桜井寺から十郎の家はすぐの所にある。家に戻ってから寿太郎を布団に寝かせようとすると愚図るように首をふった。

「ねるのやだ・・・」

「どうして?お寺で眠たいお顔してたでしょ?」

「みんながやだよ、いたいよってなって、おうちぼーってなるのこわいもん・・・」

それは昨日の襲撃と焼き討ちの光景・・・小さな寿太郎にとっては遠巻きに見てしまったそれは恐怖でしかないのだろう。十郎と亥生は顔を見合わせる。

「大丈夫よ・・・父上や他のみんなが絶対そんなことさせないから・・・大丈夫。」

亥生の二度目の大丈夫は自分たちにも言い聞かせるものだった。

「ねちゃったら、みんなと、あえなくなっちゃう・・・もん、だから、ねな、い・・・もん・・・」

無理矢理に起きていようとしても、そこは五歳の幼子、寝かされて母に胸をとんとんとたたかれていれば目は閉じていった。


「やっぱり万吉君のことが堪えてるんだろうな・・・」

少し苦しそうな寝顔を見ながら、十郎が消え入りそうな声で呟いた。

「そうですね・・・万吉君も志半ばで無念でしょうに・・・あの子も、奎堂さん達も・・・これ以上・・・誰にも何もなければいいんですが・・・」

「ああ。あんなことは、昨日っきりだ。」

「後悔・・・してますか?」

どこか遠い眼差しの十郎の拳に亥生が掌を重ねると、しばらく黙り込んでから十郎は頷いた。

「鈴木様ならおわかりいただけると思っていた・・・あんな、命を奪って火を放つなんて、考えてもいなかったんだ。」

「さっき奎堂さんも仰ってました・・・奪うばかりだと・・・あの子も、よほど代官所の中で大変なことがあったのか浮かない様子で傷ついていたみたいです。」

「こんな事、誰だって望んじゃいなかった・・・自分達の道理を通すに、別の人達を殺していいわけない・・・僕が五條の人間じゃなければ、昨日のことは無かったかもしれないのに・・・」

「・・・私達は・・・大勢の方の命と、その方々のお身内の暮らしを奪いました・・・でも、代官様達は代官様達の大義や志を持って戦われたはず・・・その大義や志は火をつけたって奪えるものじゃありません。」

鈴木が勤皇の大義もわかりながら忠光公に代官所を渡さないと決めたのは、幕府が怖いだの、自分の立場がどうだのとは言わなかった。

幕府より与えられし土地と領民の生きる場所をまもる事こそが、鈴木の代官としての志だった。

力でねじ伏せたのではない、互の志が違えていたことが悲劇につながったのだ。けれどもそれは、勝ち残れた者の言い訳にすぎない。

「そんなのは綺麗事だ。」

「ええ。だから、この罪を一生背負ってちゃんと国を正していかなきゃいけません・・・ここで迷って進めないなら、私達は代官様達のお命をいたずらに奪っただけになってしまいます。迷わず、揺らがず、十郎さんと皆さんの志を信じてください。」


亥生の言葉が胸を打つものの、土地の人間としての悩みの種が十郎にはもう一つあった。

「それは・・・わかっているつもりだ。けど、辛くないか?昨日から何かと謂れのない陰口をされているんだろう?」

代官所に兵をけしかけたのは乾十郎だと数人が言い出し、また人手を募る触れ書の字から十郎が黒幕ではないかと、小さな町に噂は尾ひれがついてあっという間に広まった。

代官所の物を皆殺しにし、焼き討つ極悪人の身内などと亥生達が囁かれるのが十郎には耐え難かった。

そうしたことも考えて、一度は別れを決めたのだ。

「何のことです?」

暗い表情の十郎を一蹴するように、亥生がけろりと聞き返した。

「何のって・・・」

「優しさが過ぎるのも考えものですねぇ・・・ご近所や町で何を言われようが、私は私なの。「乾さんとこの奥さん」で「寿太郎君のおっ母さん」っていう本当に本当の事実だけでいいの・・・そりゃあ戦なんか縁なく暮らしてきた人達にしてみれば、今の私は得体の知れない女でしょうけどね。」

「亥生はそんな風に思われていい人間じゃないだろ!」

「大声出しちゃ寿太郎が起きますよ。事を成せばちゃんと身を結ぶのですから、何を気にするなどありません。もうこの話はそれでおしまい。」

ぱんぱんと手を鳴らして、自分達の布団を出すに立ち上がった。


「どうしたらそうも肝が座ってるんだろうな、うちの嫁さんは。」

「十郎さんの決めた道だからに決まってるでしょ?」

さも当然と言いたげに返しつつ、布団が重いから手伝いが欲しいと表情がうったえていたので、十郎は亥生の引っ張り出そうとしていた布団を持ち上げてやる。

「僕の決めた道・・・」

「いつだって、何があってもしっかり自分の力で何とかして来た十郎さんの道だから、私は迷わず側に居られるの。」

「そっか・・・」

寿太郎の横に布団を敷きながら十郎が言うと、亥生がその背に寄り添った。

「だから、十郎さんがその歩みを止めてしまうほどに迷うなら、私は杖にだって荷車にだってなりますから・・・何があっても違う道は選ばない。」

背中に感じる温かい鼓動は二つ。亥生自身のものと、まだこの腕にすら抱いていない子のもの。手を伸ばせば寿太郎の鼓動もある・・・その全ての鼓動が十郎を導き、生かしている。

「それが、生涯あなたと添うと決めた私の志だもの。」

十郎が振り向けば、暖かな微笑みがある。その微笑みの前では、悩みなどどこかへ消えてしまうようだった。


「全く・・・亥生は男の僕らよりよっぽど志士らしいな・・・昔言ってくれたみたいに、もう少しすれば今夜の悩みさえ笑い話に出来るかもしれないな。」

「ええ・・・この子にも聞かせましょう。お腹にいる頃に、国を導く大一番があったって・・・それも父上が武功をあげたのよってね。」

「随分と大袈裟な話にするんだな。女の子だったら興味ないかもしれないだろ?」

「そうですね・・・でも男の子の気がするんですよ。」

「うーん、二人目は娘って思ったんだけどなぁ。」

いつもの調子の会話に、二人共ようやく気が落ち着いた。

「ま、産まれるまでわかりませんもんね。女の子でも私に似るとそうした話が気に入りそうですし。」

「ああ。この子や寿太郎が育つ世と国のため・・・まだしばらく危なっかしい事が続くが、連いてきてくれるか?」

「ええ、もちろん。何を今更言ってるんです?」


夜風で流された雲が月の柔らかな明かりを覆い、各々静かな夜の中で様々な想いを抱きながら眠りについた。



13章へ続く