十津川村の者は幕府に与えられたというわけでなく「十津川郷士」と称されている。
遠く神武天皇の御代より日の本の歴史において、時の権力者と天皇家の諍いの度に十津川郷士の名が聞かれていた。
そんな十津川郷士の中心人物である野崎主計(かずえ)のもとを十郎ら三人は訪れた。
野崎主計は幼き頃には身体が弱く十三歳まで立つ事もままらない事もあったが、それを差し引いても余りあるほどの学の持ち主、秀才であった。
見目は穏やかな優男だが、その心の内はしっかり勤皇の地・十津川に生まれ育った十津川郷士の心であり、村では何かと頼りにされている人物でもある。
十郎は師について医術を学んでいた折に、見習い医師と患者という立場で主計と出会った縁がある。
十郎も主計と同じく、幼少より学に秀で詩歌にも優れていたことや、代官所に仕えていた頃の辛い経験からくる反幕思想を持っていたことなどから打ち解けるのは早く、往診以外での交流が続いていた。
「ごめんください、五條の乾と申します。主計さんはおみえですか?」
主計の家の前にある人影に十郎が声をかけた。
「おお!十郎殿!久しいなぁ・・・」
「繁理さん!ちょうどいい、繁理さんにも会いに行くつもりだったんですよ。」
十郎の声に振り向いたのは深瀬繁理、主計の友で十津川郷きっての剣の腕を誇る人物である。
「主計と俺に用ということは・・・何かあったのか?」
「いやいや、そんな深刻な話じゃあないよ。こちらの二人が十津川へ遊説にというので案内人をしたまでさ。」
「そうか、こんな辺鄙な村までよくおいでくださいました。すぐに主計を呼びましょう。おい郷伍、主計を呼んで来てくれるか?」
繁理がそう背中側に声をかけた時に大柄な背にすっぽり隠れていた少年に十郎は気づく。
「はい、繁理兄様。」
家の中にかけていく後ろ姿を見て十郎は問う。
「あの子は・・・?」
「ああ、森の中で迷い子になっていてな、まだ小さい頃で自分の村もわからないようだったから見つけた主計が引き取って世話をしているんだ。子供ながらに剣の腕はなかなかだぜ。」
「君が剣の師匠?」
「ああ。」
「そりゃ良すぎる師匠についていれば腕も立つだろうさ。」
「そうかぁ?だったらいいなぁ。」
十郎との会話に繁理は顔を崩して笑う。その様は息子の自慢話を延々とする水郡善之祐を十郎に思い出させた。
郷伍と呼ばれた少年に手を引かれ野崎主計が玄関先へ出てきた。
「十郎殿!お久しぶりです、お元気ですか?」
「ええ、主計さんこそ身体の調子はどうです?」
「おかげ様で息災ですよ。我々に御用との事、いかがなさいました?」
「こちらの二人に十津川の案内と主計さん達をご紹介しようと参りました。」
「どうも・・・」
「突然お訪ねして申し訳ありません。」
十郎の後ろで奎堂と三弥が頭を下げる。
「そうですか。どうぞあがってください。郷伍、お茶を頼めるかい?」
「はい、主計兄様。」
主計の家にあげられ、ひと通りお互いの紹介と奎堂と三弥が十津川に来ることになったいきさつなどを話し終えた。
「しかし・・・幕府に縁ある土地の奎堂殿や三弥殿にまで見限られてしまうとは・・・いよいよ幕府も危ないのかもな。」
頭をがしがしと掻きながら繁理がぽつりと言う。
「そうかもしれないな・・・このままではそう遠くないうちに俺たち十津川郷士がお天子様のために剣を取らねばならないだろうね・・・」
主計も続けて言うと、隣に座っている少年、三栗郷伍の肩が震えた。
「怖いかい?郷伍。」
主計は優しい顔をして聞く。
「いえ、僕だって十津川の子です!いざという時は繁理兄様と一緒に戦って主計兄様やみんなを護ります!」
きっと引き締めて言ったその顔を繁理はむにむにと撫でまわしながら豪快に笑った。
「よく言った郷伍!さすがだなぁ!でも安心しろ、お前が剣を握ることに臆したっていいんだ。俺が絶対に護ってやるからな!」
預かり子でありながらにも、少年郷伍と主計・繁理の結びつきは家族さながらに固いようだった。
「時に剣といえば、奎堂殿は随分立派な刀をお持ちですね?一度お手合せ願えませんか?」
「え・・・?」
繁理に言われ、奎堂は後ろに置いていた刀を見やる。十津川へは遊説に来たのであって刀を振るいに来たわけではない。
「松本殿、付き合ってやってください。今は村で繁理に敵う者はおりませぬ故、退屈しているのですよ。それに俺達としても、今後お仲間として付き合っていくのに貴方達がどれほどの方か知りたいですしね。」
主計に言われ奎堂は成程と思う。つまりは、二人は自分の力量を試したいのだと。それならばと繁理の願いに応じる事にした。
縁側で主計と郷伍、十郎と三弥は二人の手合わせを見物する。
さすがに真剣では危ないからと木刀で奎堂と繁理は打ち合う。相当な剣の腕前の二人の打ち合いに主計も郷伍もすっかり見入っていた。
十郎はほったらかしにされていた湯呑に気づき、盆にまとめてやると勝手知ったる友人の家の台所へ片付けに行くことにした。
すると台所から外へと出る勝手口に小さな影が見え隠れする。
「おや・・・?」
「よし!そこだ、しげり!あぁーかわされた・・・」
小さな影は子供で縁側前でなされている繁理と奎堂の手合わせを覗き見ているようだ。
そっと夢中になっている後ろに十郎は立つ。打ち合いに見入っていて気づかないのか子供は振り向きもしない。
二人の打ち合いはついに決着かという様子で繁理の一撃が振りかぶられた。
「やったあぁ!!」
繁理の応援をしていたらしい子供の左の拳が歓喜のあまり突き上げられる。
それは運悪く十郎のみぞおちに見事なまでに入った。
己の拳に感じた妙な手応えと、背後の声にならない声に子供はやっと不思議そうに十郎に振り返った。
「・・・・だれ?おじちゃん?」
人のみぞおちに一発いれて随分なご挨拶である。
「・・・主計さんの友人で乾十郎です。」
相手は子供だと十郎は痛む箇所をさすりながら答える。
「しげりと試合してる人もそう?」
繁理の一撃を奎堂はすんででかわしていたらしく、まだ打ち合いは続いていた。
「まあ、そんな所かな。」
「ふぅん・・・」
子供に事細かに説明せずともいいだろうと十郎はそう答えておいた。
「ところで、きみも誰だい?お名前は?」
十郎に問われ、子供はハッとした顔をする。
「め、めぐり きょうご・・・」
そう名乗り、視線をそらされる。
それはおかしい。先ほど主計の保護しているという少年も同じく三栗郷伍と名乗っていた。目の前の子供は確かに、主計の隣にいた少年と似ているが身体は小さいうえ、骨格や声音も少年というには違和感しかない。
「十郎殿!」
十郎がいないのを気づいた主計がやって来て十郎を呼んだ。
「主計さん・・・この子はいったい・・・?」
十郎は小さな子供に視線を送ると、子供はぴゃっと主計に走りより腰元に飛びついた。
「かずえ、ごめんなさい!いちか、しげりの試合見てみたくて・・・いい子にしてなくてごめんなさい・・・」
「一華・・・すまない、十郎殿。きちんとお話致しますので、少し待って貰えますか?」
主計は子供の事であろう「一華」という名を呼んで頭をひと撫ですると、ため息をついて十郎に言った。
「何か訳ありなのですね・・・ええ、あとでお話伺います。」
主計は礼を言うとその子供を連れ奥座敷へ向かっていった。
③へ続く