業(カルマ)の流れ
業(ごう)は先祖からの流れのものあるいは自分の代でつくるものなど色々な原因があるわけですが、実はこの業というのは物事が流れずに凝り固まっている状態をいうのです。
凝るというのは分かりやすく言えば、水道の流れがつまったような状態、人間の体でいいかえれば動脈瘤みたいなもので本当なら正常に血液が流れる
分けですがどこかで詰まってしまうといった状態、人間の体で言い換えれば動脈瘤みやいなもので本当なら正常に血液が流れるわけですが,どこかで詰まったような循環の悪さが業なのです。
業は有形、無形を含めて物事の循環が悪くなった状態をいうのです。業が深いというのは、詰まり方が大きいということ。
この業のお話はいお釈迦様滅後の仏弟子によって書かれた法華経の中に多く出てくるさて業は流れが詰まることなのですが、その中で無形の業の代表は心が通じないと言うことなのです。
親子の間、夫婦の間、友達の間それぞれが本来ならばそれなりに通じ合うものがあるはずです。たとえば言葉を使わなくても子供の表情を見ていると、
今この子が落ち込んでいるとか、有頂天でいい気になっているのではないか、とかが 分かります。またそれから感を鋭くすればこの子は運が良いか悪いのかなども分かる
わけです。これが業が深くなりますと詰まってしまい何か心が通じ合えなくなってしまうのです。心が通じ合えないと和が保てなくなり、表面的なところのみの杓子定規の関係になってしまうのです。また有形の業の方は現実が動かなくなります。
つまり物が動かなくなるのです。例えばご商売ならば物を仕入れてもなかなか売れなくなるわけです。一生懸命宣伝しても中々世間に通じない。 いくらお金をかけても効果が全然上がらず皆に分ってもらえなくなります。
業は徳とは違いまして、物事が循環しないというところからのマイナス面がどんどん出て来るのです。