心を考える
「肉体には引力と融和力がある」
人間の持つ肉体と言うのは、生まれた時から引力を持っています。これは年令に関係なく人間である以上かならず所有しています。生まれた途端に子供に産着を着せてお乳を与えこの世にあるものを吸収していきます。
これにより肉体と外界にあるものがつながるわけです。これは大きく言えば宇宙と人間が融和している姿でもあるわけです。その融和の中で人間は自然のものを破壊しながら生きています。自然を破壊しながらまた一方で融和をしているのです。
お釈迦様が修行を終えてから仏の道を説かれて成熟期に向かわれた時の中に華厳経というものがあります。この華厳経には、人間は自然界のものを破壊しながらも融和しているという説明が出てきます。
そしてこの融和というものは、肉体に引力があるからということになるのです。さて引力を持ち生命維持にかかわるものを引き付けてゆくわけですが、この時に実は目に見えない物も引き付つけるわけです。
「肉体には無形の気も入り込む」
肉体が生まれて空気とか食べ物とか外界との融和をしますが、実は自分を取り囲む目に見えない環境も入り込んで融和をするのです。例えば両親の愛です。愛は食べ物ではないので肉体にすぐどうこうというわけではありませんが、着実に入り込んでいるのです。
両親だけではありません。祖父母の気、父親の職業などその人間に関わる人達の存在する気そのものがどんどん入り込んでいくことになるのです。もし生まれた子が弱ければ丈夫に育って欲しいという親達の願いの気もあるでしょうし、また生まれたこと自体への喜びの気、恨みの気など念力も入ってくるのです。
その上に犬とか猫などいたらそういう動物の気が入ってきます。動物も子供が出来た事で自分への世話がおろそかにになるのではと心配という気が発せられ、こいうものもきちんとキャッチするわけです。また、土地の気も入ってきます。
「見えない気が集まり霊魂になる」
実はこの見えない色々な気の集まりが魂の原型になるのです。つまり肉体によって引き付けられた有形無形の気は、有形は直接肉体形成に関わり、無形の部分は魂の形成につながっていくのです。
そして魂はこれらの色々な気を別々に区分けして所有しているのです。つまり一つ一つに境目というものがあるのです。