産後で体力を落とした私には、山の中を歩いていくのは辛いものがあった。それでも子連れの女で訳ありとでも思われたのか、土地の人に情けをかけて頂いて夜露をしのぎ、食べ物を恵んで貰うことが出来た。
十津川を出てからも、一向に隊の戦況はわからないまま・・・皆、ちゃんと食べてる?無事でいる?怪我して無い?頭に浮かぶそれぞれの顔に問いかけずにはいられない。
寿太郎も不安なはずなのに、泣き言の一つも言わず私と軍次郎を気にかけていて、申し訳なさと同時に本当に十郎さんに似た子に育ったものだと思う。
ふと煙の流れが見え、もしか隊の陣かもしれないと近寄ると、聞こえるのは聞き慣れない声ばかりで早く立ち去ろうとするも、運悪く軍次郎がぐずってしまった。
数人の男達に囲まれ、じろじろと見られる。
「何だ女か。こんな山の中で何をしている?」
銃を手にした強面の男にすごまれ、ごくりと息をのむ。
「母上と軍次郎にちかづかないで!」
返事も出来なかった私に代わって寿太郎が小さな腕を広げて前に出た。
「こりゃ威勢のいい童だな。」
からかうように言う男がいて幸いだった。一歩間違えば子ども達と共に捕らえられていた。
「寿太郎、母上は大丈夫です・・・お武家様、息子が無礼を申しました。お赦しくださりませ。」
深々と頭を下げ、早々に立ち去ろうとするも甘かった。ぐっと腕を掴まれ睨まれる。
「何でござりましょうか・・・?」
「子連れの女とはいえ、この山をうろついているのはおかしい。お前は天誅組の仲間ではないか?」
「天誅組?」
それは御先鋒の隊のこと?代官所を討ったあとに「天誅さん」「天忠さん」と言われていたことからついた呼び名なのかもしれない。
「考えすぎじゃないですか?抱いてるのも赤ん坊だし・・・」
「いや、奴らは兵力かき集めるのに、十二、三の子供みたいなのまで使ってたんだ。女がいたっておかしくない。」
まさか、今言っていたのは英太郎君のこと?噂で知っているだけ・・・?それとも、隊と別れた水郡さん達が捕らえられているとでもいうの?
「私は・・・十津川から来た医者です。夫も医者でございまして、どこかの軍の方に連れて行かれたものですから・・・心配で山に入ったのでございます。」
一刻も早く、隊へ追いつかなければという思いで、私は少しの嘘を交えながら男達をごまかす。
「医者?おい、奴らの仲間に十津川の医者なぞ居たか?」
「いや、十津川の者は皆、天誅組から手を引いたと聞いている。」
「なら、奴らが十津川を出る時に、土地の医者を連れ出したってことか。」
「この女の言うことを信じるならそうだな。おい女、十津川の者なら、村であったことを詳しく聞かせろ。」
嘘が裏目に出てしまった・・・けれど、ここで逆らうのは危ないに違いない。
仕方なく頷いた。
「わかりました・・・ただ、お教えください・・・夫が、天誅組という方達の医者が捕まったという知らせなどはございませんか?」
「我ら紀州藩では軍医を捕らえた、討ったという話は聞いておらん。」
「さようでございますか・・・よかった・・・」
ひとまず十郎さんは無事そうだと胸を撫で下ろしたけれど・・・他の皆が、あの子が無事なのか気がかりだった。
お願いだから、無事でいて・・・
陣の奥でも武器を持った男達が取り囲む。寿太郎も怖さに耐えるように着物にしがみついている。
十津川での事を聞かれても、よくわからないうちに軍がやって来て、二日ほどで出て行ったので何もわからない。お産でそれどころでは無かったとしか答えなかった。
「大将の中山公はどんな男だ?」
「さあ・・・女子供は怖くて家に引きこもっていましたから・・・存じません。」
中山様を知らないという事は、隊の皆が無事に幕府軍から逃れているということかもしれない。
男が舌打ちすると、騒がしい声が聞こえてきた。
まさか、誰かが捕まったとでもいうの?
「怪我人って言ってるだろ!通せ!」
目の前の人達とは違う紋をつけた男が、ずかずかと陣にやって来た。
その背には、荒く息をする顔色の悪い男がおぶわれている。
「何だ、彦根の奴が。」
「何だは無いだろう。こいつが怪我して、周りの奴も狼狽えて何も出来ねえようだから、わざわざ連れてきてやったんじゃないか。」
彦根の奴と言われた男は、さも面倒くさそうな様子だった。同じ幕府の軍なのに、藩が違えば水が合わないようで、藩の違いや身分に関係なく仲間だった中山様と隊の皆とは随分違うのだと感じる。
「あの・・・そちらの方、息遣いもおかしいです。言い争っている場合ではないのでは?」
口を挟むべきでは無いとわかっていても、怪我人を放ってはおけない。
恐る恐る申し出た私を、怪我人を背負ったままの男が見下ろした。
「流石は好色な紀州藩だな。こんな所でまで女を囲ってるとは・・・」
「無礼な!この女は天誅組に関わりがあるかもしれぬ、話を聞いていたまでだ!」
「こんな女がか?そんなことより、少しは下の奴に銃の扱いくらい教えたらどうだ?銃を撃った勢いに負けて倒れるだの、慌てた仲間が暴発させるだの・・・身の丈に合わねえ物を持つから、こうなるんだろ!」
二人が言い争っていると、怪我人を心配していたらしい数人が青ざめたまま肩を震わせた。
よく見れば、楠ちゃんくらいの年齢の子で、怪我人というのも若い子だった。
「いいかげんにしなさい!早くその方を寝かせてください、助かるものも助からなくなります!」
思わず大声をあげてしまった私を、紀州藩の男は睨みつけてきたけれど、怪我人を連れてきた男はそっと背中の子を横たわらせた。
「治してやれそうなのか?」
「これでも医者です。あなたはお加減はどう?話は出来る?」
「・・・お医者?俺は・・・死ぬのですか?」
不安そうな顔が見上げてくる。
天子様の御先鋒として義挙した皆を貶めた幕府軍の人間と見ていたはずなのに、死の恐怖に怯えているのは一人の患者でしかない。
「そうならないように治療します。怪我はこの二箇所ですか?」
止血だけはしようとしたのか、腹部と脚がきつく布で締め付けてあった。
「はい・・・脚は弾が抜けてきましたが・・・横っ腹の弾はそのままっす・・・」
傷口を見れば、何とか弾らしきものが少しわかる。これなら、急げば何とか出来るかもしれない。
「すみません、治療の間この子をお願いします。」
「は?」
違う藩でありながら、怪我人を助けた男をとりあえず信じて軍次郎を預ける。
さっきまで険しい表情だったのに、軍次郎に戸惑い顔でそっと首元に気をつけて抱きかかえ、弟を案じる寿太郎に軍次郎が見えるようにかがんでくれまでしたので、少なからず驚いた。
幕府側の人にもいい人はいるのかもしれない。
腹部の弾は幸いにも、臓物にまでおよぶものでは無かった。
脚の方も関節や腱に傷がついた様子もないから、しばらくすれば歩くことも出来そうだと言ってやれば、友達らしき子達が安心したように話しかける。
「よかったなぁ!」
「これで皆で帰れるぞ。」
「よかった・・・俺、お前を死なせちまうとこだった・・・」
「ばぁか・・・俺が抜けてた、だけ、だろ・・・お前に、殺される俺じゃ、無えっての。」
「このまま死ぬかもって言ったのは、お前だろうよぉ。」
「うん、あれだ・・・日頃の、行いがいいんだな。」
まだ起き上がることは出来なくとも、口だけは元気らしい。少し身体を起こさせて痛み止めを飲ませて、そのまま安静にするようにと言うと、口々に頭を下げながらお礼を言われた。
本当なら、幕府軍の怪我の治療なんてするつもりじゃなかった。けれど、いのちを仲間のもの・幕府軍のものなんて考える事は出来なかった。
きっと十郎さんでも、救えるいのちなら誰であっても救ったはず・・・志に真っ直ぐなくせに、人のいい優しい夫につりあう妻でありたいという気持ちでもあったけれど、やっぱり助けて良かったと思う。
「おい、あんた!そっちが終わったなら、こっちを何とかしてくれ!さっきからぐずって止まらねえ・・・」
呼ばれた方を振り向くと、軍次郎を抱えた男が情けなさそうな表情をしていた。
「母上、いい子いい子しても軍次郎ずっと泣いてる・・・」
精一杯弟をあやしていたらしい寿太郎も不安げな顔になる。
「軍次郎、母上がお側を離れてごめんね、どうしたの?」
男の腕から軍次郎を抱き上げても、まだぐずっていた。
この様子だと、寿太郎の時はお乳だったはず。
「軍次郎、おなかすいたのかなー?」
着物をくつろげ、軍次郎を抱きなおすと、やっぱりお乳だったのか小さな口で胸に吸い付いてくる。
「やっぱりおなかすいてたねぇ、ゆっくりのみなさい。」
「お、おい!こんな所で何してんだ!?」
男はぐるりと私から顔を逸らす。そこそこの色男そうなのに、恥じらうような素振りが意外に感じた。
「赤ん坊がお乳を欲しがるのは、当たり前でしょう?」
「そりゃあそうだが・・・こんな野郎ばっかの所でだなぁ・・・一応俺が見張っておくが・・・」
男はこちらを見ないまま、傍らの銃を抱える。
水郡さんのお家で調達したという、皆が持っていたゲーベル銃というものより細身のそれは、随分と使い込まれているのか、よく男の手に馴染んでいるように見えた。
「ねえねえ軍次郎、おいしい?」
むぐむぐと胸を吸っている軍次郎を、寿太郎が覗き込む。
何となく羨ましそうな顔つきだったので釘をさしておく。
「赤ちゃんにはおいしいかな。寿太郎も赤ちゃんの時おいしそうにしてたものね。」
「寿太郎も?」
「そうよ。寿太郎はいっぱいお乳をのむ赤ちゃんだったから、母上お胸なくなっちゃうと思ったもの。」
そういえば寿太郎の時を思えば、軍次郎は一回一回のお乳ののみ具合が少ない気がする・・・こんな慌ただしい中だから仕方ないと言えばそれまでだけど、心配だ。
「そっかぁ・・・母上、おむねなくなっちゃわなくてよかったね、だっこのときやわらかいほうがいいもんね。」
この子はまた・・・何てことを言うんだろう。
「もう、父上みたいなこと言わないの!」
空いていた手で頬を引っ張る。
「いひゃいよ、母上・・・父上もいったならいいでひょ?」
「よくないの!」
「父上とおそろい、だめ?」
お揃いなんて可愛いものじゃないなんて、わかるはずないか・・・息子に呆れればいいのか、今どこを進んでいるかもわからない夫に怒ればいいのかと考えていると、銃を手にしたままの背中が揺れ、吹き出すような笑い声が聞こえた。
ああ・・・会って間もない人に、それも幕府軍の人に、わが家の恥を知られた気がする。
「おい坊主、お母上を困らせてやるな・・・弟のメシがうまそうに見えるくらい腹がすいてるなら、俺が紀州の奴から貰ってきてやる。」
私が着物を直すのをちらりと見て、男は何かしら紀州藩の人達に話しに行った。
紀州藩の男にはずっと怯えていた寿太郎だけど、あの彦根藩だという男にも最初こそ怯えていたものの、一緒に軍次郎を見ているうちに気心がしれたのか、寿太郎の様子も落ち着いたようで少し安心する。
このまま上手く紀州藩の陣を離れて、皆に会えればよいのだけれど・・・
③へ続く