こんにちは、果実帽子です。 

 

昔から歴史小説を読むのが好きだったので、中学生のときからNHKの大河ドラマは視てました。

 

今放送しているのが、平安時代の中期を舞台にした「光る君へ」源氏物語の作者とされる紫式部を主人公にした物語です。

 

以下は、ネタバレになるので、それが嫌な方は、こで閲覧を止めて離れて下さい。

 

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「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」(いつの御代のことでしたでしょうか。帝のおおぜいの女御、更衣たちのなかに、それほど身分が高くはないのに、ひときわ、帝から愛されている女性がいました。)

 

高校の教科書にも出でくる、有名な源氏物語の第一帖「桐壺」の書き出しです。

 

このさほど身分は高くはないが、帝の寵愛を得ていた女性が桐壺更衣で光源氏の母親となります。ここのさほど身分が高くないと言うと、ちょっと勘違いしそうですが、あくまでも上級貴族の中ではと言う意味です。

 

桐壺更衣の父の大納言はすでに亡くなっており、後ろだてはありません。他の公卿の娘である女御や同僚の更衣から嫉妬されて、イジメられます。挙げ句には、一人の女性に入り浸り秩序を疎かにする帝にも困ったものだ、と臣下の公卿たちも顔を顰めます。

 

桐壺更衣が皇子を産んでから、イジメはますますエスカレートします。というのも、右大臣の娘の女御が第一皇子を産んでおり、権勢のある女御からみれば、他の皇太子候補など邪魔な存在だったからです。

 

桐壺更衣は光源氏が3歳の頃に亡くなってしまいます。衰弱する躰に苦しみながらも、なおも生きたいと望みながら、です。

 

源氏物語はあくまでも物語であり、実在の話ではありませんが、しかし帝と桐壺更衣の話もはどうしても、一条天皇と皇后定子の関係を思い起こしてしまいます。

 

桐壺更衣のモデルは楊貴妃とか色々説がありますが、私は皇后定子だと思いたいです。

 

清少納言が書かなかった、皇后定子の影の部分を想像による創作ではあるものの、紫式部は描いたのかもしれません。


源氏物語の第一帖の桐壺は、紫式部が宮中に上がる前に書かれたと言われています。物語の続きを読みたい人は、紙を持って来てね。というようにして貴重な紙を入手していたと言うのです。


ドラマでも、

これは朕への当てつけか。と源氏物語の第一帖(この時点では無題の物語)を読んだ一条天皇は、物語を献上した道長に言います。道長も紫式部(まひろ)から見せられた物語を読み、これは帝の逆鱗にふれるやもしれぬと心配するくらいの内容でした。

 

しかしこの物語は一条天皇の心を射抜きました。物語とその作者に興味を示したのです。

 

物語では、

桐壺更衣が亡くなった後、内裏に新しい妃が入内します。先の帝の第四皇女です。藤壺の宮と呼ばれます。藤壺の宮は桐壺更衣にとても似ているので、桐壺帝のたっての願いで14歳で入内しました。

 

そして、藤壺の宮は中宮となり光源氏の継母となります。そして光源氏の母親への慕いがやがて継母への想いとなり、あってはならない二人だけの秘め事に繋がって行きます。

 

ドラマでは、

この物語がなぜこんなにも、心が惹きつけられるのか、一条天皇は中宮彰子のもとを訪れ、紫式部(まひろ)に尋ねます。

 

まひろは答えます。

漢文は事の理や志を表しますが、心を伝える歌にはかなを用います。やまとびとの心を映すには、かなこそがふさわしいのだと思います。

 

一条天皇の意もあり、源氏物語は宮中にも広まり、読まれるようになります。

 

ではでは。

 

 

生成Aiでイメージした大納言の君(源廉子(みなもとのやすこ))、妹に小少将の君がいます。中宮彰子の女房で、中宮彰子の母親の源倫子の姪にあたります。紫式部の女房仲間でとても親しかったらしいです。

紫式部日記では「丸っこくて背が高い」とトトロみたいな体型の書き方していますが、Aiには伝わらないですね。ななな




 

※ 宮中にあがった紫式部について書いたのはこちら↓



 

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