったりするんですが、そんなシーンもなく)
電力会社のセールスマンを母の家にあげて検針票をしつこくさがしたり
足首まで浸水した部屋に新聞紙を撒いて吸い取ろうとしたり
母の車を壁に激突させたりする言動は、どう考えてもおかしすぎ。
ついには撮影現場でも、いつまでたってもバリーのせいで進まない撮影に
皆の前で大ギレしてしまいます。
そして、(多分慰めてほしくて)別れた元恋人を呼び出すのですが
「君は注意深そうにみえて、実は身勝手で無神経」
「自分と他人の生活をこわす」
といわれてしまいます。
バリーにはたしかに問題ありですが、それ以外の人に何の責任もなく、
マルゲリータがひとりで空回りしてるだけだったんですよね。
そして皮肉なことに、一番の疫病神だったバリーの苦悩を知ることで、周囲との和解の道が開けるのです。
年齢的にはマルゲリータに同情すべきなんでしょうけど、むしろ母の言葉にしっくりくるのは
私も年をとったということでしょうか・・・
「年寄りは馬鹿にされるけど、本当は賢いのよ。
年よりは考え続けるから」
そして、もう快復の余地なく余命宣告されたあと、
「ママなにを考えてるの?」ときかれて
「あしたのことよ」
というラストは、感無量でした。
ひとつ気になったのは、
マルゲリータが撮影のときに役者にたいして何度もくりかえすことばのこと。
「役者は役によりそうべき」
これは、役になりきれ!という意味ではなく、
「役は演じるものだけど、そのよこに自分がいることが必要なの」というように
「素の俳優の自分を感じさせる演技をしなさい」ということなんですけど
これはきっとモレッティ監督の信念でもあるのでしょう。
いつもマルゲリータによりそい母を支える兄として参加しているのにも意味があるのでしょうし、
観る私たちも自分をヒロインに重ね合わせてみるのも正解なんでしょうね。
マルゲリータは恋人と別れた上に、娘のリヴィアが反抗期真っただ中。
兄のジョヴァンニ(ナンニ・モレッティ)と一緒に、入院中の母親アーダの世話もしていた。
さらには、自身が監督する映画に出演するアメリカ人俳優バリー(ジョン・タートゥーロ)とうまくいかず、
ストレスを抱えるようになってしまう。
そんなある日、マルゲリータは母親の余命宣告を受け……。(シネマ・トゥデイ)
↑の画像の女性がヒロインのマルゲリータ。
寄り添っているのは監督のナンニ・モレッティですが、映画のメイキングではなく、監督も俳優として参加しています。
ほとんど夫婦のような雰囲気ですが、ジョバンニはマルゲリータの兄で、一緒に母の介護をしています。
マルゲリータは社会派の映画を撮る女性監督で、労使交渉のシーンの撮影の真っ最中。
スタッフも俳優もエキストラたちもそれぞれに頑張ってはいるのですが、
なかなか思うようなシーンがとれずにイラついています。
というのも、マルゲリータは私生活でいろんな悩みをかかえているから・・・
同居しているパートナーとは破局し、一人娘はぜんぜん勉強しない、
そして一番気がかりなのは心臓が弱って入院している母のこと。
仕事の合間にお惣菜を買って病室を訪れると、兄が完璧な手作り料理を用意していて、
どうせ自分なんか必要ないといじけてしまいます。
モレッティ監督の実体験に基づいたストーリーで、原題も「Mia madre 」(私の母)と聞いていたので、
イタリア版「わが母の記」じゃないかと思っていました。
仕事と家庭と介護の板挟みになって翻弄される中年の姿、というのは、
私たちの年代にはもっとも共感度高い題材なのですが、
それにしても、設定が特殊すぎ!
ヒロインは女性の映画監督で、(最初気づかなかったのですが)最初登場したパートナーは夫ではなくて恋人。
娘といっしょにやってくるのが別れた夫で、一人娘は彼のもとで暮しており
元夫とも未だ家族のように接していて、恋人のほかに実の兄とも非常に親しく、
兄は仕事を退職して介護に専念しようと考えている・・・
そして彼女の母親は、ラテン語の元教師で、たくさんの教え子に慕われている・・・
とても一般的とはいえない設定ですが、それでも、理解できないなりに共感することはできます。
①仕事
ハリウッドから呼び寄せた「大物俳優」バリーは、イタリア出身なのにイタリア語がへたくそでNGばかり。
運転シーンも、ハンドルさばきがめちゃくちゃで、とてもつかいものにならない。
誰よりもみんなに迷惑をかけているのに、あくまでも大物きどりで、女性監督を女の子あつかいする。
何より気にくわないのは、そんななのに、けっこうみんなから愛されているみたいなこと。
②家庭
娘が母にラテン語の手ほどきをうけさせて、やっとやる気になってホッとしたのもつかの間、
娘が母(娘の祖母)に失恋の相談をしてることにショックを受けます。
離婚してるとはいえ、最初に相談するのは母親の自分だろう

③母
永年教師をつづけてきた母の書斎は本だらけ。
マルゲリータにとっても母はずっと人生の師だったのに、今は病気で身体も記憶もおぼつかない。
母が最期を迎えようとしているのに、自分は何にも役に立たず、
母が駄々をこねたりちょっと弱音を吐いたりすると、キレてしまう・・・
彼女はどうやら人生を器用に乗り切っていけるタイプではないようで、
精神は限界に達し、連日悪夢にうなされるようになります。
(この流れだとセラピストにかかったりするんですが、そんなシーンもなく)
電力会社のセールスマンを母の家にあげて検針票をしつこくさがしたり
足首まで浸水した部屋に新聞紙を撒いて吸い取ろうとしたり
母の車を壁に激突させたりする言動は、どう考えてもおかしすぎ。
ついには撮影現場でも、いつまでたってもバリーのせいで進まない撮影に
皆の前で大ギレしてしまいます。
そして、(多分慰めてほしくて)別れた元恋人を呼び出すのですが
「君は注意深そうにみえて、実は身勝手で無神経」
「自分と他人の生活をこわす」
といわれてしまいます。
バリーにはたしかに問題ありですが、それ以外の人に何の責任もなく、
マルゲリータがひとりで空回りしてるだけだったんですよね。
そして皮肉なことに、一番の疫病神だったバリーの苦悩を知ることで、周囲との和解の道が開けるのです。
年齢的にはマルゲリータに同情すべきなんでしょうけど、むしろ母の言葉にしっくりくるのは
私も年をとったということでしょうか・・・
「年寄りは馬鹿にされるけど、本当は賢いのよ。
年よりは考え続けるから」
そして、もう快復の余地なく余命宣告されたあと、
「ママなにを考えてるの?」ときかれて
「あしたのことよ」
というラストは、感無量でした。
ひとつ気になったのは、
マルゲリータが撮影のときに役者にたいして何度もくりかえすことばのこと。
「役者は役によりそうべき」
これは、役になりきれ!という意味ではなく、
「役は演じるものだけど、そのよこに自分がいることが必要なの」というように
「素の俳優の自分を感じさせる演技をしなさい」ということなんですけど
これはきっとモレッティ監督の信念でもあるのでしょう。
いつもマルゲリータによりそい母を支える兄として参加しているのにも意味があるのでしょうし、
観る私たちも自分をヒロインに重ね合わせてみるのも正解なんでしょうね。