「じゃあ、しばらく留守にするけど頼んだよ。」

「ええ、気をつけて行ってらしてください。」

「亥生もね、戸締りとか気をつけて、薬は仕入れたばかりだから大丈夫だと思うけど・・・もし何か必要になったら買い付けに行ってね。」

「はい。」

「あっ!亥生一人の時にあんまり男の患者をあげないようにね?何かあるといけないから。」

「はい・・・?でも多分いくらなんでも私一人で診察と処置出来ませんから・・・ここを開けるのは一郎君の来ている時だけでいいですか?」

「うん、そうして。あと伝えておくことあるかな・・・」

「もう・・・十郎さん心配しすぎですよ?松本様と伊藤様がお待ちなんですから・・・ちゃーんと留守は守りますので安心してお役目果たして来てください。」


よほど亥生一人を残して出かけるのが気になるのか、なかなか十郎の話が終わらなそうなため、亥生は用意してやった荷を持たせて善之祐と共に待っている奎堂達に視線を送った。


「ああ・・・それじゃ本当に色々気をつけてね。何か土産を買ってくるよ、何がいい?」

「そんな、いいですよ!十郎さんが元気に帰ってきてくれれば何にもいりませんよ。最近はお遍路さん相手にもお役人さんの見る目が厳しい時があるらしいので、本当に十郎さん達こそ気をつけて行って帰ってきてくださいね?」

「ああ、わかった。行ってきます。」

「ええ、行ってらっしゃい。」


歩き出した男達に手を振る亥生に十郎も振り返って手を振った。その様をみて三弥が申し訳なさそうに言った。

「すみません、急な話で出かける事になってしまって・・・奥方にもさぞやご迷惑をおかけしました。」

「奥方・・・?」

三弥の言葉に十郎ははたと首をかしげた。見かねて善之祐が言った。

「亥生さんのことやて。」

「ああ!すみません、亥生はうちで雇ってる女医なので、どうぞお気になさらず・・・」


「「はぁ!?」」


三弥と奎堂の声が重なった。二人の見た乾十郎と亥生の姿はどこからどう見ても夫婦のそれだった。それが雇っているだけとはどういったことなのか・・・善之祐は二人の言わんとすることが手に取るようにわかった。

「まあ・・・話せば長いんやが、亥生さんの世話になってた奉公先の主人が幕吏に捕まった云うんは先刻聞いたやろ?そん時に行くあてなくて行き倒れとった彼女を助けたんが乾君やねん。で、もともと顔見知りやった縁で面倒みたるってなってん。」

「そうなんです。亥生もすごいんですよ、女だろうと国学と医学を学びたいと言いましてね。教える傍ら雇うという形になりまして・・・」

人の良い笑顔で言う十郎に三弥と奎堂はこそこそと話し合った。

「そうは言っても、どう見ても夫婦でしたよね?」

「ああ・・・よくわからん人達だな・・・」

聞こえていた善之祐は苦笑いをした。初対面の彼らにすら夫婦に見えるくらいなら、本当にそうなればいいものを・・・この人の良い友人は普通の幸せを手にするべき人物なのに、もちろんその友人を好いているだろう心根の強い彼女も・・・


「一郎も言っとったが、よう夫婦に見られるんやて?一緒になる気はないんか?」

「亥生とですか?」

「他に誰がおるんやて。」

「・・・そう・・ですね・・・年齢もひとまわり離れてますし・・・それにほら、僕は以前、嫁とうまくいかなかった男ですから・・・きっと結婚は向いてないんですよ。」

打てば響くように物を言う十郎には珍しく、歯切れが悪い返しであった。どうにもそう言い聞かせているように聞こえてならない。

「まぁ・・・そう言うやろうとは思ったが・・・」

「それに、僕みたいな思想を持っていては何時幕府に捕らわれるやもわかりません。宿屋の主人が捕まってあれだけ泣いていた亥生ですから・・・あれの大切な人になってしまえば、もしもの時に残して逝ってしまったら・・・また一人で泣くんじゃないかって心配ですからね・・・」


「それで、今のままでおる言うんか?」

「・・・ええ、亥生は聡明な女性です。いつか自分が本当に大切にするものを見つけるでしょう・・・その時は親心みたいな気持ちで送り出せるようでありたいんです。」


そう苦笑する十郎の言う親心なぞ本心でないと善之祐は感じた。

十郎は己の志を尊ぶ志士だ。志を一に掲げるなら、確かに余分なものを持つ必要はない。

しかし、妻や子をもつ自分は己の志ゆえに危険な目に遭おうと何が何でも生きねばならぬ、帰らねばならぬと思うだろう。

時折、十郎は志のためなら死すら厭わぬ危なっかしさを匂わせる。それを改めさせられるのは亥生しか考えられない。

亥生が十郎に恋心を抱いているのは明らかだが、十郎のほうは恋をする前に、亥生のまるごとを愛してしまったのではなかろうか。

愛するあまり、手に入れてはいけない、いつかは道を分かたねばならない、そんな想いでも芽生えてしまったのかもしれない。

ここまで不器用な想いを持って生きる男だったのか・・・そんな気持ちを覚え善之祐はため息をついた。


「ほーか・・・」







歩く四人にふわりと冷たさを含んだ風が吹いた。


「風が秋めいてきたな。」


奎堂がぽつりと言った。

暑い真夏の頃にはいたる所で見られた甘酒売りや金魚売りも町からすっかり居なくなっていた。

季節は夏から秋へ移ろうとしている。

「そうですね、我々が旅に出た日はまだ暑かったですが・・・こちらは山が多いですし、秋風が吹くのが早いのでしょう。」

「ああ・・・三河はまだ少し暑さが残っとるだらぁな。」

奎堂と三弥は故郷の三河を思い出した。

じりじりと暑い夏の日差しに、時折吹く潮風の匂いを。


「山道を歩くには心地よい日が続きそうですね。十津川は山あいにあるので、着いたら少し冷えるくらいかもしれません。お二人の三河はあたたかい土地でしょう?道中無理はなさらないで下さいね。」

「ああ。」

「医者である乾殿もご一緒なら、もしもの時も心配ないので安心ですよ。」

「おや、責任重大ですね。」

十郎が微笑った。

秋の始まりの風がもう一度吹いた。




第6章へ続く