1985年8月12日


穂高屏風岩右岩壁取りつきから上部


穂高屏風右岩壁 ルンゼ状スラブの一枚

ルンゼ状スラブの上部


このルートは奥谷氏とともに1時間45分で駆け抜けた。すべてフリークライム。
(取付時に上部にPTが居り。遅すぎたので途中外傾テラスからは先に行かせてもらった。上部はかなりもろい。写真にも崩壊跡が見える。)

*上高地7:20~横尾9:00(奥谷氏と合流)9:30~右岩壁取付11.15~(途中かなりの時間待ち)~カモシカ尾根終了点から3ルンゼ下降終了17:00~横尾18:30


私は10代からクライミングにのめりこんだ。
その過程で師匠と呼べる人がいた。(写真右の御方。冬季一ノ倉沢奥壁に向かうとき。左は島田さん<この人も実はすごい>)

西村豊一
(冬季クライミング初刊著者)
強烈な個性でかつ、強烈な行動力。
周囲の人も皆魅かれていたと思う。
昭和40年代、私がまだ中学生になる前から冬季登攀を推し進め、幾度、
山行を共にしただろう。
技術的にも高いレベルだが顕著なのはその精神性にあった。
冬季滝谷を完了し(ほぼ登攀しつくし)冬季3代北壁登攀を推し進めたがアクシデント等で完登いたらずでしたがその行動力たるやすさまじい。
(森田勝さんのグランドジョラス北壁墜死を取り付きで見届けたのはPTメンバー<その方は丹沢では伝説のマシラさん>)
アルパインクライミングをひたすら追い求めたがやがて時代とともに価値観が多様化した。組織としての山岳会衰退とともに冬期登攀者も少なくなった。
アルパインクライミングは突き詰めればヒマラヤの厳冬期未踏壁のソロだろうが
自分には到底及ばなかった。
その後、西村さんはフリークライミングに突き進み(そのころ既に40代)5.13に至る。
良き岳友であり、先輩であり、そして良き師匠だった。同じ時代を共に生き(私は16歳下だが)、とても幸せだった。ありがとうございます。

 

 

池ノ谷中央ルンゼにいった時の写真

 

上写真は中央壁。

下写真は同位置からのドーム陵。

 

今日は一日雨で暇があったので写真整理していたら懐かしいもの出てきた。

池ノ谷中央壁は前年に先輩の田中、長谷パーティによりフリー化された。

あんなとこでかと思いましたが所属山岳会のメンバーは猛者ぞろい。

(同日剣尾根の”門”もフリーで登っている。岩雪の投稿にある記事の前ですね)

 

中央ルンゼもなかなかいいルートですがいったのはこれっきり)

フェイスブックに日記のように書いていますが記録より記憶の私には記録ほぼ書かないのでこれも記憶の断片です。

中央ルンゼも捜索活動の合間みたいな時です。

(これについては後日書くかも)

 

山岳登攀は危険はつきものとはいえ、関係者は悲しくないわけがないのです。

それでも山に行く。そういうものだったなあ。自分もみんなも。

 

若かりし頃、下又白谷菱形岩壁へ行こうとした一枚。

F1下雪渓ズタズタで仕方なく前壁からF1うえに出ようとした。

が、思いのほか手こずり時間切れで敗退した時の一枚です。

前壁もほとんど登られておらず、ざれざれで時々ハーケン打って越えたかな。

F1下は左岸側からいくのが正解のようです。(たぶん)

 

いまや取り付く人などいないと思うなあ。冬季は前壁はミックス壁の対象のようだが

現役ではない今、確かめようもなく、ただただ懐かしい。