こんにちは、果実帽子です。 

 

昔から歴史小説を読むのが好きだったので、中学生のときからNHKの大河ドラマは視てました。

 

今放送しているのが、平安時代の中期を舞台にした「光る君へ」源氏物語の作者とされる紫式部を主人公にした物語です。

 

以下は、ネタバレになるので、それが嫌な方は、こで閲覧を止めて離れて下さい。

 

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 紫式部には娘がおり、大弐三位(藤原賢子)といいますが、他にも子どもがいたとの記録はありません。大弐三位(藤原賢子)は紫式部の子孫の恩恵を一番に受けた人物です。本人は反発したかもしれませんが。

 

「栄花物語」には賢子が親仁親王(後冷泉天皇)の乳母に選任された時、親仁親王の乳母は3人選任されていますが、賢子以外の2人は夫や父の名と共に紹介されているのに対し、賢子のみ、「大宮(藤原彰子)の御方の紫式部が娘」 と、母の名と共に紹介されており、これは異例中の異例です。

 

これは、宮中においても 紫式部の存在がとても有名だったので、その娘であると賢子が記されているのです。

 

紫式部には兄または弟がいました。ドラマで登場するのは弟としての藤原惟規です。同母の姉がいたとされますが、早くに亡くなっているらしくドラマには登場しませんでした。

 

藤原惟規は、寛弘8年(1011) 正月に従五位下に叙せられ、父親の為時の赴任先の越後へ向かう途中に病気になり、越後で亡くなります。辞世の句は「みやこには恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ」で、後拾遺集に記されています。

 

藤原惟規は「賀茂斎院選子内親王の女房の中将の君(斎院中将)」と恋仲であったという話が残っています(ドラマにも描かれていました)


辞世の句も斎院中将あての和歌を詠んだとされていますが、妻は藤原貞仲の娘で子に藤原貞職(紀伊守)がいます。

 

さて、紫式部の娘の大弐三位(藤原賢子)の夫は、大宰大弐(大宰府の次官)の高階成章で正三位に叙せられている公卿です。二人の子供に高階為家がおり為家は白河上皇の近臣として仕えます。その為家の子の為賢の娘が、藤原南家の藤原能兼の妻となり、その子が藤原範兼となります。

 

そして範兼の娘が兼子で、兼子は後鳥羽天皇の乳母となり後鳥羽上皇になってからも権勢を振るいます。


そう尼将軍の北条政子とやり合った人物こそが藤原兼子です。こうして、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも描かれていたところに繋がっていきます。あの藤原兼子は紫式部の子孫だったのです。ふう。

 

ではでは。

 


Aiで生成した斎院中将です。惟規は斎院中将からの手紙を紫式部に見せているらしく、紫式部はその手紙に斎院(選子内親王)のサロンの自慢話があったので、少し憤慨したのだとか。選子内親王の人柄は良いので、そこはぬかりなく褒めています。

斎院中将も想い人の姉が紫式部と聞いて焦ったでしょうね。下手な和歌など送れませんもの、ししし