(暦「八専」はちせん) | 梶田鏡朝(あきとも)の開運秘伝

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(暦「八専」はちせん)

 

十干十二支の五行を見てみると、干支ともに、同じ五行なるものが12日ある。そのうち8日干支番号49番壬子から60番の癸亥の12日間に集中している。昔の陰陽師たちがこれを不思議に思いこの期間を特別の日柄とした。

 

これを八専といい、その間で専気となっていない、50(癸丑)、53(丙辰)55、(戊午)、59番(壬戌)の日を間日(まび)と呼ぶようになった。八専は、天干と地支同じ五行であるために、気が偏在してしまう。それゆえに、吉は益々吉となり、また凶は益々凶に傾くとされた。

 

しかし鎌倉時代の頃から、凶の質のみが強調され、この日は物事が順調進まなくなるという凶日に変化してゆく。もともと八専は、軍事上の忌日として、兵家の用いたものであった。築城や出陣には重視されていたが、江戸中期から庶民の間に広まり始めた。

 

重要や、婚礼、家畜類の売買にはとされ、仏事も忌む日とされるようになった。しかしこれは日本独自の解釈であり、古代中国では、むしろ全てにおいてされている。「准南子」には「専を以て干支に従えばすなわち「功あり」と記されている。

 

この八専江戸時代後半から庶民の間において天候占いとして浸透してゆくようになった。この八専降雨が多いと言い伝えられるようになったが、それば壬子水、水)から始まり癸亥で終わるので、そう言われたのだと推測される。

 

八専の二日目(甲寅)を八専二郎といい、この、に雨が降ると長雨になるとして、農村では恐れられてきた昔は暦で八専を見ながら、旅行や家の造作、婚礼などの日取りを教えたようである。

 

古い言い伝えでは、この逆もある。八専太郎、が雨だと、八専期間中づっと雨が続き、その逆だとずっと晴れが続くというものもある。「彼岸太郎、八専二郎、土用三郎、寒四郎ということありこれは

 

彼岸の節に入り始めの日天気が良く、八専は2日目、土用は3日目、の入り4日目天気よく晴れて、穏やかななれば豊年なりとて、その日の快晴を祈るとかや

 

と言っているものもある八専日にはこれらの神々が全て天に昇るため、仏事や神事行っても効果がないと言われている。これはあくまでも、大昔からの一つの風習であり、信じる人もあり、信じない人も有り受け止めてほしいのです。