隊の重大な今後が決められている頃、十郎と亥生は五條から容態の良くない隊士の看護にあたっていた。

そこに忠光公が顔を出し、隊士の容態を訊ねた。

「どないや?様子は?」

「な、中、山様・・・こげん格好で申し訳ありません・・・」

無理に起き上がろうとする隊士を亥生が支えてやろうとすると、忠光公は手を出して首を振り、そのままでと示す。

「良いのや・・・それに、謝らないかんのは私や。そない辛い身体を引きずってまで、共に来てくれよったお主のような者がおるのに・・・逃げの道しか選べなんだ・・・」

忠光公の言葉に思わず十郎達も目を見張る。

「乾もすまぬな・・・お主のふるさとをあないにしてまで、攘夷と倒幕を計ったというのに・・・十津川の民にこれ以上迷惑をかけるわけにもゆかず、明日には十津川を発つことになったんや。」

すまなそうに、顔をしかめる忠光公を十郎達は責めることはしなかったが、隊士の青年は横たわったまま涙を流した。

「ああ・・・おいは、何のお役にも立たれんまま・・・負け申したんですかい・・・いっそ、いっそ中山様の手で終わらせてくださりませんか。」

「何を言うておる!お主は、ようやってくれた!国のためにと一心に願って、ここまで来てくれた者を誰が役に立たぬなど言うものか!これは私の命ぞ、決して死を願うでない!」

顔を真っ赤にして、忠光公は自身より二つばかり年上の隊士に掴みかからんばかりの剣幕で怒鳴る。

その言葉が青年隊士の胸に響くも、答えようとした口からは血の混じった吐瀉物があふれた。

「なか、やまさま・・・病がうつります・・・寿太郎も・・・あっち、いっときゃ・・・」

口元を汚しながら、苦しそうに咳き込む隊士は背中をさする小さな手を振り返る。もう自分が駄目だと感じ、尊き大将はもちろん小さな子供に死に際を見せるものでは無いと思ってのことだった。

「だいじょうぶだよ。お兄ちゃんの病気は、おえってしたのをさわったりしなきゃ、うつらないんだって。きもちわるいときね、おせなかなでると、へいきになるよ。」

「だそうや。小さなお医者がこう言っているのやから、私はここにおるぞ。」

忠光公は十郎の隣に腰を下ろすと、着物や手が汚れるのも厭わずに介抱を手伝った。


大将自らの介抱が効いたのか、少し容態がおさまった。

「良かったですね。中山様に看病していただいたなんて、すごいことですよ。」

それでも峠を越えたとは言えない病状に、亥生が容態を確認しながら声をかけた。

「ああ・・・国に帰ったら、一生自慢でき、ますね・・・」

「出はどこだったっけ?」

十郎も意識が保てるように、会話をし続ける。

「肥後にござります。」

「あら、じゃあ帰るとき遠くて大変ね。」

「いんや、良い知らせを、持って帰るんなら、なんてこっつお・・・ない。」

何とか言葉は発しているが、途切れ途切れになっている。

「お兄ちゃん、いっぱいおえってしたら、おなかすいてない?なにかほしい?」

「なにか・・・?」

具合の悪い身体が良くなれば、好きなものを食べさせてもらうという、寿太郎が自分にとっては当たり前に思うことを聞いてみれば考えるように視線が上を仰いだ。

「寿太郎はね、元気になったらいっつも柿たべるよ。おいしくないお薬ばっかだったあとにたべると、いつもよりおいしいんだよ。あとはおかゆ!」

「そうだな・・・おいは柿より蜜柑のが好いと・・・」

「おみかん?どこかにあるかな母上?」

蜜柑を食べさせたいと思ったのか、寿太郎が亥生を見上げた。

「・・・おみかんが成るには、まだ早いんじゃないかしら。」

「そっかぁ・・・ほかは?」

「ほか・・・ああ・・・だごの目一杯入った汁・・・」

「だご?」

「おいの国で団子・・・それが肉や野菜といっしょに、味噌汁みたいにしたもんだ。」

「おいしいの・・・?おだんごはおだんごのままのがいいよ?」

きょとんと聞き返す寿太郎に、隊士は青い顔で笑い返す。

「甘い団子じゃなくてな、なんというのか・・・うどんみたいな味の団子でな、米が無いときは・・・それで腹をふくらませたりもしたもんだ・・・金が無いと、野菜の切れっ端や、根っこ、本当に小さいだごを一つ二つしか入れられんくて・・・なんで、こんなみすぼらしいもんすすっとらないかんのだと・・・嫌にもなった。」

故郷を思い出すようにそっと目が閉じられた。

首筋と手首でそれぞれ確かめていた十郎と亥生の指先に伝わる脈が、ゆっくりと間をあけ弱くなり始める。

「けど・・・中山様、乾先生・・・なんで、こげん時に・・・あの痩せっぽっちの、子どものおいが食べた・・・あのみすぼらしい、だご汁が食いたいんでしょう・・・母ちゃんが、何とか掘り起こした野菜の根っこに、樽からこそぐようにした味噌でつくった、うまくも、なんともないものなのに・・・母ちゃんの、あのだご汁を・・・腹いっぱい食って・・・逝きたかった・・・」

「お気をしっかり!お母上は、貴方のお帰りをきっと待ってらっしゃいます・・・元気になって鍋ひとつたいらげるぐらいしませんと。」

「姐さん・・・せっかく、長いこと、診てもらったのにすんません・・・鍋ひとつ食らうどころか、もう箸すら持てんのです。」

「私の命をさっきの今で忘れたとは言わせぬぞ!こんな所で死んではならぬ!」

亥生や忠光公の言葉も遂にはむなしく、若い隊士は故郷の肥後と母を思いながら息を引き取った。



 十郎は他の仲間を呼び、月明かりの中で亡骸を葬る穴を掘った。

故郷の母のもとに返してやりたかったが、幕府の手を逃れながらではとても出来ない。

記録方の伴林光平が僧であったので、忠光公が経をあげてやってくれと頼み、静かな読経が十津川の夜の風にのっていった。



 救えたかもしれない命を救えなかった十郎と亥生は、気持ちの疲労が大きかった。

寿太郎も目の前で息絶えた隊士に様々な想いを重ねてしまったらしく、ぐすぐすと泣いていた。

「軍医なんて役をもらっておいて・・・これか・・・」

「もっと早く・・・私が、五條にいる時に感染症と分かっていれば・・・」

「亥生のせいじゃない。亥生は自分の身体も大変なのに、本当に献身的によくやっていたよ。」

「でも、思ってしまうんです・・・彼のお母様に申し訳ないって・・・あんなに最期にお母様のことを思っていたのに・・・母親にとって子の死ほど辛いことなどないですもの。」

亥生が目に涙を溜め、右手で寿太郎の頭を、左手で腹を撫でた。

気持ちが落ち込んでいるせいか、きりきりと腹には痛みを感じていたので、それを鎮めるように何度もさする。

「ああ。けれど・・・中山様にも看取って頂いて・・・苦しむばかりでなく、母親を思いながら逝けたのは・・・まだ彼は幸せだったかもしれない。戦の中で訳も分からないうちに、命を奪われることを思えば・・・穏やかな最期だった・・・」

「・・・そう思わなければ・・・やりきれませんね・・・」

暗くなる十郎達夫婦に反して、月は依然と明るいまま、大きくまるく、あたりを照らしていた。



②へ続く