こんにちは、果実帽子です。 

 

昔から歴史小説を読むのが好きだったので、中学生のときからNHKの大河ドラマは視てました。

 

今放送しているのが、平安時代の中期を舞台にした「光る君へ」源氏物語の作者とされる紫式部を主人公にした物語です。

 

以下は、ネタバレになるので、それが嫌な方は、こで閲覧を止めて離れて下さい。

 

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平安時代といえば、陰陽師・安倍晴明も有名です。光る君へのドラマにも登場します。

 

安倍晴明は他のドラマや映画で、陰陽道の術をまるで妖術のように操る人として描かれていますが、あくまでSFの世界です。


歴史上の実在の人物ですので、そんな人外の術を使えたわけがありません。

 

光る君へのドラマの中で安倍晴明が求められた役割は、政治的な未来予測と祈祷、厄払い、呪詛返しでした。

 

そもそも陰陽師は官職の一つで、天文学や歴を読み、日時や方角、人事などの吉兆を占う技術屋です。

 

道長らの父の藤原兼家は、花山天皇らと対立し、その女御の藤原忯子が懐妊した時に、安倍晴明に皇子が生まれないように祈祷するよう依頼しました。

 

神聖なる御子への呪詛はできないと晴明は一度断りますが、左右大臣と太政大臣の意思のもと、国家としての総意であると告げられ、仕方なく祈祷と言う名の呪詛を行います。そして呪詛が効きすぎて藤原忯子までも亡くなってしまいました。

 

恐るべき安倍晴明。

 

また、

中関白の道隆が体の不調を訴え、薬師ではない陰陽師の安倍晴明を呼び、呪詛を受けているのではないかと疑い晴明に問いました。

 

晴明は呪詛ではなく、道隆の寿命だと答えます。体調が良くなるように祈祷すると約束して、その場を辞するのですが、無駄だからしない。と弟子に祈祷を代わりにするように命じます。弟子も安らかに旅立ちできるように安寧を祈祷しますと答えます。

 

恐るべし安倍晴明。

 

後、一条帝の東宮である居貞親王(冷泉天皇の第二皇子)が、安倍晴明を呼び、中宮定子が産んだ子が晴明の言う通り皇女であった。と喜んでいるところに、次に生まれるのは皇子であると告げます。中宮定子との子であると告げると、居貞親王は怪訝な顔つきになり、陰謀の予感をさせます。

 

居貞親王は後の三条天皇で、藤原道長の甥にあたります。この頃の天皇家と外戚の藤原の北家は複雑な関係で、冷泉天皇系統、円融天皇系統が交互に立太子して天皇になっています。

 

三条天皇と道長は、天皇親政と摂関政治をめぐり、やがて対立することになります。これが後世の院政への伏線となります。

 

東三条院(藤原詮子:一条天皇の国母)が体調を悪くし、大宰府に流された甥の藤原伊周の生霊に悩まされたため、安倍晴明が呼ばれて祈祷が行われましたが、晴明は東三条院の芝居と見抜いていた様子でした。

 

祈祷で回復した東三条院のために恩赦が行われて、伊周と隆家は許され帰京します。そしてその後の中宮定子の内裏復帰へつながります。やはり、息子可愛さ。初孫見たさなのでしょうねぇ。

 

恐るべし藤原詮子。

 

さて、

光る君への安倍晴明ですが、権力を持つ者におべっかを言うわけでもなく、求めに応じて臨機応変に対応しています。時には未来予測で、兼家の寿命が尽きること、中関白家も長くないこと、道長の隆盛を予見しますが、政治の外の傍観者の立位置です。

 

安倍晴明が有名なのは、占いの的中率が凄まじいものだったからと言われています。式神を操り妖術を使う安倍晴明は後世の絵空事でしかありませんが、占いの能力は飛び抜けていた、ということでしょうか。

 

安倍晴明恐るべし。

 

ではでは。

 

 

Aiで生成した「藤原忯子」のイメージです。安倍晴明に呪詛された悲しい女御ですが、亡くなったのは、呪詛よりも花山天皇に原因がありそうです。

妊娠して体調を崩しようやく里に下がっていたのを、花山天皇は内裏に戻るように無理強いし、床に臥している忯子をわざわざ呼び出して、食事も取らずにずっと同衾していたというのです。何を考えてたのでしょうね。

 

花山天皇は亡くなったあと藤原忯子を皇后にしようとしましたが、陣定にて公卿達に先例無き事と却下されています。

 

結局、愛って何なのでしょう。こここ