少女は山の中を駆けていく。

今日まで、数々の別れを繰り返してきた。別れの度に、仕方ないとか諦めるしかないとか言い訳をして、自分を誤魔化していた・・・けれど、もう諦めない、誤魔化さない。

その背中を追うために、剣の腕を磨き続けてばかりだったけれど、たくさんの人が心を強くすることを教えてくれた。

剣も心も、一番強くなれた今・・・一番にその姿を見せてやりたい相手を心に思う。

その目が見えなくなる前に、伝えなきゃならない話だって山ほどある。


幕府軍に見つからぬように茂みを抜けていくと、聞きなれた声がした。

「本当にこんなんで効くのかよ・・・?」

「無いよりはましじゃないか・・・一応うちの看板に出してる薬だよ?」

「ったってなぁ・・・」

「松本!乾さん!」

茂みがガサリとなると同時にした声に、奎堂は信じられないものを見たように口を開けていた。

「なんで、お前がここに来てんだ!」

はっとなって怒鳴った奎堂の声にぞろぞろと隊士達がやってきた。

どうやら、こっそり十郎から薬を受け取っていたらしい。この期に及んでどこまでも人に弱みを見せたがらない男のようだ。

「乾さん、赤ん坊は無事に産まれました。かわいい男の子で、亥生さんも疲れてはいたみたいですが元気です。」

「そっか・・・面倒見てくれてありがとう。」

穏やかに笑う十郎が雁音をねぎらうと、奎堂が苛ついた様子で二人の間に割って入る。

「おい、俺を無視しとんだねえわ。何で来たっつってんだろ。」

「ばーか、母上は頭のいい方だ。お前の馬鹿げた頼みを聞くわけないだろうが。」

「馬鹿ってなんだ!つか、母上?何言っとんだお前?」

苛々とした表情のまま、奎堂は雁音を見下ろした。

「乾さん・・・勝手にすみません。お子を取り上げるのを不安がっていた私に、亥生さんが二人の子になればいいと言ってくれました・・・」

「成程ね。おおかた、家族ならお産も手伝えるからとか、この戦のあとで、君が普通に暮らせるようにとか・・・そんな所で言ったんだろうなぁ・・・」

「流石、よくお分かりで。」

「だって亥生の言いそうなことだからね、けど予想が当たったな。」

「予想?」

「僕は二人目は娘だって思ったからね、亥生はお腹の子は男の子だと思うって言ってたけど・・・二人それぞれ当たるなんてびっくりだ。」

父親の顔で雁音を十郎が撫でてやると、雁音がふわりと微笑った。

「おいおい・・・何こんな時にままごとしとんだよ、お前らは。」

奎堂が怒鳴るだけ体力の無駄と感じたのか、呆れたような目で十郎と雁音を見遣った。

「失礼だな。ままごとなんかじゃないぞ!亥生さんが母上、乾さんが父上、寿太郎が兄上でな、私が取り上げてやった弟は私が名付けさせて貰って、軍次郎というんだ。お前はうた殿を置いて来たから、帰るにばつが悪いだろうが、私は大義を成して大手を振って帰れるんだ。羨ましいだろう?」

ふふんと雁音が胸を張って奎堂を真っ直ぐ見上げた。

「・・・羨ましくねえわ・・・十郎と亥生さんが親だでな、しつけが厳しいって泣きごと言って俺んとこに来るわお前。」

「なんだ、自惚れか。」

「自惚れとらんわ!」

「かわいい一人娘が男の所に行くのを、父親が許すわけないじゃないか・・・むしろ亥生が許さないだろうね。」

十郎が乾いた笑いを浮かべて奎堂の肩を叩くと、集まっていた古参の隊士達が苦虫を噛み潰したような表情の奎堂を笑った。

「ったく・・・十郎よぉ、お前んとこの嫁には参ったわ。こいつが助かるようにっておいてったのを知っとるくせに、ここに寄こすなんてよ・・・」

「よく言うよ。この子を十津川に置いていって一番後悔していたくせに。」

「してねえよ!」

「えー三歩歩くごとに振り返ってだろ?」

「ばっかじゃねえの?そんなに振り返っとらんわ。」

「ふーん・・・振り返ってたことは認めるんだな。」

雁音がにやりと笑うと、悔しそうに奎堂が目を逸らした。

「そうだよ。振り返ってるのがみんなに見られないように、総裁なのに一番後ろ歩いててさ・・・」

「わー女々しい。」

十郎が掌で隠しながらも、全員に聞こえる声で雁音に教えてやると、茶化したように雁音が言ってのけた。

「お前らなぁ・・・ここまで来ちまったら、仕方ねえ。こっからの話をするところだで、お前も来い。」

こめかみをヒクつかせ、舌打ちを一つつける悪態を忘れずに、奎堂は雁音の腕を掴んで陣の奥にずんずんと歩いていった。




隊士達もほっとしたように二人の後をついて行った。

「十郎殿、ありがとうございまする。」

一人その場に足を止めた弥四郎が、十郎に笑いかけた。

「お礼を言われるようなことはしてないんだけどねぇ・・・亥生にはびっくりだよ。いきなり年頃の娘を持つ父親になるとは思わなかったな。」

「これで・・・失った全てをもう一度手に入れて、弟君まで出来て・・・雁音殿は、幸せにござろうな。」

「まだだよ。ここから、ちゃんと全部を終わらせて・・・それから、あの子を幸せにしてあげなきゃならないだろう?恋敵は多そうだから、頑張ってね弥四郎君。」

弥四郎の想いを汲んで微笑む十郎に、弥四郎が頭を掻いた。

「これは・・・拙者はお義父上の力添えを頂けるということにござるか?」

「まだどの男にも義父上と呼ばれる気はないんだけど?」

言葉とはうらはらに、十郎は笑っていた。

「行こうか・・・奎堂君のあの苛立ちようだ・・・軍議に居ないと、あれこれうるさいよ。」

「まことでござるな・・・」





隊は、それぞれの兵力ごとに分かれ、ここから進む事になる。

十郎は軍医として、隊の最も後ろを行くため、忠光公や三総裁とは別行動を取らなければならない。

「皆さんお気を付けて・・・奎堂君は、くれぐれもうちの子を頼んだよ。」

「父上、それを言うなら「頼りない総裁殿を任せたぞ。」ですよ?」

「てめえ・・・」

すっかり父娘の体の二人に、奎堂が青筋を立てた。

「ははっ、気の強さは亥生似だなぁ・・・母上が心配するから、あんまり寄り道せず、いっておいで。」

「はい・・・父上、一つ聞いていいですか?」

「なんだい?」

「私は・・・こいつや、皆と一緒にいられるくらい・・・心を強くできたでしょうか・・・?」

遠い日の面影を残して、雁音は十郎を見上げた。


ゆっくりと十郎は頷く。

「ああ。これまでも、これからも、君は清く正しく優しい子だ。何せ、昔っから、亥生とそっくりなんだから。」

「よかった・・・なら、行きますね・・・」



少女は山の中を進む。

一人で駆けていかずに、しっかりと歩みながら・・・もうかすかな光しか見えない男の道を照らすように、ほんの半歩前を進んでいく。

もう先に行く背中を追いかけない。

己の背を頼りにしながら、共に先へ進んでもらいたい・・・そんなことを願いながら・・・





幕間小話へ続く