こんにちは!徒然ママです。

 

いつもありがとうございます。

 

 

今日も、

 

一冊の本を自分勝手に解釈して、

 

 皆さんにお伝えさせていただきまーす!

 

 

 

あくまでも、自分勝手な解釈ですので

 

 正しくお知りになりたい方は、

 

 ぜひ実際に読んでみてくださいね。

 

 

 

さて、今日は、

 

田坂広志さんの「死は存在しない」の最終回をお届けしたいと思います。

 

どうぞ、最後までよろしくお付き合いください。

 

 

 

 

 

て、前回は、死後、私たちの現実自己が

 

ゼロポイントフィールド内の深層自己に中心を移し、

 

変化をしながら生き続けるというお話をしました。

 

 

では、その意識はさらにどうなっていくのでしょうか。

 

 

ここで、言葉の整理をしておきたいと思います。

 

これまで、現実自己と深層自己を理解していただくために

 

現実世界と深層世界という言葉を使っていましたが、

 

この深層世界とは、言うまでもなく、ゼロポイントフィールドのことです。

 

ですので、これからは、すべてゼロポイントフィールドに統一させていただきます。

 

 

 

それでは、肉体が死を迎え、深層自己に中心を移した意識が

 

さらにどうなっていくのかをお話しましょう。

 

 

実は、深層自己においても、エゴがしばらく残っています。

 

そのため、死後も、

 

私たちは、しばらく、エゴから世界を見つめ続けることになります。

 

日本には、初七日、四十九日といった法要の儀式がありますが、

 

亡くなった人の自我意識が次の変容を遂げる前に

 

寂しさや不安に沿い続けるためのものでしょう。

 

 

 

さて、その後、次第にエゴが消えていきます。

 

なぜでしょう。

 

それは、恐怖や不安がなくなるからです。

 

その結果、心の苦しみも自然に消えていき、

 

至福に満ちた世界へと向かっていきます。

 

そして、エゴを主体とした記憶、

 

例えば、

 

いつ、どこに生まれたのか

 

いつ、どこで、だれと、何をしたか、

 

何を考え、何を思い、何を喜び、何に苦しんだか

 

といった記憶が消えていき、

 

その代わり、

 

この宇宙のすべての情報や知識や叡智に触れることができるようになります。

 

そして、先ほどのエゴを主体とした記憶も消えてしまうわけではなく、

 

「田中太郎は・・・」といったぐあいに客観的情報として

 

ゼロポイントフィールドに残り続けます。

 

 

 

その後、深層自己の中の意識は、

 

自我を超えた意識、すなわち、超自我意識と呼ぶべきものになっていくのです。

 

 

それでは、すでに亡くなった人々は、どうしているのでしょう。

 

次に、そのことについて触れてみましょう。

 

 

まず、ゼロポイントフィールドですでに亡くなった人と再会できるのでしょうか。

 

人は死後、しばらくエゴを残しています。

 

そのエゴが、例えば肉親に会いたいと願います。

 

ゼロポイントフィールドは、その願いを感じ取り、

 

フィールド内の肉親の様々な情報を集め、

 

それを人格化したイメージとして表すのです。

 

フィールド内の肉親の意識は、すでに超自我意識へと変わり、

 

ある意味で、この宇宙意識となっているからです。

 

 

 

超自我意識とは、どのような意識なのでしょう。

 

それは、自分と他者を分けず、

 

自分と世界を分けない、「自我一体」の意識であり、

 

全ては1つという意識です。

 

 

 

 

私たちは、死後、みなその超自我意識へと変わっていくのです。

 

では、その超自我意識は、さらにどこに向かうのでしょう。

 

 

 

 

 

超自我意識は、ゼロポイントフィールド内の様々な情報や叡智に触れながら

 

変化を続け、成長を続け、拡大を続けます。

 

そのため、はじめは、家族意識のようなものから始まり、

 

徐々に、共同体意識や国家意識のような領域へと拡大し、

 

いずれ、人類全体の意識、

 

すなわち、人類意識と呼ばれるものへと拡大していきます。

 

 

超自我意識の拡大は、さらに続きます。

 

46億年前にこの地球という惑星が生まれてから、

 

この惑星の上に誕生し、生存し、死滅していったすべての生命の意識にも触れるため、

 

この人類意識は、地球意識と呼ぶべきものへと広がっていくのです。

 

 

この地球意識は、はじめのうちは、すべての生命の意識を包み込むものですが、

 

いずれ地球上のすべての存在の意識を包み込むものへと拡大していくそうです。

 

 

いえ、それだけではありません。

 

意識は、さらに拡大し、

 

地球そのものの意識と深くつながった意識の状態まで拡大するといわれています。

 

とても壮大な話ですね。

 

 

しかし、まだここで話が終わるわけではありません。

 

それは、さらに、究極の意識、宇宙意識へと拡大していくのです。

 

この宇宙意識は、どんなものでしょうか。

 

それは、この宇宙のすべてを静かに見つめ、眺めているというイメージです。

 

もう一つは、宇宙意識のすがたが胎児の姿であるイメージで。。

 

 

 

 

宙は、外から誰かが意図的に働きかけなくても、

 

あるシステムが、自然に秩序や構造を生み出す性質があるそうです。

 

そして、実は、自然界のすべての現象や出来事も

 

全てこのプロセスによって起こっているのです。

 

わかりやすい例でいうと、

 

雪の結晶がそうです。雪の結晶は、だれが創りだしたものでもありませんが、

 

美しい幾何学模様を形作っています。

 

 

138億年前に量子真空から生まれた、この宇宙は、

 

様々な偶然によって起こる小さなゆらぎによって、

 

その姿を様々に変えながら、

 

何も定まっていない未来に向かって進化を続けているのです。

 

 

 

 

 

し、この宇宙に宇宙意識というものがあるならば、

 

それは、2つの性質をもっているということです。

 

1つ目は、宇宙意識とは、何か完全なものではなく、

 

それ自身が、たゆまぬ成長と進化のプロセスにあるということです。

 

2つ目は、その成長と進化のプロセスは、

 

決まりはなく、極めてクリエイティブなプロセスだということです。

 

 

 

先ほど、私たちの意識は、死後、ゼロポイントフィールド内で

 

自我意識、超自我意識

 

人類意識、地球意識、

 

そして、最後に宇宙意識にまで拡大するといいましたが、

 

 

言葉を変えると

 

宇宙意識に戻っていくといった方がいいのかもしれません。

 

 

なぜなら、私たち人類は、

 

138億年前に量子真空が生み出した宇宙が

 

138億年という年月を経て

 

地球という惑星の上に生み出したものだからです。

 

 

 

のことから、このような結論に達するのではないでしょうか。

 

もし、あなたが、

 

「わたしとは、この肉体である」と信じる限り、

 

死は明確に存在し、

 

そして、それは必ずやってきます。

 

 

もし、あなたが、

 

「私とは、この自我意識である」と信じる限り、

 

あなたの意識がゼロポイントフィールドに移ったあと、

 

いずれ、その自我意識は消え、超自我意識へと変わっていきます。

 

ですから、自我意識にとって、死は存在します。

 

 

でも、もしあなたが、

 

「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この宇宙意識である」と信じるなら、

 

死は存在しません。

 

肉体としての、また、自我意識としての自分が死を迎えるとき、

 

もう一人の自分、すなわち宇宙意識が

 

一つの夢から覚めるのです。

 

そして、その時、

 

私とは、宇宙意識そのものだということに気づくのです。

 

 

この宇宙意識が見る夢とは、

 

この現実世界を生み出す夢です。

 

ですから、自分が宇宙意識であることに気づいたとき

 

その夢を変えることができます。

 

そうです。

 

目の前の現実世界を変えることができるのです。

 

 

 

 

私たちの宇宙意識は、

 

その夢を通じて、

 

私たちの人生を通じて、

 

大切な何かを学び、成長していこうとしています。

 

喜びも幸せもありながら、

 

苦労や困難に満ちた、この人生。

 

でも、それはあなただけに与えられたかけがえのない、尊いものです。

 

 

ですから、この一瞬の夢を

 

すばらしい 夢にしようではありませんか。

 

 

 

日はこれで終わりです。

 

私たちの意識は、宇宙から生まれ、

 

そして、死んだあと、宇宙に戻っていく。

 

そして、今私たちが生きている現実世界は、

 

宇宙意識から見ると、一瞬の夢だということです。

 

138億年の宇宙の歴史から考えると、

 

まさに一瞬ですよね。

 

でも、だからこそ、この一瞬を大切に生きていきたいですね。

 

 

私たちは、大いなる宇宙と同じなのですから。

 

 

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

また次回をお楽しみに。

 

 

それでは、さようなら。