こんにちは、果実帽子です。 

 

昔から歴史小説を読むのが好きだったので、中学生のときからNHKの大河ドラマは視てました。

 

今放送しているのが、平安時代の中期を舞台にした「光る君へ」源氏物語の作者とされる紫式部を主人公にした物語でです。

 

以下は、ネタバレになるので、それが嫌な方は、こで閲覧を止めて離れて下さい。

 

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光る君へのドラマで、

長徳4年、安倍晴明が内裏の清涼殿を訪れ一条天皇に新年の挨拶をしました。「新しい春を迎え、帝の御代はその栄えとどまることを知らず、」と占いの結果を述べますが、道長は誠の占いの結果を申せと晴明に迫ります。

 

「凶事が続く」と晴明は白状します。「地震か、疫病か、火事か、日食か、嵐か、はたまた大水か?」道長は動揺しますが、晴明は「それらすべて」と答えます。

 

災害が多い平安京ですが、その中でも長徳4年は厄災に見舞われた年でした。

 

まずは3月に上京に大火事があります。四町が焼亡したと記録されています。

 

夏頃に麻疹(はしか)が流行ります。現代では麻疹は子供の頃に一度かかれば免疫ができますが、当時は初めての流行で免疫を持たない人が多く、大人が麻疹にかかれば重篤なりました。中級貴族の妻女が感染し多く亡くなったそうです。庶民の女性は強かった?ので、亡くなる人は少なかったと書かれています。

 

8月には台風と思われる大風が吹き、朝廷の建物が倒壊する被害に遭いました。

 

9月には大洪水がおきました。賀茂川と高野川の合流地点に一条堤が設けられていましたが、これが決壊しました。洪水は京の市中に流れ込み、市中はまるで近江の海のようだったと言います。まひろの家は流されずにすみましたが、多くの家屋と田畑が流されました。


光る君へのドラマでは一条天皇が中宮定子に夢中になって政治を投げ出し、堤防工事の対応が遅れたことになっていますが、史実は勿論そんなことはありません。

 

平安京は川の氾濫に弱く過去に何度も河川工事を行っていますが、当時の技術では限界がありました。


京都盆地は北東から西南に傾斜しているため、特に右京に水が流れ込みました。度重なる水害は右京を荒廃させ屋敷も作られなくなります。宅地として放棄された後は耕作地と利用され、有名な九条ネギもここで生まれることになります。

 

10月は金環日食が起こり地震が平安京を襲います。まひろの邸宅も被害を受けますが、夫の藤原宣孝が父の為時と違って世渡りが上手く財をためていたので、修繕の費用には困りませんでした。

 

まさに晴明の予言の通りです。

 

さて、

次々に起こる災害、一条天皇も道長も頭を抱えたことでしょう。天変地異 はいつまで続くのか? 洪水や地震がおきればこの後も疫病が流行続けます。

 

安部晴明は厄災を払うには「左大臣様の一の姫・彰子様を入内させることです」と道長に言います。


「彰子様は朝廷のこの先を背負って立つお方です」。


しかし、娘の彰子はまだ11歳で、とても女御が務まるとは思えないと道長は思いますが、話を聞いた東三条院(藤原詮子)も強く彰子の入内を奨めます。姉の女院には道長も逆らえません。

 

北の方の源倫子は猛反対します。自分も花山天皇のときに目に留まるのを避けてきたくらいですから、愛娘を伏魔殿の内裏に差し出すなど考えられないことなのだと思います。

 

しかし、源倫子の母の藤原穆子は諭します。「中宮様は帝よりも4つも年が上、そのうち年取ればお飽きになるますよ」つまり若い彰子に気が向くのも時間の問題、先は大丈夫です。とんでもない安部晴明ばりの予言です。

 


長徳は厄災が続いたので、「長保」と改元します。いよいよ、彰子の入内へ向けた準備が始まるようです。

 

ドラマでは、紫式部(まひろ)は一度「さわ」さんと行った、石山寺に再び参拝に出かけるようです。そして偶然にも藤原道長と再会するようです。


何かが起きる石山寺の夜、失楽園の予感。どきどき

 

ではでは。

 

AIで生成した「藤原彰子」のイメージです。大人しい感じの姫君の印象があります。画はちょうど中宮になった13歳のころのイメージですかね。

ドラマでは女優の「見上愛」さんが演じます。「栄花物語」には藤原彰子は幼いのに大人っぽくとても奇麗だと書かれています。道長の娘なのでおべんちゃらもあったかもしれませんが、最終的には一条天皇に気に入られますので美人だったと思います。ししし