こんにちは。

 

今日ご紹介する1冊は

「すべての罪悪感は無用です」

という本です。

著者は斎藤学さん。

 

斎藤さんは、精神科のお医者様です。

国立アルコール症センターで臨床にあたり、

アルコール依存症など「依存症」という用語を提唱し、定着させた人です。

 

 

斎藤さんは「すべての罪悪感は無用」と言っていますが、

にもかかわらず誰もが自ら罪悪感を持とうとするので、

知らず知らずのうちにそれに見合った人になろうとしています。

 

 
  思春期に入る過程で異性の親に今までと違った感情を向け始め、
親を避けようとする時期があります。
女の子であれば父親をとても鬱陶しく思う年頃ってありますよね。
そして、父親に話しかけられてもろくに返事をしなかったり。
しかしこの感情は同時に母親に対しての罪悪感を生むのです。
おそらく心のどこかで自分の感情が間違ってるんじゃないかと
思ってるからなんでしょうね。
そして罪悪感は反転して母親批判として表現されるのです。
 
男の子であれば、母親を避け、父親に対して批判するといった具合です。
 
 
 
一方でこの罪悪感は思春期の子どもの心の中に取り込まれ
インナーマザー(内なる母)と呼ばれるものを形成し、
それが自己を非難するんです。
 
インナーマザーはいわゆるあなたの中にいる親。
幼児期からの成長の段階で、親から言われてきたことを心の中に溜め込んでいて、
自分が何かをしようと思うたびに、
「それをすべきではない」とか「こうしなくちゃ」というように
あなたの中の子どもを締め付けるのです。
 
自分の心の中のことなんだから、簡単に壊しちゃえばいいのにと思いますが、
これがなかなか壊せないのです。
何年もかけて親から刷り込まれてきた
いわゆる常識とか習慣というものに基づいた思いですので、
とても根深いのです。
 
ただ、実際の親を見て
あんな愚かな親が自分の親なのだ。
そんな親に愛されなくても平気だ。
親なんてあんなもんだ。
と割り切れたとき、
インナーマザーから解放され、不必要な罪悪感も消えていきます。
 
 
 
 
女性について言えば、
良妻賢母だの聖母だのというイメージは、社会が作り上げた幻想でしかありません。
最近は少しずつ女性の社会進出が増えていますが、
それでも育児の中心は母親だという常識は根強いですね。
女性が無理にそれを目指すと
本当は自分だけの時間がほしいなどという本音の部分を押し込めてしまうのです。
 
母親が自分を隠して良妻賢母ロボットと化し、
父親が企業人としての義務をロボットのように果たせば、
子どもも本当の自分を押しこめたロボットと化してしまうでしょう。
 
母親がしっかりとしていて、しつけも行き届いているというような家庭の子どもが、
優等生なんだけど母親の顔色ばかり伺っていて
自分の感情をあまり外に出さないといったケースも少なくないですよね。
 
母親が夫や子どものことばかり考えるのでもなく、
かと言って家庭を全く顧みないのでもなく、
ほどほどにやるというのが
家族みんなの幸せのためにはいいのではないでしょうか。
 
親がそういう態度で子どもに接していたら、
子どもの自己肯定感も知らないうちに上がっていくと思いますよ。
 
自己肯定感の強い人は、
自分の誤りや足りない部分を素直に認めたり、
現実にそぐわないと思ったらすぐに行動を改めることができます。
自分に嫌なことがあっても目を背けず見つめることができます。
 
そうすると、自然と安全な人が集まり、
危険な人を遠ざけながら歩んでいくことができます。
 
 
また、自己愛を持つ人は自信に溢れ他人に寛容。
 
自己愛がちゃんと育つためには
乳幼児と母親の関係が大切です。
お前は愛されて当たり前なんだと可愛がることです。
 
そのためには親が身も心も丈夫であること。
どっしりと構え、ちょっとやそっとで壊れない…。
 
 
 
逆に、親の期待で子どもを縛るのは見えない暴力といえるでしょう。
 
 
 
 
共依存というものがあります。
他人の感情と自己の感情をはっきりと区別できないので、
相手の機嫌が悪いと
自分が何かしたのではないかと不安になります。
相手の問題なのに、自分の問題として考えてしまい、
なんでも自分のせいだと思ってしまうのです。
そして、
相手が自分の思う通りに動いてくれないと、
愛されていないのではないかと思い、
気がつかないうちに相手を支配しようとします。
それは大人同士だけでなく、子どもに対しても同じです。
 
 
 
ある調査によりますと、
夫がアルコール依存症である妻の4人に1人が父親もアルコール依存症だった
という結果が出ています。
成長の段階で、家族の中で悲惨さを知っているにもかかわらず、
夫でまた同じ経験を繰り返すのです。
なぜでしょうか。
 
実は、周りから見ていると悲惨な生活を送っていそうに見えても、
実は妻のほうは、
アルコール依存症の夫には私が必要なんだ、
私がいることで彼を立ち直らせてみせる
というように、いきがいに感じてるんです。
これも共依存の1つだと考えられます。
 
 
 
ところで、母親が育児の過程で子どもに怒り、憎しみ、憎悪の感情を持つことは
ごく当たり前のことです。
 
家族は安全な場所である一方
危険地帯であるという側面も忘れてはいけません。
 
家族という枠組みの中までは他人は踏み込めない部分があります。
外からはよく見えないところで虐待が行われていても
外からは気づかれないことがよくあります。
 
 
 
 
ここで、男性にとっては耳の痛い話をします。
読んでくださっている男性の方、すみません。
日本の男性の多くは、子どもの立場のまま、
表面的な男らしさを追求するという
無理な人生を歩むことを強いられているそうです。
 
それは、母親がいつまでも子離れできないという現状から起こっているようです。
 
 ですので、表面的には男らしさを着飾ります。
例えば、筋肉トレーニングをしたり、ブランド品や車、学歴などにこだわります。
しかし、根底には他人が自分を認めてくれているかという不安が
常に付きまとっているのです。
 
そんな男たちを救ってくれるのが企業(職場)です。
男たちは、定年退職まで
「自分がいなければ仕事が回らない」「会社がだめになる」
という幻想を抱いて過ごしているのです。
 
エリートたちは職場の理論が自分の理論だと錯覚している人が多いのです。
そして、自分が中心になって職場を回しているという錯覚に陥っています。
これは自分と他者の境界が曖昧な幼児に似ています。
 
これに慣れてしまうと、
仕事さえしていれば許されると思い込んでいる人が多いような気がします。
そして、「家庭や子どものことはお前に任したぞ。」などと、
一見妻を信頼しているような言葉を言って、
実は家庭内の面倒なことから目を背けているのです。
家庭内の仕事などやる必要ないと思っています。
 
日本の水商売を支えているのがこういう中年男性。
日本のエリートたちは職場では良い子として過ごし、
日が暮れると高級なバーやクラブのママさんに甘えに行き、
家ではお母さんの世話を受けるということが許されているため、
成熟した男として個人的な仕事もきちんと請け負うという
辛いことをしようとはしないのです。
 

 

妻もまた同じ。
内心では夫に対して不満を持ちながらも、
世間が期待する妻の役割から外れないようにしようと
無理をして良妻賢母を演じている女性がまだまだ多いのではないでしょうか。
 
献身的な妻と働きすぎを続ける夫はまさしく共依存といえるでしょう。

 
 
 
 
ところで、人間の能力の一つに「ひとりでいられる能力」があります。
 
母親にたっぷり愛され見守られているという安心感の中でその能力は育ち、
そういう子どもは親離れもスムーズで早く自立もできます。
 
反対に親の愛情を確信できない子どもは、
一人でいることが不安で、それが寂しさや絶望につながるのです。
 
この寂しさや虚しさはアルコールや薬により、一時的に緩めることができます。
 
アルコールは自己批判を外し、自己肯定感を高めるので、
一時的に「自分は悪くない、こんなふうにしたのは周囲が悪いんだ」という
自己中心的な思いに浸ることができます。
 
アルコール依存症の人は幼い頃
ひどい欲求不満の状態に置かれた人が多いのです。
アルコールに依存することで、
幼児期からたまった欲求不満や絶望感を一時的にまぎらわそうとしているのでしょう。
また、こういう人は心の中に愛する存在を持つことができず,
孤独が耐え難いものとなってしまいます。
 
そのためアルコール依存症の人の治療には
仲間が有効です。
信頼できる仲間の存在によって,
孤独に耐える精神力をつけていくことができるのです。
 
 
 
 
コミュニケーションがうまく行かない夫婦の関係を救うのは
子どもの存在です。
「子はかすがい」と昔から言いますよね。
夫婦は知らないうちに子どもに依存し、期待します。
その分、その期待が叶わなかったときの失望も大きいのです。
親は子どもに自分たちの期待に合った行動を求めてしまいます。
たとえ言葉に出さなくても視線や素振りで子供に訴えかけているのです。
子どもが親の期待通りの行動をしなかったときに、親は子どもに失望します。
言葉では「だいじょうぶ」と言いながらも、
一瞬の表情やしぐさにその失望を出してしまいます。
それを感じて、子どもも失望するのです。
 
親を失望させた子どもは罪悪感を持ちます。
それが度重なると、自己肯定感を低下させていきます。
成長しても自信が持てず、他者へ依存してしまう大人になってしまうのです。
または、それが反転して親に対する攻撃になる場合もあります。
 
幼児の、欲求が満たされないことによる怒りの一部は
成長して言語能力や認知機能が発達するにしたがって、
他人に受け入れられやすい自己表現や自己主張ができるようになってきます。
これは人間の成長の姿です。
しかし怒りや欲求が抑圧されたままになってしまうと正しい自己表現ができず、
問題行動となるパターンが多くあります。
 
親の威圧的な態度は子どもの心に怒りを蓄積させます。
このような子どもが成長して親より力を持つようになると、
暴力で訴えるようになります。
成長しても親より力が弱いと自覚した場合は、
うまく自己表現できず他人の目ばかり気にしたり、
ひどいときにはひきこもってしまったりすることになります。
 
他人のために生きてきた人生を振り返り、
必要であれば他人への怒りを吐き出しましょう。
そして自分の中にいるインナーチャイルドの欲望にそって生きればいいのです。
世間体など気にしてはいけません。
誰のためでもない、誰のせいにもしない、
自分自身をハッピーにすることが第1にするべきこです。
自分の欲求に従って行動しても、
深いところで他者と共感しあい調和することができるはずです。
なぜなら、あなたの心の深いところにある欲求は、他
者とのつながりを求めているからです。
 
あなたの人生はあなたのもの。
自分の外側に「ああしろ」「こうしろ」とうるさく言うインナーマザーを持たず、
自分に正直に生きる。
それこそが「自分のために生きていく」力をもったということです。
 
自分の人生、自分で切り開いていきませんか?