天辻へ向かう忠光公らの本隊には十郎が同行し、傷の回復に時間を要する隊士たちの看病のために、亥生が五條に残った。
容態の良くなった者から本隊を追うか、善之祐ら河内勢の応援に行くかなどで五條を出た。
しかしそれも数日のうちで、追討軍がいよいよ五條に迫ってくるとの知らせがもたらされる。
五條に残る隊士は少なく、このまま幕府の追っ手に入り込まれては、十郎もその仲間も帰ってくることは出来ないだろうと、亥生は一か八かで家を捨てることを決めた。
ありったけの薬と医療具を取りまとめると、家の金を持って義姉を訪ねた。
「お義姉様、何かと夫婦共々にご迷惑をかけました・・・これを、この先もしもの時に用立ててください。」
「亥生さん、十郎さんがどこにいるかわかってるのでしょう!?戦場なのよ、身重の女が何かできる場所じゃないんですよ!?」
「あの人はここへ戻るつもりで、これだけの道具と薬を置きっぱなしなんです・・・きっと今頃薬も足りなくて困ってるでしょうから。」
「そんなの、他の男手が行けばいいじゃないの!」
「私も、今回の義挙に加担した逆賊です・・・私がいることでお義姉様たちの身も危うくなるかもしれません。だから、行きます・・・」
義姉が止めても、亥生の気持ちは変わらなかった。
「・・・寿太郎ちゃんはどうするの?」
十郎のために何かしてやりたいと思っても、やはり母親として息子をまもるためには戦場など行くものではない事が、亥生とてわからないわけではない。
「わかってるんでしょ・・・こんなことに女子供を巻き込むものじゃないって。」
「それでも、私はあの人と共にありたいんです・・・」
「・・・何を言っても無駄なのね。いいわ、好きになさい・・・ただ寿太郎ちゃんはうちの家系の男子なのだから、私が預かります。」
義姉の言葉は家を守る女として当然のことであり、亥生はわずかに逡巡するも頷いた。
特に容態の回復していない隊士を乗せるための駕籠の仕度も出来ている所に、亥生は義姉を連れてきた。
「姐さん、もういつでも出れますよ!」
「ご子息は俺が抱えていきますが、姐さんも駕籠を使ったほうがいいんじゃないですか?」
数人の隊士に言われ、亥生は抱き上げられている寿太郎に腕を伸ばした。
「・・・寿太郎、伯母さまの所でいい子に待っていてくれる?」
「おば上のおうちで?」
「そう・・・」
「なんで?」
「寿太郎ちゃん、お父上達の行くところは危ないから、おばちゃんたちと待ってましょうね。」
なだめるように母と伯母に言われ、戸惑い顔の寿太郎はゆるゆると首を振った。
「やだよ・・・万吉のお兄ちゃんみたいに、寿太郎がしらないとこで父上と母上がいなくなっちゃうもん!ぜったいやだ!」
「父上も母上もいなくならないから・・・」
「やだ!まえ、弥四郎のおにいちゃんちで母上いった!みんないっしょにいるっていった!なのに、寿太郎をおいてっちゃうの?母上のうそつき!」
「寿太郎・・・」
「父上も母上もいなきゃやだよ・・・寿太郎は万吉のお兄ちゃんみたいな強いおとこだから、いっしょにいけるんだよ!もう赤ちゃんじゃないよ、兄上なんだもん!こころざしだもん!」
志の使い方さえおかしい言葉であったが、しっかり父の想いや兄のように慕っていた剣士の想いを継いでいるらしい我が子を亥生は抱きしめた。
「お義姉様、すみません・・・この子を置いていけません・・・家を大切に出来ない義弟夫婦で申し訳ありません。」
「・・・そのようね・・・うちの人が生前言ってたわ。弟はいつか国のためにでかい事を成すだろうって・・・あなたがお嫁にきたのも、寿太郎ちゃんがこうした子に育ったのも天命なのかもしれないわね。」
「お義姉様・・・」
「お行きなさい。この家は私がちゃんと守るから。」
義姉以外の五條の顔なじみには何の別れの言葉も告げずに、亥生は妻の務めとして家を守りながら待つことよりも、どんな場所だとしても夫と子とあることを選んだ。
女にとって、それは辛く厳しい道であると承知しながらも後悔など一切せずに住み慣れた町を出て行った。
亥生達が天辻へ向かう道中に、方々に攻め入って疲弊していた善之祐ら河内の面々と遭遇したため、五條を離れざるを得なくなった旨を伝えると、揃って気色ばんだ顔をした。
どうやら、あちこち制圧に出ている最中に本陣が遷されたことの伝令すら届いていなかったらしく、自分たちがただ使われるだけの扱いに思え、憤りを感じていたという。
最年少の英太郎までもがあちこちに傷を負い、河内勢の不満は随分と溜まっていた。
「なあ、おじさん。こりゃやっぱ考えんとアカンって。」
「いや、もう少し様子を見てやなぁ・・・」
「善之祐さん、もう少しもう少して・・・これ以上は他の奴らだって嫌や思いますよ?」
「わかっとる・・・」
「わかっとんなら、決めたってや!中山様らに義理やらあるんは、俺かて皆かて、わかっとる!でも、先に義理を欠いたんはあちらさんやんか!」
不満を善之祐に申し立てられない者達の想いを楠之助が必死に代弁する。
「・・・せやな。ただ、けじめはつけんとあかん。ひとまず天辻に向かうんや。」
けじめをつけるという不穏な言葉が亥生はもちろん気になった。
「善之祐さん・・・隊を離れてしまうおつもりですか?」
「・・・俺らには、俺らにできることがあると思うだけや。それにやっぱり人と人のことやからな、一筋縄ではいかんことがあんねん。」
「お気持ちはわかりますが・・・」
「センセ、この前言うたやろ?頭で決めたんと心で決めたんは違うて・・・心で決めたんやったら他の奴がどうこう言えんて。」
「・・・言った。」
「ほなら、何も言わんたって欲しいねん・・・センセに悲しまれたりしたら、俺ら裏切りもんみたいに思えて辛いやろうから。」
楠之助が普段の明るい雰囲気のかけらもなく苦笑するので、亥生も言わんとした想いを飲み込んだ。
「わかった・・・」
天辻に着き、駕籠に乗せていた隊士の容態を診るに十郎が呼ばれた。
亥生より少し若いその隊士は、タチの悪い感染病を患っていた事が回復しない要因だった。
施せる限りの処置はすることが出来たが、容態が良くなるかは当人の生命力次第であり、若い力にかけるしかなかった。
処置の際に血や吐瀉物で汚れた物を、川の水で洗いに行く十郎に亥生と寿太郎がついて行く。
「足元が危ないから、二人とも気をつけろよ。」
「・・・十郎さん、ごめんなさい。もう、五條に帰る場所はありません。」
「そうか・・・遅かれ早かれ、そうなるとは思ってたよ。」
「せめて、寿太郎はお義姉様が見てくださると仰ったのだけど・・・どうしても、手放せなくて・・・ここまで来てしまいました。」
「・・・勝手だな。」
手ぬぐいを絞って十郎が呟いた。
「・・・ごめんなさい。」
「父上、母上をおこっちゃだめ!寿太郎がおば上にやだってわがままいったの・・・ごめんなさい。」
亥生の暗い表情で、寿太郎もおろおろと十郎の背中にすがりついた。
「母上にも寿太郎にも怒ってないよ。ここに来るのに、もう会えない覚悟をしたくせに・・・安心できる家を捨ててまで来てくれた事を喜んでいる父上が勝手だと思っただけだよ。」
十郎は振り向いて、寿太郎を抱きかかえて微笑った。
「母として生きていけって願いを言えても、やっぱり最期まで側にいて欲しがっていたってことだな・・・」
「私も・・・十郎さんと子ども達の側しか家と思えなかった。このままここに居ます・・・いいですか?」
「ああ。」
「寿太郎も、寿太郎も!いいよね、父上?」
「ああ・・・しばらく山の中がみんなのおうちだから、色々大変だからな?」
「寿太郎がんばるよ、兄上のこころざしなんだもん!」
小さな志士の志に十郎と亥生は笑みを浮かべ、その手を繋いで陣に戻った。
③へ続く